楽をすると不幸になる?楽をしてはいけない?いや楽をするために努力や苦労すればいいよ

「何だろう、、、なんか以前にどこかで『楽をすると不幸になる』って話を聞いた気がする。やっぱり、人生は苦労するしかないのか、、、嫌だなあ、、、苦労とかしたくないよ、、、、。」

んー、どうかなあ?

一体何をもって、「楽」としているのかが問題ではないかな?

人によってラクのとらえ方はいろいろあるからねえ。

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「楽をすると不幸?楽をしてはいけない?いや楽をするために努力や苦労すればいいよ」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ

楽をすると不幸になるという言葉の真偽について気になる人等

どこの誰が言ったかは定かでないけれども、「楽をすると不幸になる」なんて言っている人がいるそうです。

ふむ、まあ直感的には「それはあるかも、、、」と思うものの、必ずしも当たっているとは思わないんですよね。

なんせ、「楽をするために努力する」とか「努力すること自体が快感で苦労を感じることがない」という人もいるので。

うん、例えば、わたしはこれまでになんだかんだブログを内容が足りている足りてないかはおいといて、2021年5月31日時点で700記事近く毎日更新してます。

それでもこれを「苦労した」と思ったことはただの一度もなく、「あー、よく書いているなあ」とちょっとした達成感を感じている程度の話です。

ネタが出て来なくて辛いなあと思った時期もないわけではないですし、眠い目をこすって書いていたこともありますが、結局「楽しかったからやめるという選択をすることがなかった」のですよ。

ええ、苦労とか楽とかそんなこと考えたこともありませんでした。

むしろ、わたしにとってはこういった一連の作業自体が「楽」の部類であったとすら感じます。

だって、楽しいですから!

なので、「楽をしたら不幸になる」という言葉は、よく考えると「なんか違くね?」て思ったりしますねえ。

では、ゆるりとおおくりします。

スポンサーリンク

楽って何だ?

さて、楽とは一体なんでしょうか?

あくまで、辞書によるなら楽とは、以下のようなものであるとのこと。

[名・形動]

1 心身に苦痛などがなく、快く安らかなこと。また、そのさま。「気が―になる」「―な姿勢」「どうぞお―に」

2 生計が豊かなこと。また、そのさま。「不動産収入で―な暮らしをする」

3 たやすいこと。簡単なこと。また、そのさま。「―な計算問題」「―に勝てる相手」

[名]

1 「千秋楽 (せんしゅうらく) 」の略。「今日で―を迎える」

2 「楽焼き」の略。

[アクセント]はラク、はラク。

引用

goo辞書

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%A5%BD_%28%E3%82%89%E3%81%8F%29/

まあ、予想通りだったかな?

で、改めて「楽をすると不幸になる」という言葉を考えてみると、「苦痛を経験しないと不幸になる」とか「簡単な事ばかりしていると不幸になる」といえるんですかねえ、、、。

んー、苦痛を経験しないと不幸っていうのは、心理学的に言うなら心の回復力であるレジリエンスが育たないから逆境に陥るとすぐにおれて再起不能になる危険性があるってことでしょうか。

で、簡単な事ばかりしていると不幸になるっていうのは、簡単な事ばかりしていると全く成長できないので、何も有益なスキルが身につかず後で苦労するぞってことなんですかね?

ふむ、まあそうとらえるなら、あながち間違ってはいなそうです。

ただ、このような解釈は個人的に「楽」というよりもむしろ単なる「怠惰」ととらえた場合の解釈って感じがします。

こういったものは個人的に考える、楽ではないですねえ。

楽するためにする工夫や努力は苦労なのか?

