「心に寄り添う」の本質的な意味について改めて真面目に考えてみた

「心理系の人達ってよく「心に寄り添う」っていうけど、なんか言葉の意味がよくわかんないわ。正直、共感するのと何が違うの?なんかただ「私思いやりある人ですよアピール」しているようにしか見えない。ハッキリ言って、幾分うさん臭くもある。」

まあ、なんかよさげな言葉ならべているだけで本質がよくわからんってのはあるわな、うん。

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「「心に寄り添う」の本質的な意味について改めて真面目に考えてみた」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ

心の寄り添うとはどういう意味なのか改めて考えてみたい人
・話しのネタが欲しい人

なんか、前も似たような事を扱った気がしますが、今回もう一度改めて「心に寄り添う」という言葉の本質的な意味について考えてみたいと思います。

「心に寄り添う」と言うと、どうも多くの人達は上手く言えないんですけども「相手の痛みを我が物にする」的な感情主体の解釈をしている様です。

これって、人間心理を相手にする立場からすると、「もう完全に論外」だと思うんですよね。

ハッキリ言って、こういう感情主体で「心に寄り添う」をとらえている人って語感がいいから「人の心に寄り添う~」て言っているだけなきがしてきます。

わたしは「身につまされる事を良しとする人」に対しては、個人的に「悩んでいる人と一緒に同じように悩んでどうすんの?道先案内は誰がすんの?一緒に迷う気?何がしたいの?」て気分になるものですよ。

はい、感情優先な「心の寄り添う」論にはもうなんかうんざりです。

て、事で、改めて「心の寄り添う」とはどういうことなのかについて考えてみたいと思う次第。

ちょっと、今回は今までよりできるだけわかりやすくいきマウス。

では、ゆるりとおおくりします。

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多くの人は多分「心に寄り添う」の意味を勘違いしている

多くの人は心に寄り添うという語感の優しさというか温度感にばかり気が言って、「一体心に寄り添っているという状態とは何を意味するのか?」なんて考えていない気がします。

「心に寄り添う」という言葉は一般的に、「人の気持ちに共感しその気持ちを深く考える事」とされているようですが、これでは一体何を具体的に言いたいのかわかりませんよね。

まるで中身がありません。

しかしもっと厄介なことに中には、「相手の痛みを自分に写し取り同じように感じ取る事」みたいに言い出す人もいる始末。

なんか、ここまでくるともう個人的に「笑わせないでくれよ」と思ってしまいます。

一緒に悩み惑って苦しんで何がしたいのでしょうか?

そもそも、寄り添う側の役割って何なんでしょう?

まずはそこからです。

寄り添う側の役目は、やはりなんと言っても「相手の苦痛を緩和する事」。

確かに、自分に共感してくれる人がいるというのはありがたいものです。

しかし、寄り添う側の人間には感情的な共感以上に相手の苦痛を緩和するために、相手と自分のおかれている立場や状況を客観的、かつ冷徹に分析的に見る目が必要なんですね。

寄り添う側はいうなれば、「寄り添われる側の第三の目」となっていかないといけないわけですな。

間違っても、相手が悲しそうにしているので一緒に感情高ぶって泣いてしまうなんて事が「寄り添う事だ」なんて事はあり得ません。

これはほぼ断言できます。

心に寄り添うの本質的な意味って何か?

