「才能がないのに努力なんてしたって正直報われないしロクな事がないよ。才能がなかったら努力なんてしたって無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!!」」
あーあ、完全にディオ様にかぶれてるやん。
無駄言いたいだけやんけ。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「努力は無駄とか報われるとかそんな事はクソどうだっていいのである」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
・才能がないのに努力なんてしたって無駄だと思う人
・努力なんて嫌いだって人
・努力は報われるとは限らないと知って努力に嫌気がさしてきている人
・話しのネタが欲しい人等
確か以前の記事でも触れた気がしますが、「努力が必ず報われるとは限りません」。
もっとも、「ある目的を設定したうえでの努力」に関してですが。
努力をしたら必ず報われるんだったら、まあこんなに気分のいいことはありませんな。
でも、現実はへーきな顔で努力の野郎はこっちを裏切ってきます。
「自分なりに頑張っては見たけど思ったより営業成績良くなかったー。むしろ下がったー」
「自分なりに頑張ったけど模試の成績悪すぎオワタ」
、、、見たいにね。
まあ、そういう裏切りに私たちはしばしば合うんですけども、それでも努力をしないなら「間違っても自分が望む方向へは進めない」のです。
それだけは確かですよ。
なのでね、あまりに努力が報われるかどうかにばかり固執している人には言いたいです。
「君さ、それでいいのか?報われるかどうかも大事だけど、進みたくないのかい?流され続けてどこへ行くかもわからんん漂流人生でほんまにええんか?」とね。
おっと、なんか修造さんみたいになってきたんでこの辺にしておきますかな。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
努力は目的達成の必要十分条件じゃない
よく聞くことですが、「成功者は全員凄い努力をしている」のは確かです。
わたしを含めたパンピーたちは得てして、「あの人は才能があったからあんな風に大成したんだー!」て言いがちですが、彼彼女らにはそもそもその才能を活かすだけの努力をしています。
なので、きっと彼彼女らからしたら
「は?何でもかんでも才能で片づけやがって。こっちはかなりつらい思いをしつつも懸命にやってきたんだよ。まずはこっちと同じくらい努力してからいえよな」
みたいに思っていそうです。
向上心がある実力者の人で自分がしてきた努力を軽視されるのを嫌う人ってかなり実際に居てます。
むしろ、才能だけ褒められていい気になるのってなんか中途半端な人が多い気がしますなあ。
とまあそれはいいとして、成功するために努力が必要な事は自明の理なんですが、「努力は成功を保証しない」んですよね。
論理学的に言うなら、「努力は成功の必要十分条件ではない」ってことです。
まあ、「成功者ならば、みな努力している」という命題が成立するので、努力は成功者であるための必要条件って感じですかな。
努力すれば絶対に東大に受かるわけでもなく、努力すれば絶対に資産家になれる訳でもないです。
それにこれもよく言われることですが、方向性を間違った努力はこちらをいとも簡単に裏切ってきますからね。
「努力は報われる」という言葉を信じたい気持ちにはかなり共感できますが、現実的には努力に対して報われるか否かをあまり気にするべきではないでしょう。
努力したいかしたくないかが一番問題だ
努力は報われるかどうかわからないものです。
なので、「報われるかどうか」をあまり意識しても正直意味がありません。
確かに、努力するからには報われるようにやらないといけませんが、大事なのは何をおいても「自分がやりたいかどうか」という事です。
少々極論じみてはいますが、「結果はどうあれやらないと気が済まないんだ」という気持ちがそこにあるかが重要だという事ですよ。
「報われるかどうか」にばかり焦点を合わせると、「自分はなんでそこに向かって努力するのか」といったそもそもの動機を忘れがちになって何とも不毛な気持ちになるという事。
なので、定期的に初心に帰る必要はあります。
なんで、あなたはそれが欲しいのか?
それを得るために今努力しようとしている方向性は正しい?
、、、そういった、問いを投げかけて自分が本当に向かいたい所は何かをはっきりさせるのも大事なんですよね。
特に、努力する際には、「努力の方向性は間違っていないか?」の検討は非常に重要です。
おかしな方向へ頑張ってもなにも成果につながりませんからね。
ちょっと、例として適当かはわかりませんが、例えば「将来モテたいから勉強していい大学に入りいい企業に就職する」と考えている男子高校生がいたとしてます。
ここでの努力の動機は「モテたい」なわけですが、これってモテるために正しいアプローチでしょうか?
