瞑想を毎日20分ずつ通算1年ほど続けて感じた意識の変化を話して見よう。
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「最近、マイドフルネス瞑想がセルフコントロール能力の向上とかに役立つってきいたけど、実際のところはどうなん?確かに、グーグルが社内の取り組みとして採用しているくらいさし効果はあるんだろうけどさ、、、、本当のところはどうなの??」

そうだよね、瞑想がいいっていわれてもその瞑想の先に何が待っているのかいまいちわからないよね。

オニギリス!

脱マンネリストのオニギリです!

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「わたしがこれまで瞑想を1年間行ってきて感じた意識の変化」についてです。

はい、結論から言うと「いわゆる悟った状態」に近いものを感じますね。

悟った状態になると最初はなんか変な感じはしますが、なんというかよほど邪魔な外的要因が無い限り「感情が無になる」ので、正直哀しくなることも怖くなることもあんまりないって感じです。

そして、いろんな人間としての営みを客観的にみれるようになったかな?と思います。

自分の死生観というのもさらに一歩前進した気がします。

では、ゆるりとおおくりします。

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1、悟りを開くってどんな状態?

さて、ではまず悟りを開いた状態というのがどんなものかについて考えてみましょう。

Jeffery Martin博士は特にいい出来事が無くとも幸福で満たされた状態のことを「Fundamental Well -Being」と呼び、この心理状態を「自己実現のさらに先の境地」として考えています。

そして、悟りの境地を心理学的にはPNSE(継続的非記号経験)といいます。

そして、同博士は「悟っている」、「覚醒」しているといわれる宗教家の人々にこの境地に達している人が多いことに気付きます。

そこで12年間に渡って2500人以上もの「悟っている人達」とコンタクトを取ってきたと言います。

その中でわかったことは一般的な人の中にも悟っている人が多くいるという事。

で、肝心の悟りを開いている状態についてですが、何でも悟りには段階があるそうです。

そして、その段階において共通する体験としては、い以下の変化等があると言います。

  • 自我の変化
  • 思考の減少と消滅
  • ネガティブ感情の減少
  • 記憶の減少

以下順次解説してみます。

・自我の変化

PNSEに達した人は自我の感覚が変化すると言います。

そう、通常感じる自分とは完全に異なった自分を感じるのだというのです。

また、この異なった自分は信じる宗教によって違うとも言います。

例えば、仏教徒なら「広い空間いっぱいに拡大した」

、キリスト教徒なら「神との一体化」などという表現を使う事が多いと言いますね。

・思考の減少と消滅

PNSEにはいると自分に関する雑念が無くなっていきます。

思考が起こる場合であっても、その思考は目の前を流れていき、それにとらわれなくなると言います。

特に、PNSEの最終段階にあっては一切の雑念が起こらないと言いますね。

・ネガティブ感情の減少

雑念同様、ネガティブな感情もPNSEに入ることで、減少すると言います。

PNSE初期ではネガティブな感情を感じることはあるが、それを引きずらなくなりますね。

そして、段階が上がるほどにながティブ感情は減りポジティブ感情だけが残るようになると言います。

心の平穏を乱す外的要因によって、PSNEから通常の意識状態に戻されることもあるそうです。

・記憶の減少

自分の過去の記憶に興味が無くなると言います。

つまり、「自分の過去は重要ではなくなった」という感じでしょう。

雑念の減少に伴い、過去の出来事をふと思い出したりすることも減るとか。

参考

https://www.newsweekjapan.jp/yukawa/2019/02/transtech-conference.php

2、悟りは誰でも開ける!

悟った状態になれればかなり生きるのが楽になると思われます。

でも、長いこと修業しないとPNSEには入れないとかそういう事ではないようです。

Martin博士によると「自分に合った方法を見つけることが出来さえすれば、多くの人がPSNEに入れる」と述べています。

わたしの場合、悟りの境地に達していると断言してよいのかはわかりませんが、何となく瞑想があっている気がしますねえ。

すればするほど、心穏やかになれる気がしましたね、始めて間もないころは。

今となっては、ただ時間が気が付いたら過ぎているって感じですが。

やはり、それでも瞑想をすることで頭がすっきりする感じはします。

ちなみに、わたしは自分流にアレンジした瞑想をやっていますね。

その手順を記して見ると以下のようになります。

  • 1、静かな場所に行く
  • 2、軽く眼を閉じて背筋を伸ばして椅子に座る
  • 3、4秒鼻から息を吸い7秒息をとめ、8秒で息を吐ききる。このサイクルを繰り返す。
  • 4、息を吸ったり吐いたりを繰り返す間に、自分の体の各部に感じる感覚のイメージを頭の頂点から足の指先までをスキャンするように行う

この瞑想は個人的にはかなり聞いている気がします。

4秒鼻から息を吸い7秒息をとめ、8秒で息を吐ききるというサイクルをなぜ取っているかについては以下の記事からどうぞ。

3、瞑想をするとかなり意識が変わる

わたし自身一日20分の瞑想をおよそ1年間あまり欠かさずに続けてきたわけですが、意識は結構変わったとの実感がありました。

上記の悟りの状態でいわれていることも、なんとなく理解できる気がします。

まず、最大の変化はやはり「自我意識の変容」です。

自我の変容と具体的に言うとすれば、自分自身が世界全体と一体化している感じとでも言ったらいいのでしょうかね?