心に寄り添うという言葉だけを聞くと、「何のこっちゃ?」ですが、図にしてみると少しわかりやすくなります。

まず、自分と相手の心の距離に関する通常状態は以下の通り。

※グレーの丸は心。

この通常状態は、相手の不安そうにしているとか悲しんでいるとかいったネガティブな感情変化を「自分」が察知しておらず、かつそれに対処しようとしていない状態です。

具体的に言うなら、「相手が実は悩んでいるんだけど、自分はそれに全く気がついてもいない状態」って感じですかね。

で、次は融合状態。

はい、これがよく感情優先の人達が勘違いしている「心に寄り添う」の状態です。

自分と他者の心がかなり重なり合ってもはや同化してますね。

どちらがどちらの心か区別がつきにくいですよね。

人にとって不安等のネガティブ感情を感じるのはストレスなので、ネガティブ感情を感じると一時的に認知能力は低下します。

ここで勘のいい人は気が付いたと思いますが、「認知能力が低下したら寄り添う側の役目を果たせなくなる」んですよね。

寄り添う側は言い方がかなり難しいですが、「身につまされてあまりにも自分事になったらもう終わり」です。

常にどこかさめているというか冷徹に観察するという視点がないと話になりません。

先ほど、わたしは「感情的な共感」という言葉をつかったと思いますが、これは心理学用語でいうと「情動感染」というものです。

対して、「相手の立場に立つ共感」に関しては他者視点取得と言ったりします。

心に寄り添う事において、一番重要なのはこの他者視点取得なんですね。

正直、情動感染の重要度はあまり高くないです。

いや、むしろほとんどなくても困らない気もします。

さて、では最後に、わたしが「心に寄り添っている」と思う状態です。

自分と他者の心は、一点で接するだけですね。

この一点とは、「相手と自分の感情の共有部分」です。

上図のような状態とは、

「相手の悲しみや不安といったネガティブ感情を希釈したほんの一部分を自分も共有している」

という状態ですな。

これなら感情の伝染による認知力低下は最小限度にとどめて、相手の第三の目となって適切な助言や励ましの言葉をかけられるというものです。

しかし、対応面では相手の感情にふさわしい声のトーンや表情といった対応をとります。

「技術としての共感」も状況に応じて駆使する必要があるでしょう。

唐代の禅僧である僧璨(そうさん)という方が言ったように、「心を心で理解しようとするならどうしても混乱してしまう」のです。

自他の心をある意味物質として冷静に見る視点があってこそ、心の有り様というものがしっかり見えてきます。

相手の心と融合して自他の心の区別が分からなくなっているのは、たんなる自己陶酔の一種とも言える気がしてきますね。

なんせ、「こんなに悲しかったんだね、わかるよ、つらいね」って一緒に感情的になっている自己満足なんですから。

自分の役割を明らかに放棄しております。

心に寄り添っているか否かは結局相手が決める事である

思いやりについての記事でも同様の事をいいましたが、「心に寄り添っているかいないか」は結局のところ

「相手が決める事である」

という事は忘れてはいけないです。

自分がどんなに「寄り添ったぞ」と思っても、相手が「お節介だった」等と思えばそれは寄り添った事にはなりません。

あくまでも相手の立場に立つことが必要とはこれが故です。

もし、感情的になっていると冷静に相手の立場や感情変化、ニーズなどを分析できないため独りよがりな善意を押し付けがちになり、結果として「ウザくて有難迷惑な奴」になってしまう事も少なくないでしょう。

そのため、心に寄り添う側は極力常に「精神が安定した状態」を保っていないといけないといえるでしょうな。

まあ、完璧にそうでなくとも目指した方がいいとは思います。

なお、具体的にどうやって心に寄り添えばいいかについては、「戦略的思いやり」の記事を見てみて下さいませませ。

まあ、これで大体言いたいこと言ったかな。

あー、スッキリした!

おわりに


この記事は「「心に寄り添う」の本質的な意味について改めて真面目に考えてみた」と題しておおくりしました。
今回は改めて「心に寄り添うとはどんな意味なのか」について述べてみました。

正直、心に寄り添うにしても思いやりにしても、普通はもそっとふわっというか直感的に理解されているものですし、まあそれでもいい気もするんですが、、、まあ性分でしてねww

なんか、自分がそれなりに熱心にやろうとしている事柄に関しては、どうにも理屈が通らないとかただ雰囲気だけって感じが好きじゃないんですよねえ。

やるならロジックを明らかにして、システマティックに分類整理し、、、みたいに思ってしまいます。

ちょっとね、いいような悪いようなって感じですが、まあそんな感じ。

相手の感情に敏感なこと自体は悪い事じゃないんですけど、その制御はきちんとしたほうがいいよねっていうのは思いますねえ。

ま、そゆこと。

では!

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