多くの常識人は正しいというでしょうけども、あくまでモテるという事に関しては「あまりにコスパが悪くて有効とは到底いいがたい」です。
勉強を頑張ったところで、モテるようになんてなりません。
むしろ、勉強しかしないでいると変に理屈っぽくなって女性から嫌われるうんちく系男子が出来上がるかもしれません。
あくまでモテるかどうかにフォーカスするなら、勉強はそこそこにして異性慣れするとか雰囲気イケメン以上になれるように身なりに気をつける、成功体験を積んで自信を育てるとかそういった事を戦略的にやった方がよほど意味があるでしょう。
事実、高学歴だけどやぼったい最近の言葉でいうならいかにもチー牛って感じの男性は本当に多いです。
「あんな感じで異性から好かれることなんてあるのかなあ?」とかなり失礼ながら、思うような人も結構いますしねえ。
もちろん、モテる事よりも純粋に学問に心酔して努力している人もいっぱいいるんでしょうけども、多くはモテるモテないの延長線上に勉強などを頑張っている気がします。
そう考えると、多くの人が間違った方向に努力していますよね。
努力するなら今の努力の方向性が間違っていないかもきちんと吟味したいところですな。
そもそも人生に結果主義を持ち込んだ時点で負け!
普通、「努力する」と言うとき、わたし達は「何かしらの達成したい目的」の存在を想定しているものです。
だからこそ、「努力が報われない」事も多発するといえます。
何かの目的を達成するための努力は、「想定する目的が達せられなかったら無駄になる」と言えますからね。
ここで感がいい人はおそらく「努力を無駄にしないためにはそもそもの目的を変えてしまえばいいのではないか?」と思ったかもしれません。
はい、これは一理あります。
いわゆる「努力は必ず報われる」という人の多くは、この考え方を応用している気がするんですね。
彼彼女らの多くは「いつどんな形で自分の今の努力が役立つかわからない。努力は目に見えない形で必ず役に立っている」といった感じの論法を使っています。
つまり、「目的をあいまいにしてしまう」という方法ね。
まあ言い分はわかるんですけど、なんか無理やりというかどうもしょうもない気休めを聞いている気はしますよね。
どうも、けむに巻かれている様なしっくりこない感じです。
なんか、「あっそ、いつ報われんのかね。100年後かな??w」とか茶化したくなる気もしてきますわ。
ただ、この考え方にも同意できることろはあります。
それというのも、「人生単位で見たら何らかの目的を達するために努力する」というのはどうも方向性としては間違っている可能性が高いからです。
ちょっと表現が難しいですが、目的はいわば点ですが人生とは柔軟に行き先を変えていく矢印みたいなもの。
目的志向と人生ってそもそも相性が悪いんです。
ちょっと、この例えの理論的な背景を説明するときりがないんで、詳しくは以下をご覧くだされ。
努力を「特定の何がしかの目的のためにする」という限局的なとらえ方をするのではなく、「人生単位でとらえるようにする」とあまりその努力の結果としてもたらされるものに執着するん事が減るんじゃないかっていう話です。
ただ先ほどから言っている通り「努力の方向性」は重要でして、その方向性は「自分が人生にこうあってほしい」とか「こういったものを大事にしたい」といった気持に答えるものであることが重要です。
これは「努力すること自体に意味を感じる状態」と言えるでしょう。
自分が人生において何を大事にしたいのかを明確にして、その大事にしたいものが指し示す方向へと努力して人生をいき行けば後悔が少ない人生を全うできるという事です。
努力自体に報われる報われないという意識を強く持ってしまうのは、「今の努力が特定の目的の達成について有効に機能するか否か」という限局的な見方に終始しているからといえます。
なので、努力の方向性を定め目的はその延長線上にあるくらいの気構えで努力を続ければ、あまり目的ごとに報われたか報われないかに頓着しなくて済むんじゃないかなって話です。
なんか屁理屈っぽいかもしれませんども、そういう事ですな。
あ、そうそう、才能に関しては誰でも持っているものですので、以下の記事を参考にして自分の才能を探してみる事をおすすめしマウス。
おわりに
この記事は「努力は無駄とか報われるとかそんな事はクソどうだっていいのである」と題しておおくりしました。
努力は必ずしも報われません。
特に、方向性を誤った努力はやすやすとわたし達を裏切ってきます。
なので、あまり努力に関して「報われるか報われないか」を意識しすぎるのもなんか違うかなって思ってきてしまいますね。
もっと視野を広く持って努力を特定の目的達成の為から人生単位でとらえるといった方向へシフトさせられるといいかもしれません。
まあ、言うは易く行うは難しっていうから難しいけどねー。
わたしもまだまだ修行が必要じゃ。
では!
参考記事等