今回は以下のような方に向けておおくりします。
・罪悪感なんていらないと思っている人
・罪悪感を感じること自体が嫌だと思っている人
・罪悪感の機能について考えてみたい人
・話しのネタが欲しい人等
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「「罪悪感はいらない?」罪悪感は非常に扱いが難しい感情である」という話です。
罪悪感って嫌な感情ですよね。
なんせ、感じている時は凄くモヤモヤしますし、、、とても気持ちが悪いです。
特に、罪悪感を感じやすい人からしたら「こんな感情がなくなったらどれだけ人生生きるのが楽になるか、、、」なんて思ったりするでしょう。
でも、罪悪感を感じること自体が悪いとかいいとかはないんですよね。
結局、使い方と言えるでしょう。
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では、ゆるりとおおくりします。
目次
罪悪感とはそもそも何でどんな時に生じるものなのか?
罪悪感とは、非常に簡単に言うと「悪いことをしたので自分は罰せられなければならないと感じる感覚」の事です。
罪悪感は、「罪の意識」と言い換えてもいいかもしれません。
罪悪感は、「自分の中に存在している正しいとされるルール(規範意識)に違反した時に生じる」ものです。
※規範意識とは、例えば人道やモラルといったもの。当人の属する社会や文化が違えば規範意識も変わる。
だから、いわゆる規範意識や共感性、良心等の欠如した反社会的サイコパスは、「罪悪感を感じる事がない」と言われたりするわけですね。
ちなみに余談ですが、
「規範意識から社会性の一切を取り去った「自分にとって『だけ』正しいと思われるルール」を規範意識と置き換えるなら、サイコパスにも罪悪感があるといえるのではないか?」
という事を言う人がおります。
結論から言うと、「これはあり得ません」。
例えば、「一度でもある一定以上の水準で敵対したことがある敵は絶対に殺害しなければいけない」という強固なルールを内心に持つサイコパスがいたとします。
この場合、もしサイコパスが、敵を殺し損ねたときに「わたしは敵を殺すというルールから逸脱した!」と自責の念に駆られていたとしたら、これは「罪悪感を感じている内にはいる」のでしょうか?
答えはノーです。
そもそも、罪という概念は「良心の存在を前提とし社会性と密接に結びついている」ためこのような使い方は妥当ではありません。
「良心の欠如している状況下では罪悪感は存在しない」といっていいです。
反社会性サイコパスが感じているのは、より厳密にいうなら「罪悪感というよりは『自分で設定したルールから逸脱したことにより感じている単なる不快』」と言えます。
なお、罪悪感を感じやすい理由の一つには、共感性が高すぎる事があるとの見方がありますね。
罪悪感を感じる事のメリットデメリット
罪悪感を感じるとモヤモヤして大変気分が悪いので、罪悪感を肯定的にとらえたくない人は多いでしょう。
これは罪悪感に限ったことではありませんが、そもそも「この世界に完全なる善も悪もなくすべてはただそのようなあるだけ」なので、罪悪感にはいい面もあれば悪い面もあります。
という事で、ここで罪悪感のメリットとデメリットを少し確認してみたいともう次第。
・「適切に活用すれば」、現在や将来の人間関係を完全を改善する動機となる
・人道的に逸脱した行動をとる抑止力となる
・自尊心の低下
・心身が疲労する(特に感じやすい人に顕著)
・自分自身の能力が罪悪感を感じる事で抑制されてしまう
・過度に罪悪感を感じると、問題の対処方法として非合理的でまるで有効でないものを採用するなど現実に対し著しい不適応をおこす
罪悪感を感じる最大のメリットは、「対人関係の改善や社会性の維持の動機になる」といったものでしょう。
もし反社会性サイコパスのように罪悪感を持たないとすれば、「わたしが気に食わないから殺したんんですが何がいけないんだい?」とか平然と考える者が多数出現するでしょうから社会の存立が危うくなります。
罪悪感の存在は、社会を成立させるためには不可欠と言えましょう。
ただその一方で、罪悪感が肥大化しすぎると自尊心が著しく損なわれてそれが原因で自暴自棄になってしまったり自死する人もいたりしますから、その暗黒面には目をつむることはできません。
罪悪感は有益でもあり非常に扱いが難しい厄介な感情でもあるといえるでしょう。
罪悪感を賢く使いこなすにはどうしたらいいのか?
