「カイジ読んでると面白いっちゃあ面白いんだけど、結構メンタルえぐられるわ。代表的なのでいうとあの利根川の名言『金は命より重い』ってやつだわ。真実っちゃあ真実だろうけど、それを言っちゃあおしまいだろうって思うよなあ、、、。本当きっつい!」
ま、真実とまでは言えないが多分この資本主義社会の真実の一側面ではあるわな。
うん、わかるよ。
オニギリス!
脱マンネリストのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「『金は命より重い』は別にいいけど、その考え方も過ぎると人生詰まんなくなるよ」という話です。
はい、漫画『賭博黙示録カイジ』で利根川幸雄が発した名言?である「金は命より重い」をあなたは知っているでしょうか?
この言葉に反感を覚える人は一定数いると思いますが、この言葉にもそれなりの真実が反映されていると思います。
場合によりますが、「人の命は何よりも重い」という考えが、ただのきれいごとに堕する場面は存在します。
極度に金がないことは往々にして死に等しいですね。
しかし、わたしはこの考え方も過ぎると「人生が幸福にはならないぞ」といいたいのです。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
金がなくて散る命はある
まあ、あなたは嫌という程しってるでしょうけども、「現代社会はお金がないと生活していけない」、、、これは真ですよね?
そもそも、お金がないと生きれないのなら「命はお金ありきのもの」なので比べるまでもなく「金の方が重い」といえそうです。
事実、昔から企業の社長が銀行からの貸しはがしにあって会社が倒産した挙句自殺したとか、そんな話はよく聞きますね。
取りたてる銀行側としては、きっと「社長の命なんかより金の方が大事」という意識かと思われます。
まあ、これがいいか悪いかは別として「そういう傾向はあるだろう」て思うんです。
あとは生活保護を打ち切られて餓死したとかね。
まあまあ、いろいろお金のせいで命を落としたって話題はそこら中にありますわ。
これはそうだってだけでそれ以上でもそれ以下でもない。
ただの事実。
でも、生きるだけなら意外と生きれるのかもしれません。
いえ、別にわたし自身ホームレスになったりしたことは一回もないけれど、有名な名ピアニストであるフジコヘミングさんの話を聞いて思っただけです。
参考
http://www.u-canshop.jp/fuzjko/sp/
希望を信じ、そしてプライドさえ捨ててしまえば、案外お金がなくっても命って捨てなくていいのかもしれないなあ、て思ったんですね。
事実、アウシュビッツの強制収容所に入れられて何とか生き残ったフランクル医師も逆境における希望の重要性を説いていますね。
参考
希望を信じることで凄惨な逆境にも立ち向かっていけるということなんですねえ。
まあ彼女の場合、音楽の才能にあふれていた点は結構大きいでしょうけど。
参考記事等
そもそも金と命を天秤に乗せても仕方ない
まあ、あれですよね。
「金は命より重い」っていうのは一種の極論ですよねえ。
極論は結局、真実の一側面を強調しているに過ぎないのです。
そして、そもそも個人的に思うだけですが、「命と金って質が全く違うものだから価値の比較のしようがない」と思います。
上述のお金がなくて死んだ事例をよく考えると「そもそも価値の問題というより影響力とかの話じゃね?」とも思えたりしますねえ。
ま、価値の質の違いといってもいいかな?
金は「経済的な価値」であり、命は「主観的ないし倫理的価値」なので本来比べようがないんです。
でも、この資本主義経済の世界では「経済的価値の方が影響力が強い」ので倫理的価値に勝つ場面が多いんでしょう。
だから、本来この二つを並べて「こっちが重い!」ていうのはまあ無理な話です。
ま、こんなもの比較しても仕方ないですねえ。
結局、「場面によって何が優先されるかが変わる」ってだけです。
ま、あんまり金が命より重要になる場面ってないと思いますがね、一般的には。
ん?
そう、思いたいだけか?
