今回は以下のような人に向けておおくりします。
・人の心理をことさら分析しようとする風潮が何か嫌な人
・人間性心理学について知りたい人
「心理学って人の心理を分析して『この刺激が来たらこう反応する』みたいな話が多い気がする。まあ、分析は大事だと思うよ、、、でもさあ、、、なんか個人的にちょっと抵抗があるわ、、。だってさ、この傾向が推し進められると、「人の心は全て分析できる」て発想にならん?こういった発想自体に抵抗があるんだよなあ、、、、、これっておかしい?」
ふむ、確かにあんまり分析分析って言いすぎると、なんだか人の心を物扱いしているようで抵抗ある人もいるだろうなあ、、、。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回は「「マズロー」人の成長や健康には一体何が必要なのか?「人間性心理学」」という話です。
心理学は元々は哲学の一部でしたが、それが独立して一つの分野となりました。
心理学の研究は初めはかなり客観性に欠けるものでした。
しかし、徐々に人の心理を客観的に分析する方法が確立されていき、人の心理を数値化して分析できるようになっていって今に至ります。
そして、心理学では長いこと「精神疾患や異常心理等について知見を深める」目的で研究が進んできました。
今回取り上げる「人間性心理学」というのはそのような流れの中で出てきた新しい流れです。
凄く雑に言うと、「個人の違いを重視して人が自己実現していくこと」を重視しようとする流れができた問うことですねえ。
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では、ゆるりとおおくりします。
目次
人間性心理学ってなんじゃ?
人間性心理学(またはヒューマニスティック心理学)とは端的に言うと、
「人間を環境や他者からの外部刺激に操作されたり反応する受動的な存在ではなく、自由意思をもった独自性ある人格をもった存在としてとらえる心理学」
のことです。
参考
https://kotobank.jp/word/%E4%BA%BA%E9%96%93%E6%80%A7%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6-1574764
この人間性心理学登場以前の心理学では人という存在をあくまで「外部刺激によって反応する受動的存在」、いうなれば「機械や何らかのシステム」のようなものとしてとらえていました。
そんな「人間から人格や尊厳をはく奪してもっぱらモノとしてとらえる」ような風潮に疑問を提示をしたのが人間性心理学なわけです。
ちなみに、個人的な見解でしかないですが今の社会は今度は逆に「お気持ち主義的」、つまり「主観的な気持ちを大事に『し過ぎる』」傾向に陥っているような気もします。
これはこれでまあ困るんです。
共感は大事ですが、しているだけでは感情的になるばかりで問題を解決することはできません。
もっと、具体的に言うと「身につまされるという気持ちが先行してはいけない」ってことです。
共感は大事にしつつも心を冷静にモノとしてみる視点も堅持せねばいけないといえるでしょう。
はい、余談でした。
マズローの欲求段階説
この人間性心理学の提唱者として代表的な人物にはあの「欲求段階説」で有名なアメリカの心理学者であるマズローさんがいます。
マズローさんは「人間は自己実現に向かって絶えず成長する存在である」という仮定をしたうえで、人間の欲求を5つに段階分けしました。
その分類がお馴染みの以下のような図ですな。
引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96
この図にある5段階についてそれぞれ一番下の層から簡潔に説明すると以下の通り。
・1段階:生理的欲求
生きていくのに不可欠な本能的欲求が該当。
例:睡眠欲、食欲、はいせつ欲
・2段階:安全欲求
危険を回避して安心して安全に暮らしたいという欲求。
・3段階:社会的欲求
家族や友人、会社等から受け入れられたい欲求。
つまり、何らかの集団に帰属したいという感情や愛情を求める欲求のこと。
なお、この欲求が満たされない状況が続くことで不安や孤独感を感じやすくなるという。
・4段階:承認欲求
他者から認められたいという欲求。
例:出世欲、名声欲等
・5段階:自己実現欲求
自己実現欲求とは端的にいうと、「自分があるべきと思う自分になりたい」という欲求のこと。
なお、これらの欲求は一段階下の欲求が満たされると次の段階の欲求を満たそうとするとされています。
つまり、
「一段階目の生理的欲求がロクに満たされない状況であるにもかかわらず、5段階目の自己実現欲求に至る」
なんてことは不可能ってことですね。
一段一段階段を上るように徐々に上がっていくしかないわけです。
自己実現の先の地平
さて、マズローさんの欲求段階説について、上述の5段階までしか説明されないことが往々にしてあります。
しかし、実はこの5段階の上に6つ目の段階が存在しているんですな。
その6つ目というのが
「自己超越欲求」
というもの。
この欲求はその名の通り「自分を超えた欲求」、つまりクサい言い方をするなら「社会をよりよくするために邁進したい」とかそんなものです。
例え、自己実現欲求にしたがって世界有数の資産家になるとか大国の指導者になるなんてことを成し遂げても、いつになっても欠乏感がなくなることはないんですな。
そう、自己実現には際限がないわけです。
どこまで行っても終わりがないわけ。
しかし、この自己超越欲求と呼ばれる段階にいたっては欠乏感は消え、心は非常に安定して穏やかであるといいます。
まあ、宗教的な言い方をするのであれば「悟り」の状態っていうことでしょうか。
なお、この悟りに相当する状態を心理学ではPNSEといったりします。
ちなみに最近は瞑想等によってこのPNSEに至れるなんて話がありますねえ。
PNSEについて詳しくは以下。
まあ、マズローさんが言う自己超越とPNSEが完全に同一なものであるかは断言できませんが、「他人と比べて自分の在り方をどうするか?」みたいな思考に支配されすぎているうちは幸せはこないよなってことはいえるでしょうな。
ただ、一つ注意しておかなければいけないのは、「欲求段階説は結局のところ科学的な確たる証拠に基づいたものではない」という事です。
こういっては何ですが、「マズローさんが建てた仮説」の域は出ないといってもいいわけですね。
自己開発系の人にはこの欲求段階説を持ち出して人間の成長を語る人が非常に多い印象ですが、その情報の受け手の立場としては「欲求段階説はあくまでも一つの仮説であって妄信する類のものではない」という事をキモにめいじておくことが重要かと思います。
まあ、いささか進化心理学の信用性に関わる問題と少し通ずるところがありますねえ。
おわりに
今回は「「マズロー」人の成長や健康には一体何が必要なのか?「人間性心理学」」と題しておおくりしました。
人間性心理学というものが何かについて少しのべてみた次第。
心の安定には心をモノとして冷静に取り扱うという視点が欠かせません。
しかし、それだけではやはり人の心を真に理解する、そして何より相互に信頼関係を築くことは困難ですね。
これまでの心理学の歴史の変遷に見られるように、自他の心に対して「モノ」としてみると同時に「一つの人格や尊厳ある独自の存在」としてみる視点をバランスよく堅持していきたいものです。
結局、「どっちか片方にばかりより過ぎるとうまくいかないよ」ってことを、歴史が教えてくれている気がしてなりません。
では!
参考記事等
参考