今回は以下の様な方に向けておおくりします。
- ・自分は普通ではないと悩んでいる人
- ・普通とか常識というものが何なのかわからなくなっている人
- ・話しのネタが欲しい人等
「普通に生きて普通に就職して普通の幸せが欲しい、、、、それだけしか望まないで生きているのに、なんでこんなにも生きにくいの?私だって自分なりに一生懸命にやってきたつもりさ、、そりゃ他人から見たらまだ足りないのかもしれないけどさ、、、。なんでなんだろうか、、、、もう疲れたわ、、、、。」
、、、、普通、、、そうね、、、普通って何?
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「「普通になりたい」という人は、普通という概念を変えると生きやすい」という話です。
さて、早速ですが質問であります。
「普通」とは何でしょう?
未だに社会の多くの人は、普通に就職して普通に結婚して普通に生活して普通に、、、、、、、、、、、
普通に?
普通って何さ?
何よ?
、、、、何が普通、、、、なの?
世の中をごらんなさいな!
「あなたの中の普通」は本当に『普通』なの??
いわゆる婚活市場にもいますよね、、「わたしは普通の人と結婚したいだけです」ていう女、、、、、。
男もそうですよ。
一体普通って何なんですか??
もしかして、その普通って「全然普通ではない」のでは?
普通というものをどうとらえるかで人生の生きやすさって変わるとおもいます。
今回はそんなお話。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
普通ってなんぞ?
さて、普通の意味を一回確認してみましょう。
何事もその「定義」から出発しないといけないからね。
はい、普通とは、、、、
[名・形動]特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。「今回は普通以上の出来だ」「普通の勤め人」「朝は六時に起きるのが普通だ」「目つきが普通でない」
引用元
、、、、んー、、、、特に変わっていない、、、、ごく当たり前、、、、それがあ、た、り、ま、え、、、、
これは何つーか、、、「説明になってない」、そんな気がするのはわたしだけ?
しいて言うなら「世の中の大多数がやっていること」が普通??、、、、。
どうやら、辞書に頼ってもダメみたいですね。
残念!!!
一般に言われる普通は全然普通じゃない!
さて、上記の辞書の定義からは「普通」の意味が全く見えてきませんでした。
では、一般に言われる普通ってなんでしょうか?
これは実に曲者です。
そして、そもそも「普通」なんてあるんでしょうか?
これは個人的な意見になるかもですが、「普通なんてその人の意識の中にしかないのではないか?」と思います。
もっとも、綿密な調査を行ってしっかりとした統計情報を基準にすれば、データとしてある程度普通というものが浮上してくるかもしれません(ま、統計の取り方自体も問題だけどね、、、)。
ただ、誰かが普通という言葉を発するとき、別に綿密な統計情報をもとにして「これが普通だ」なんて言っていないはずです。
大方、「自分の中での普通」をもって「それが普通だよ」等というんじゃないかと思うのですよ。
でも、そんな普通はその人それぞれの所属する集団や個人の感性等により強い影響を受けているので、どれも重なるところはそれなりにあれど全体で見たらお互いにかなり違っているはずです。
例えば、結婚相手を探そうとする婚活中の女性にありがちであるとされることとして、「普通の基準が異様に高い」なんてのもありますね。
女性が「別にイケメンじゃなくていいの。普通の人でいいの」というとき、その「普通の人」は男性からしたら十分にイケメンであるなんていう笑ってしまうような話もあるんですな(実際、わたしはこれを聞いて大笑いしたヨ)。
女性側としてはその普通は「妥協点である」というだけにすぎず、日本社会という規模で考えたらその普通は十分に上位層であったということかもですね。
年収に関してもそう。
「30歳で500万くらいの年収でいい」とか「40歳で1500万くらいが普通」なーんて、言っている人もいたりしてね、、、、まあ、そんな人には