「楽をすると不幸になる」という言葉で言われている「楽」とは、個人的に「怠惰」のことを言っているように思えます。

なので、「楽をすると不幸になる」という言葉は「怠惰になると不幸になる」と読み替えてもいいと思いますねえ。

であれば、「将来楽な状態を作るために今努力したり苦労したり、工夫する」のを徹底して、その結果として「楽になって楽をしている」のであれば「不幸な楽にはならない」ってことっですかなあ。

まあ、結局、怠惰は人生を滅ぼすぞって言う警告なんですよな、「楽をすると不幸になる」っていうのはさ。

「楽をするために努力や工夫をする」であればいいわけです。

もう少し言い方を変えると、「目先の楽をすることを考えるより将来の楽のために努力したり工夫したりしなさいま」っという感じかもしれません。

正直、「楽をすると不幸になる」のがある程度正しいとして、「苦労したら幸せになる」は間違っています。

「苦労は報われる」なんて事はなくて、結局のところ「苦労を何とかして報われるようにする工夫」が大事になってくるので。

なので、「苦労するために苦労する」のは正直言って、救いようがないくらいに本末転倒で愚かな発想といえましょう。

「こんな人が幸せになることは決してない!」と断言してもいいくらいに感じますね。

今の苦労は将来の楽に何とかしてつなげていきたいものです。

苦労なんてないならないに越したことはありませんからね。

ただ、楽をするために努力していく過程で、「嫌でも苦労する場面は出てくる」ってだけです。

避けられない苦労はあえて進んでとるしかないですが、不要な苦労は売ってでも捨てていくのが賢い選択であろうと思います。

いかにして苦労を感じる場面を減らすか、またその苦労自体を減らして最小化していくかが大事なわけですな。

それはみんな努力と工夫だと思います。

好きになれればどうでもいい!

苦労とは言ってみればストレスなわけですが、実はストレス自体は悪いものではなく、そのとらえ方によって悪くもよくもなるという側面を持っています。

人間は何か行動するにあたっては、「自分の意思によって自発的に選択する」事が非常に重要です。

自発的に「よし、やってやる!」に行う努力によるストレスは達成感などに転化されたりする良いストレスとなります。

方や、「しょうがない」とか「やらされている」なんて感じる努力は悪いストレスとなり精神を病む原因となったりするんですね。

なので、どんな時も努力するのなら「自分から進んで向かっていく」のがいいのです。

間違っても、「やらされている」なんて発想ではいけないってことですな。

そういった意味では、「物事を楽しむ」というのは最強です。

もはや、努力するしないといった次元ですらなく、「それをやると楽しい」訳ですから、いうなれば「そのも物事をやっていること自体が楽」といえます。

よく、「努力している奴は楽しんでいる奴には勝てない」と言ったりしますが、まさにその通りって気がしますね。

それに「楽しむ」という視点で取り組んでいる人の心は純粋に「楽しい」という気持ちで満たされているため、そこに「他者と比べて負けている、勝っている」みたいな比較をする気持ちもほとんどないでしょう。

楽しんでいる人は、不幸を感じる余地がほとんどないのです。

「よく好きなことを仕事に」なんていう言葉がありますが、ある程度それは妥当と思うものの「好きな事でも嫌になることはある」のでそもそも「仕事を好きになる工夫」も必要なんじゃないかなって思っています。

まあ、結局、「怠惰でいると不幸になる」のは正しいと思いますねえ。

おわりに

この記事は「楽をすると不幸?楽をしてはいけない?いや楽をするために努力や苦労すればいいよ」と題しておおくりしました。

俗に言われる「楽をすると不幸になる」という分における楽とは、結局「怠惰」と読み替えていい気がします。

なので、「将来楽をするために努力や工夫をする」のであれば問題は全くないわけです。

間違っても、「苦労すればするほどいい」わけでではないので、「苦労するために苦労する」なんてバカな発想はしないようにお願いしますね。

こんな風になると、おそらく幸せになるのは無理な気がしますから。

ま、苦労は少なけりゃ少ないほどいいけど、避けられない苦労は進んで将来のために果敢にとっていきましょう。

楽をするために!!

では!

参考記事等

スポンサーリンク

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事