「自分らしく」とか「ありのままで」とよく言うが、うざいよね

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ

・自分らしさやありのままっていうのが何を意味しているのかよく分からなくてうんざりしてきた人
・話しのネタが欲しい人等

「自己啓発系とか心理系の人達って暇さえあれば、「自分らしく生きろ」とか「ありのまま生きよう」みたいに言っている気がするけど、何かよくわからんよね。自分らしくとかありのままって一体何なのよ?」

ふむ、そうだわな。

正直、ありのままとか自分らしくとか言われても何のことだかよくわからんのよね。

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。

 

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「「自分らしく」とか「ありのままで」とよく言うが、うざいよね」という話です。

ちまたには、「自分らしく生きよう」とか「ありのままの自分で生きよう」なんてスローガンを掲げた自己啓発系の発信者が沢山いますねえ。

なんだか、一聴すると「その通りだ!」なんて膝を打ちたくなる気もするのですが、よくよく考えると「ん?結局らしさとかありのままって何??」て感じで困惑しがちです。

以前も当ブログにて取り上げた通り、いわゆる固有の自分らしさなんてものはありませんし、そんなものを探そうとする必要もないですよ。

正直、自分が大事にしたいなって思う価値を見つけ、それに沿うように生きていったら解決です。

別に「本当の自分は~」とか「ありのままで~」とか言わんでいいんですよね。

てか、そんな「本当の自分」とかにこだわりすぎているとタダの我の強い嫌なやつになるかもしれないって思ったりしますなあ。

状況次第では、「ありのままの自分で~」といった助言は、クソバイスになるかもしれません。

では、ゆるりとおおくりします。

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自分らしさとかありのままの自分とかがなぜここまで重要視されるのか?

最近では、自己啓発系の人と思しき人たちがもうあちこちで「自分らしくいきよう」とか「ありのままで生きよう」とか言っております。

わたしはそういった発信を見ていて、「あー、しょうもな」みたいななんだかすごくけだるい気持ちになっている模様。

正直、「自分らしく」みたいな表現ってあたかも「今の自分は偽であり実は隠された本当の自分がいる」みたいな前提に立っていますよね。

ありのままについても同様です。

これって個人的にかなりバカバカしいなって思っています。

というのも、以前の記事でもすでに言及したことなんですが、「人間の性格なんてものは環境によってかなり変わってしまう」からです。

比率的に言うなら、遺伝と環境が大体半々みたいな感じでしょうか。

なので、「なーにが自分らしくや。さも本当の自分があるみたいだねえ。全部おめえやろ?」、、、なんて思ってしまいます。

ただ、こういった発言が受けるのはまあ分かります。

というのも、わたしが認識している限りで、ここ日本には自分の言いたい事ややりたいことを我慢して常識人を演じている人が多いからですね。

反対に、「常識?そんなもんしるか!この俺がルールだ!」みたいな人もいますが、比率としては圧倒的少数でしょう。

なので、「もっと自分らしく!」みたいな言葉は多くの人の「もっと自分の思った通りに自由に生きたい!」という欲求を刺激するんです。

そりゃあね、自分の欲求が日頃から抑圧されていたりすれば、影響力のある人間が自信満々に「もっとありのままに生きた方がいいぞ!」と言えば、「そうか!そうだよな!」てなりますわね。

インフルエンサー側もこういった事を言うと反応がいいし何なら自分の有料商材を買ってもらえるからってことでこぞってけしかけるわけですな。

そうして、気が付いたら見渡す限り一面「もっと自分らしく生きよう!」の大合唱という、、、。

うん、何だろうね、ちょっと怖いね。

ありのままという名の横暴と勘違い

さて、「自分らしく」とか「ありのまま」という言葉は一聴すると結構気分がいいもんです。

なんせ深く考えだすと「真の我とは何か、、、?」みたいになりますが、表面的にとらえると「よっしゃ、自分が好きにやりたいようにやっていいんだな!」てなりますからね。

「好き勝手やっていいんだぁー。もう誰のいう事も聞かねえぞ!俺は自由だ―!」みたいな感じですよな。

これって言っちゃあれですけど、程度によっては「ただの横暴や有害な自己満」になったりしますよね。

本題とずれますが、よく恋愛の場面で聞くセリフである「ありのままの自分を愛してほしい」というセリフと同じくらいのうすら寒さを感じます。

確かに我慢なんてしないで済むなら我慢なんてしたくないもんですが、我慢を全くしないとなると問題ばかり起こしますな。

社会に適応しない形で我を出すとろくなことはないですね。

我を出すなら協調性とはちょっと違いますけども、できるだけ社会との間であつれきが生れない様な感じでやらないといけないでしょうな。

「自分らしく」よりも「自分にとって望ましい方向」を目指そう

自分らしさ、つまり人の性格なんてものは各人が、置かれている環境などにより刻一刻と変化し続けていくものです。

なので、あまり「自分らしさって何か?」とか「ありのままの自分って何か?」みたいなことを追求する必要はありません。

ある時点での「自分らしさ」とか「ありのままの自分」なんて固定的ではないので、そういったものを明らかにしようと躍起になってもキリがない気がします。

なので自分らしさを追求するよりも、「自分が人生で何を大事にしたいか」をはっきりさせてそれに沿った行動をとるのがいいと思います。

要は、自分がこっちに向かいたいなという方向へ向かって人生を進めていくのがいいんじゃないかってことですな。

おそらく、わたしはそれが一番後悔少なく生きれると思うんです。

自分が人生で大事にしたいものを探したい人は、以下の記事を参考にしてみて下さいな。

おわりに

この記事は「「自分らしく」とか「ありのままで」とよく言うが、うざいよね」と題しておおくりしました。

ちょっと、今回は改めて「自分らしく」とか「ありのままに」なんて事にこだわらなくていいという事について話した次第。

自分の欲求が抑圧されていると、「ありのままの自分」みたいな話にのせられない方がいいですな。

自分らしさなんてものを追求するのではなく、自分が大事にしたいものを探しましょう。

そっちの方がいいと思いますぞ。

では!

参考記事等

「普通になりたい」という人は普通という概念を変えると生きやすい

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