今回は以下のような方に向けておおくりします。
- 子供の道徳性の発達に関して興味がある人
- コールバーグの道徳性発達理論について知りたい人
気のせいかもだが、、、。
そこで思うんけど、そもそも子供たちの道徳的な考えって一体どんな風に発達していくんだろうか?
一体、子供はどんな風な段階を経て道徳を体得していくんだろうか、、、、、。
ふむ、確かに道徳的な考えってどうやって発達していくんやろね。
気になるよな。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです!!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「コールバーグの道徳性発達理論ってなんぞ?「わかりやすく説明してみる」」という話です。
教育産業に携わっている人や育児をしている人は子供の道徳性がどうやって発達していくのかに結構興味があるかと思います。
正直、個人的に道徳に対してこういっては何ですが、「人として~」なんて言い回しをされることが多く実態がよくわからない、「具体的に一体何が言いたいんだ?」といった感じで曖昧模糊とした概念との印象が強いです。
なので、本来「道徳とは何か?」みたいな話を徹底して行っておかないとこの手の話題は全くといっていいほど「机上の空論」や「とるにたらない理想論」に終始しがちです。
ただ、それを行っていたのではきりがない感じがするので、道徳についての学術的考察はその道の第一線の諸研究者の方々の意見を各自参考にされたしって感じでお願いします。
今回は心理学方面で道徳性の発達に関して興味深い理論を紹介してみたいと思いマウス。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
コールバーグってどんな人なん?
今回とりあげる道徳性発達理論を唱えたのはローレンス=コールバーグさんというアメリカの心理学者の人です。
引用:発達理論の学び舎
彼は1927年にアメリカのニューヨークに生まれ、1949年にはシカゴ大学を卒業し1959年に同大学の博士になります。その後、エール大学の助教授やハーバード大学教授等を歴任。
その途中ベリーズ(中米の国)での仕事の際、1971年に熱帯病にくるしみ、最終的には1974年にハーバード大学の道徳教育センター所長にまでなります。
しかし、1987年1月彼はうつ病の苦痛からマサチューセッツ病院での療養中に身を投げてなくなりました。
享年51歳ですね。
学者としては「これからが集大成!!」て感じなのに非常に残念な感じがします。
道徳性発達理論ってなあに?
さて、では本題。
コールバーグさんが唱えた道徳性発達理論とは何でしょうか?
これは端的に言うなら、「子供の道徳性の発達を認知や判断の問題としてとらえた理論」のことです。
大体、道徳を話題に知るとなると「行動や感情」、つまりよく言われる「おもいやり」みたいな観点から問題にします。
しかし、コールバーグさんは道徳性の発達を感情や行動という観点ではなく、認知や判断という観点から考察したのです。
子供にも子供なりの道徳性、つまり「正しさの尺度」を元々持っているのですね。
でも、その尺度が社会から見て「理にかなっているか?」はまた別問題なわけです。
発達心理学で有名なピアジェさんの理論によるなら、小さい子供は自分を中心にしか物事を見れないため、自分の行動で他者がどういった影響を受けるかなんて認知できないんですな。
でも、だんだん年齢が上がってくると「他者がどういった影響を受けるか」が知覚できるようになってくるわけです。
知覚できる情報が増えれば増えるほどいろんな可能性を考慮して、自分の中の正しさを修正して社会と適合したものに構成しなおすということが起こります。
このような「子供の認知能力の発達」の観点から道徳性の発達を考察したのがコールバーグさんの道徳性発達理論なんですね。
そして、この理論の大前提として押さえておかねばいけない点としては以下のことがあるでしょう。
- 人間は能動的で合理的存在であって外界をそのまま受け止めるのではなくて自分なりに構成化する
- コールドバーグの言う道徳とは個人間での欲求や利益が対立する時にそれらをどうやって公正に解決するかというものであり、文化によらず普遍的なものである
そして、コールバーグさんは道徳判断には文化により規定される部分と普遍的な発達段階を成す部分があるとしました。
その上で、彼はそれらを道徳判断の「形式」と「内容」で分けて考えようとしたんですね。
で、彼は普遍的発達段階に関しては青少年の道徳的葛藤場面の判断を分析したり、理論的に考えれる道徳判断の適切性の基準に基づいて以下の3つの水準と6つの発達段階を設定しました。
前慣習的水準
- 1:罰と服従への志向
- 2:罰と服従への志向
慣習的水準
- 3:対人的一致、よい子への志向
- 4:社会秩序への志向
後慣習的水準
- 5:社会契約的、遵法的志向
- 6:普遍的倫理的原則への志向
なお、この発達段階では全ての人が6段階まで達するとはしていません。
では、それぞれの発達段階について以下簡単に説明してみます。
・1:罰と服従への志向
罰を回避することと力に対する絶対服従を正しいとする段階です。
つまり、「自分がほめられるのか罰せられるのか」という結果のみが大事になります。
まあ、控えめに言っても「非常に動物的」て感じですね。
頭の悪いサイコパスってカンジ?