いわゆる拝金主義は不幸の元
経済的価値の影響力が強い現代では、いわゆる「金こそすべて!」のような拝金主義が蔓延しています。
そして、こんな拝金主義も中二病的にこじらすと
「金を持っているものこそえらい。貧民は虫けらであり虫けらに権利はなく連中の命にも価値はない。虫けらの命は資産家の所有物である」
なんていう極端な思想になったりします。
てか改めてみると、これって帝愛グループ総帥の兵頭和尊っぽい思想じゃね?
地下強制労働とか普通に実施しそうな感じの思想ではありますな。
ま、間違いなくサディストかつサイコパスですわ。
でもですね、この考え方だと幸せとは程遠い人生になります。
お金に関する考え方をマネースクリプトといいますが、この「金を持つ者こそえらい」という発想を「金銭ステータス」といいます。
この考え方では大して幸せになれません。
そうではなく、「お金は自由になるためのものだ」と考える「金銭崇拝」の方がいいんですね。
それに金の亡者になると、聡明なあなたもご存じのように「自己中を極めし者」になります。
早い話が人から奪い取ることしか考えない「テイカーになる」ってことです。
テイカーの成功なんて高が知れてますし、長続きしません。
おまけに良好な人間関係だって築けないでしょう。
そういう点では、テイカーは「人生の負け組」です。
お金をいくらもっても「幸せとは程遠い人生だ」といえるでしょう。
やはり、わたしたちは人間関係を大事にしていった方が人生に対する満足度は高いんです。
拝金主義なんてやめたほうがいいですね。
参考記事等
結局、命に価値があるというのもただの信仰
ここまで価値における「金VS命」の戦いを見てきたわけですが、結局のところ法も倫理も抜きにして考えれば各自が大事にしたい方を重んじるしかないと思うんですな。
まあ、あんまりこういうこと言うのもあれですが、「命が尊いというのは一種の信仰にすぎない」といえると思います。
そう、命に価値があるというのは実際には「単なる思い込みであり願望にすぎない」ということではないかなって話です。
おっと、お回りさんに通報するのは勘弁して(笑)。
でも、「命は尊い」という前提は今の社会を成り立たせるうえで大いに役立っているし、ほとんどの人は「自分は殺されたくない」と思っているわけですから、まあいってみれば「都合がいいし役に立っている思い込み」なんです。
だから、これを否定する必要は全然ないですし、しなくていいですね。
てか、されてほしいとも個人的には思いませんな。
ただ、こういった問題を考えるときに思考実験的な意味で「命が尊いのはある種の思い込みである」とするのはありだねってことです。
そう考えると、ますます「金は命より重い」といわれても「ふーん、君がそう思うんならそうなんだろうね。君の中ではね」て感じでおしまいかもですねえ。
ま、知らんけど。
おわりに
この記事では「『金は命より重い』は別にいいけど、その考え方も過ぎると人生詰まんなくなるよ」と述べました。
はい、『金は命より重い』は真実の一側面ではありますが、真実そのものではありません、断じて。
しょうもない極論も言い切ってしまうと「さも正しいように聞こえる」んですよねえ。
この考えが行き過ぎたものが
「金を持っているものこそえらい。貧民は虫けらであり虫けらに権利はなく連中の命にも価値はない。虫けらの命は資産家の所有物である」
なんて感じの凶悪な拝金主義ではないかと思われます。
しかし、この考え方では原則として幸福感を得られません。
「お金は自由を実現してくれるもの」と考えるのが一番幸福に近づけます。
お金はきれいでも汚くもありません。
ただの「通貨」であり「手段」にすぎません。
あなたの自由を実現する、、、。
単なる手段風情に人生を左右されないようにしたいものです。
そういうことを胸にカイジを改めて見返してみましょうかねえ、、、。
そうしたら、、、
(ざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわ、、、、、、、、、、)
『圧倒的教訓!!』
では!
参考記事等