「繋がっている」のではなく「一体化している」のです。

自分が世界の一部であることを感じる感覚といってもいいでしょう。

4、哀しさも喜びも表れても一瞬で消える

感情変化に関しても結構変わったようにおもいますね。

確かに、状況によってはイライラも喜んだりというものもありますが、基本的に水中の気泡のように表れてもすぐに消えていくって感じです。

まあ、基本は何も感じていないって感じですけどね。

怒りの感情も嬉しい感情も何もかもことさら激しくなることはありませんし、瞑想以前と比べたらないと言ってもいいくらいです。

そして、どんな凄惨なニュースや事件、身の回りの理不尽を見聞き経験しても感情をいれず「ただ現象として」とらえる傾向がより一層強まった気がしていますね。

現象を感情なく、そのありのままをそのままとらえるって感じでしょうか、、、、。

わたしの感情と実際に起こった現象は無関係ですからね。

わたしが悲しかろうと嬉しかろうと理不尽はなくならないので、何を感じてもせんない事です。

むしろ、感情は事実をゆがめる、、、。

そんな、気持ちになんだかんだで落ち着くので心が乱されることはほぼないかと思います。

起こってしまったものはどうしようもないですよね。

前向きなあきらめって感じにもなりますかね。

また、物欲、食欲の減少にも拍車がかかりましたね。

今、わたしはものを買うかどうかを判断する時

「これは何のために買うのか?どれくらいの期間使えるか?本当にこれでないと目的は達せないのか?その目的はそもそも妥当なものか?」

という問いを自分に発して全ての問いに明確に回答できた場合しか買わなくなりました。

そのためか、ほとんど欲しいものはないし買うものもない状態です。

食欲についてもそう。

そもそも食べるのがめんどくさいというのもありますが、「味がおいしいという刹那的快楽を感じるために」食べることに意味を見い出せなくなってしまったんですね。

「美味しい食事を食べる」等のような刹那的快楽よりもっと持続的な快楽をもとめないと際限が無く、また追い求めることで中毒のようにもなりきりが無いと思うようになりましたね。

きりが無くなるということは「常にかわいている」ということです。

そこに精神の安定はありませんね。

人生にうえも渇きもいらないのですよ。

瞑想をするようになってからは、自然と「心が安定するもの」をもとめるようになっているようです。

事実、もうわたしに「渇望するほどのものは何もない」ですね。

ちなみに、わたしは自分の過去を懐かしんだりはした事がありません。

それは昔から過去は捨てていくものであって自分には思い出すべき過去等ないのが当たり前という考えだったからですが、瞑想してからはよりその思いが強くなり、同時に過去の思い出なんてものは思い出せなくなってきました。

多分、本心から自分に過去は必要ないって思い始めたからかもですねえ。

「今この瞬間に生きている」って感覚がなにより大事だったりします。

参考記事等

5、死は生と大して変わらないただの現象

志賀直哉の『城崎にて』 の一節に

「生きていることと死んでしまっていること、それは両極ではなかった。それ程に差はないような気がした。」

というのがあります。

わたしの死に対する感覚もこんな言葉で説明できるかもしれません。

生きているのも死んでいるのも大差ないというか、それこそ輪廻とかではないですが、一続きに切れ目なくつながっているもののような感覚です。

そして、生も死もどちらも現象に過ぎずただうつりゆくものって話。

そんな感覚なので、実は良くも悪くも「生命は尊い」のような感覚が無いです。

いや、「生命も死も等しく尊い」か「生命にも死にも意味はなくそこに価値はない」って感じですかね、、、どちらも過ぎ去って循環するものですから、わたしの感覚からすると。

生と死の価値は同じです。

なので、生きるなら生きることを受け入れるしかないし、死ぬなら死をうけいれるしかないなって淡々と感じているのが現状ですね。

そこに関してなんらの感情はないです。

ことさら価値を感じているわけでもないですね。

生という事実と死という事実がある、それだけです。

瞑想し出してから、この感覚がさらに強まりましたね。

まあ、、、わたしが変人なだけかもしれないですけど、、、、、。

おわりに

この記事では「わたしがこれまで瞑想を1年間行ってきて感じた意識の変化」について述べました。

瞑想を続けてきたことによる、意識変化にはかなりのものがあったと思います。

しかし、結果として「心の平穏」をより確固たるものにできたように思います。

瞑想の効果については当然個人差があると思いますが、瞑想を毎日続けて「平穏な境地」を目指してみません?

正直言って、気楽で悩みが無くなってくるはずです(まったくなくなるとは言っていない)。

では!

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