「そうかあ、国が公表しているデータでも見てこようか(ニッコリ)」
としか言いようがないですよねえ。
んで、こんな風に普通の基準をあげてしまっているのは何も婚活にのめりこんでいる女性に限りません。
例えば、何らかの理由でプライドが高くなってしまった人なんかもそう。
そんな人の言う「こんなの普通だ」という普通は得てして「普通じゃない」のです。
例:営業トップになるのは普通に努力すればだれでも可能なんだよ(by某トップ営業マン)
プライドの高い人はこのように高い基準をあえて普通といって見せることで他人より優位に立とうとしているとも言えますが、このような行為は「自分を苦しめること」にもなります(自尊心が高い場合はこの限りでない)。
言ってみれば、「理想が高い」ってわけです。
でもね、こんな風に理想や基準が大きくなってしまうと、何かの拍子にうまくいかなくなったとき、「もう、おしまいだ」なんて絶望しやすくなってしまうのです。
そして、普通の基準が高すぎる人は「なんでこんなに頑張っているのに、わたし普通になれないの?普通の幸せすらつかめないの?」なんて言い出したりしますねえ、、、。
普通なんてさ、どこにもないのよ、、、、ま、統計を綿密にとればそれっぽいものは見えてくるだろうけどさ、、、、やっぱり、なんか違くね?
「心の負担にならない普通」に「あなたの普通」を置き換えよう
さて、今の日本社会における「普通の状態」とはいまだに「何でもそれなりにそつなく平均的にこなせる状態」を指しているような気がします。
しかし、本来、人の能力にはムラがあるものです。
人の能力はよく見たらデコボコしているんですよ。
現に、あなたの周りにもいませんか?
数字にはめっぽう強いけど顧客の対応がとんでもなくへたくそで毎回のように怒らせてしまう人とかいません?
こんな能力のデコボコがはっきり出やすいのがいわゆる発達障害の人達です。
でもね、それこそが「普通の状態」なんです。
そう、「人間は何かが足りてない状態こそ普通の状態」なんですね。
あーね、比較的新しい認知行動療法における心理療法の手法に「アクセプタンス&コミットメントセラピー(略してACT)」というものがあるのですが、この心理療法においても「何かが不足している状態」というのが普通の状態であるとしているんですね。
まあ、この心理療法は奥が深いのであまり簡単には述べられませんし、わたし自身にのべるだけの体系的知識が今はありません。
なので、この心理療法について今は詳述することは控えますが、この心理療法で採用している「普通」であればだれが採用しても「苦しくはならない」と思います。
ただ中には、「完全でなければ苦しいのだ!」なんて人がいるかもしれませんが、本当ですか?
なぜ、「完全でなければいけないんですか?そして、それは可能なことなんですか?」、、、、。
もしかしたら、それは思い込みかもしれませんよ?
上記のように、「自分の不完全さ」を受け入れて「それを普通である」と考えられたとき、高い自尊心がえられ自分に優しくなり、結果他人にも優しくなれます。
そして、最終的に人の輪に恵まれ人生が充実します。
はい、別にこれは宗教でもなんでもないです。
まあ、気になったら、こんな普通を採用してみるのもご検討ください。
いつでも、変えるために行動は始められるので。
その際は以下の記事も参考にどうぞ。
参考記事等
おわりに
この記事では「「普通になりたい」という人は、普通という概念を変えると生きやすい」と述べました。
結局、普通なんてその人の中にしか存在しないと思います。
なので、自分にとっての普通のハードルを上げすぎない生き方をお勧めします。
今の日本でいう普通の状態は「何でもそれなりに平均的にそつなくこなせる」というもののような気がします。
でも、本来人間の能力なんて本来デコボコいしていて得意不得意が分かれているもんですよ。
なので、今日からあなたの中の普通を「なんでもそれなりにこなせる平均的な状態」から「何かが不足している状態」にしてくださいな。
そして、その状態を受け入れていきましょ。
それがあなたが生きやすくなるのに役立つかもしれないと、わたしが思う一つの提案です。
では!
参考記事等