先ほど見たように、罪悪感にはメリットもあればデメリットもあります。
出来る限り、罪悪感のプラスの部分を活用しデメリット面の表面化を防ぎ現実に適応的に生きたいもの。
という事で、ここからは罪悪感の賢い使い方についてかんがえていきます。
罪悪感を賢く使いこなすには以下の様な要素が必要だと考えられる次第。
- 健全な批判的思考力
- 論理的思考
- メタ認知
- 「他人を傷つけてはいけない」という思考からの脱却
- ストレス管理や逆境耐性
以下順次捕捉です。
・健全な批判的思考力
罪悪感と同様に何事にもいい面と悪い面があります。
しかし、感情に支配されるとそのどちらかしか見えなくなるなんてことはあるものです。
そんな時には必ず「~にはいい面があると思っている。しかし、いい面しかないのだろうか?~がネガティブに働く場面はないのか?」等と一度しっかりと反論する癖はつけたいもの。
常に「物事を批判的に見る」という姿勢をもって持ちましょう。
もし、自分の行いについて強く糾弾されるような場面があったとしても、「果たしてこの相手の主張は正しいのか?自分に非があるとの見方は妥当なのか?」と閑雅てみる必要があります。
実際、相手の自尊心を弱らせて自分が主導権を握る目的で罪悪感を煽ろうとするヤカラはたくさんおりますからね。
相手の主張をそのままうのみにするのはいけません。
必ず一度は心の中で反論してみましょう。
・論理的思考
相手の主張が筋が通ったものなのかどうなのかをシッカリと見極めるために論理的思考力を持ちましょう。
人は感情的になると極論や妄想じみた根拠で根も葉もないことを言い放ったりすることが多々あります。
そんな理不尽で不合理な主張によって、罪悪感を抱かされるのは間違っているといえましょう。
「論理的に自分に非があるとの解釈は筋が通っているのか」としっかりと考えるようにするのです。
論理的に自分に非がないと解釈されることに関して、自責の念を持つ必要はありませんね。
・メタ認知
感情に飲まれないため、また物事を客観的に第三者視点から見て妥当かどうかを判断するためにメタ認知が不可欠です。
※メタ認知とは、簡単に言うと物事を客観的に見る能力の事。
メタ認知が欠如していると、理不尽な事で罪を糾弾されたときに「ああ、わたしが悪いからだ」等と不合理な罪悪感を持つでしょう。
また逆に「自分の中では正しいはずだ!」と社会的文脈からの解釈ができなくなって結果的に社会との間に不要なあつれきを生むようになってしまいます。
メタ認知は瞑想などによって鍛えるといいでしょう。
・「他人を傷つけてはいけない」という思考からの脱却
多くの罪悪感を抱きやすい人が陥って言うであろう思考に、「人を傷つける事は悪である」という強い強迫観念にも似た思考があります。
一見すると、非常に倫理的なモラリストのようですが、この考え方では現実に不適応です。
理想論的すぎて、現実世界では通用しない考えなんですよね。
人と人が関わりあう限り、必ず傷つけあう事になります。
問題なのは、「傷つけない事」ではなくて「どの程度魔なら傷つけても許されるのか」という傷つけていい限度をシッカリと見極めるという事です。
とりあえず、「人を傷つけてはいけない」という考え方はなるべくしないようにしていきたいもの。きずつえ
詳しくは以下。
・ストレス管理や逆境耐性
当ブログにて何度も言及している事ですが、そもそもストレスによって認知能力は著しく損なわれます。
上述した論理的思考も健全な批判精神もメタ認知も過度のストレスを感じている状況下では、適切に機能しません。
そのため、罪悪感を感じやすい人は特にそうですが、「日ごろからストレスを可能な限りためない様に努力する」ようにしてください。
具体的なストレス対策は以下の記事を参考にしてみて下さいな。
また、ストレスへの耐性をあげる習慣作りも有効でしょう。
ストレス耐性をあげる方法は以下参照。
ちなみに、自分に非がある際の罪悪感との向き合い方については以下の記事を参考にしてみるといいでしょう。
おわりに
この記事は「「罪悪感はいらない?」罪悪感は非常に扱いが難しい感情である」と題しておおくりします。
罪悪感を感じるのはいい気分ではありませんが、罪悪感自体に善悪はなくメリットとデメリットの両方があります。
罪悪感があることでわたし達は人間関係を良好に保っていけるともいえるので、罪悪感は社会生活においては非常に有益です。
なるべく罪悪感のデメリット面が表面化しない様にしていきたいものですねえ。
では!
参考記事等