マウスを用いたレスポンデント条件付けの実験を思い出させる感じがしますねえ、、、。
この段階を一言でまとめるなら、「警察に捕まんなければ何やってもオッケー」て感じですかな。
・2:罰と服従への志向
この段階では正しさの基準は自分の利益や他者と自己相互の利益を満たすものとされます。
この段階にあっても公正さは問題になりますが、それはあくまで「物理的な相互の有用性」という点方の身です。
例えば、「公正な取引をすることで自分も相手も得をする。経済的な面でも社会的信用の面でもね。だから、後世に取引することは大事だ」みたいな感じですな。
この段階を一言でまとめるなら、「自分と相手にとっても役に立つことだからやる」てことでしょう。
頭のいいサイコパス的なカンジがしますね。
・3:対人的一致、よい子への志向
善なる行いとは人を喜ばせるものであって、他の人達にいいと思われる行いだと考える段階です。
この段階では多数意見だったり、いわゆる常識的な振る舞いに従うことが多いといいます。
この段階では行為はしばしばその行為の動機により判断されるんですね。
ここで初めて「善意」というものが重要になってきます。
この段階を一言でまとめるなら、「みんながいうからそのとおり!」て感じかもしれません。
・4:社会秩序への志向
この段階では正しさを「社会的な権威や定められた規則」に見出し、それに敬意を払い従うことで社会秩序そのものを維持すること考えます。
まあ、厳格に法律を守りそれを守ることによって社会秩序を維持するのが最重要だとする堅物って感じですかね?
この段階を一言でまとめるなら、「悪法も法である。法が守られねば秩序が崩壊する。常に厳格に法に従うべきだ」みたいな感じ??
・5:社会契約的、遵法的志向
この段階では正しさを「社会契約的合意」、つまり
その社会に住む多くの異なった意見を持っている人達がみんな「うん、わかった。そうしよう」という合意のもとに契約したかで判断します。
なので、規則を固定的なもの、権威により押し付けられたものとせず「自分たちのためにそもそも存在している変更可能なもの」とみなすようになります。
「悪法も法である」が4段階目の主張であるなら、5段階目は「そもそも悪法だってわかってるならかえなくちゃだめじゃん!」て反論するわけです。
この段階を一言でまとめるなら、「悪法は法かもしんないけど悪な時点で認められない。変えないとあかん!!」て感じですかね?
・6:普遍的倫理的原則への志向
この段階では正しさの基準が「良心」となります。
この良心に基づくことで法を超えて何かを行うことができるとしています。
もっと具体的に言うなら、この段階の正しさの追求とは
「各自が自分の意見を正しいと主張する前に葛藤状況にある他の全ての他者の立場に想像上で立って、均衡のとれた解決策を探す(道徳的椅子取りゲーム)」
ということです。
さすがにこの段階まで来ると抽象度が高いし、「そんなきれいごと言うなよ」て気分にもなってきますね。
「全ての人の利益が保全される方法」なんて自分は「基本的にはない」と思っているってのもありますが、、、。
まあ、わたしはどうやら6段階目にはいないもかもしれませんわ、、、、。
5段階目くらいで発達が止まってそうですな。
ま、しらんけど。
この段階を一言でまとめるなら、「人の命はそもそも何にも代えがたい価値がある。全てに優先して守られるべきだ」みたいな感じ??
なお、この道徳的発達段階説には当たり前ですが批判も存在しています。
その批判の代表例としてはキャロル=ギリガンさんによるものがありますね。
ギリガンさんによるとコールバーグさんの理論は男性の発達だけを議論していると批判したんですね。
ギリガンさんの主張をすごく雑で乱暴に要約すると、
「コールバーグさんよ、あんたは人を個としてとらえすぎやねん。女の子っていうんは関係性の中で正しさを考えるものやねん。あんたは本当に女ごころのわからんやっちゃな」
みたいな感じです。
まあ、詳しいことは以下の文献で確認してみてください。
参考
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsl1951/1993/45/1993_45_121/_pdf/-char/ja
3、モラルジレンマに取り組んでみよう!!
さて、ここまで具体的な発達段階について見てきたわけですが、最後に道徳がらみでもう一つ見ておきたいものがあります。
それが「モラルジレンマ」というものです。
モラルジレンマとはジレンマという通り葛藤の一種であり、道徳教育の現場でよく使われているものでもあります。
で、どういった葛藤かというと二つの道徳的価値が存在する場面で究極の二択を迫るというもの。
、、、ていっても、分からないと思うので具体例としてハインツのジレンマをどうぞ。
ヨーロッパで一人の婦人がたいへん重い病気のために死にかけていました。その病気は特殊な病気でしたが、彼女が助かるかもしれないある薬があり、それはおなじ町の薬屋が最近発見したラジウムの一種でした。その薬の製造費は高かったのですが、薬屋はその薬を製造するのに要した費用の10倍の値段とつけていました。薬屋はラジウムに200ドル払い、わずか一服分の薬に2000ドルの値段をつけたのです。 病気の婦人の夫であるハインツはあらゆる知人にお金を借りに行きましたが、薬の値の半分の1000ドルしかお金を集めることができませんでした。かれは薬屋に妻が死にかけていることを話し、薬をもっと安くしてくれるか、でなければ後払いにしてくれるよう頼みました。しかし薬屋は「だめだ、私がその薬を発見したんだし、それで金儲けをするつもりだからね」と言うのです。ハインツは思いつめ、妻のために薬を盗みに薬局に押し入りました。
引用
はい、どうでしょうか?
ハインツ氏の立場からしたら妻のために薬が欲しいのに高すぎて変えない。
で、売っている薬屋からしたら儲けを出したいわけですが、まあ価格を設定するのは自由としても原価の10倍っていうのかなり高い感じはします。
ま、人件費とか入れたら妥当なのかもしれないですが。
利益が衝突していますな。
で、ハインツ氏は結局「妻の命を守るために法を破る」わけです。
上述の6段階目の主張なら「命を守るためだから仕方ない」となりますが、4、5段階目からは「命をまもるにも正当なやり方っていうのがあるだろう!法を破るとか見過ごせるものではない!」て主張するでしょう。
現実的に考えるなら、ハインツ氏は窃盗の罪で裁かれはするが判決までに情状酌量される可能性があるってことになるでしょうね。
まあ、「法に背いた以上は罰せられねばなりません」。
いくら、感情的に可哀想であっても「ダメなものはダメ」です。
例外はありません。
ま、、、むつかしいですな、モラルジレンマ。
ちなみに、これは戦争についても同じことが言えるでしょうね。
戦争では相手がこっちの命を奪いに来るのに対して「相手の命を奪うのはモラルに反する」なんて言っていたら、そのまま殺されてしまうわけです。
6段階目にいる人はきっと「自分の命を守るために人の命を奪う」という葛藤で胃が痛くなるでしょう。
4、5段階目にいる人は「、、、、し、仕方ない。ここで殺さなければ自分たちの国という秩序が守れない、、」と苦渋の決断をするでしょうね。
そして、3段階目までにいる人は「襲ってきた以上死んでもらうぞ!」て感じかもですな。
で、現実的に言ったら、「反撃あるのみ」でしょう。
そして、防衛するとなると「相手の命を奪う」ないしは「相手を傷つける」のは必至なので、究極的なモラルジレンマといえます。
なお、わたしに関して言えば第二次世界大戦時のアメリカではないですが、「自分が勝つための算段を整えてから先に手を出させて大義名分をもって攻め滅ぼす」のが妥当って感じです。
また、戦場であれば「敵に撃たれるより先に撃つ」のも当然と思っているので、機械的に処置すると思う次第。
正直、他人のために死んでやる気は一切ないしすくなくとも国という秩序を維持する必要性から、そこに一切のちゅうちょなんて存在してません。
とか言ってイキっているけど、、、、実際そんな場面に放り込まれたら、ちゅうちょするかもしれないんですよねえ、、、。
ええ、現実は小説より奇なりではないですけども、現実が想像を超えてくるってことは普通にありますから。
ちなみに、法律では「正当防衛が認められれば殺人は無罪」です
ま、現実的に考えるとそんなこと「めったにおこるもんじゃない」んですけど。
ま、そんな場面になってほしいとは一切思いませんね、、、、。
やだやだ、戦争とか大反対だわ。
なお、このモラルジレンマには正解がなく「多様な立場を理解する」というのが目的です。
ちなみに、映画「人間の条件」という作品では正にこのモラルジレンマを描いています。
気になる方はぜひ。
まとめ~認知と判断から道徳性を考える理論
この記事は「コールバーグの道徳性発達理論ってなんぞ?「わかりやすく説明してみる」」と題しておおくりしました。
コールドバーグさんの理論の特徴は道徳性を「認知と判断の問題とした」と言うところにあります。
本当、いろんな考え方があって面白いですなあ。
では!
参考
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsl1951/1993/45/1993_45_121/_pdf/-char/ja
参考記事等
「心に響く名言(迷言?)」心に残る名言60選「人生に豊かさと気付きを」
『発達心理学』子供の心の発達をピアジェの心理学の立場から見てみる