「どうせ死ぬんだから」という魔法の言葉。死をまっすぐ見つめて生きよう

「ああ、本当生きるのってしんどいわ。仕事は責任重大だし、いつでも誠実がモットーだから不用意で適当な返答とかできなず、どうにも人に質問されたら真面目に答えなくちゃって気持ちになってしまう。」

んー、まあ責任感あるってのはいいことではあると思うねん。

ただ、あんまり気張らなくもいいとは思うんだよなあ。

脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「「どうせ死ぬんだから」という魔法の言葉。死をまっすぐ見つめて生きよう」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ
  • なんとなく、気負い過ぎて生きている気がする人

何となく、毎日疲れている人はいねがー!

、、、はい、なまハゲです!

、、、うん、寒いね。

まあ、でね、そんな毎日疲れている気がしている人達の中には、なんかやたらと気張って生きている人たちっていると思います。

そんな人たちに一言、「もう少しだけ肩の力抜いてもええんちゃう?」

まあ、気を張って生きるのもいいと思いますよ。

そういう真面目さというか誠実さも人生大事ですわ。

でも、もう少しいい具合に力を抜いて「人生を楽しむ」って方に意識をもっていってもいいと思うのね。

だってさ、「人間なんてどうせいつか死ぬ」んですよ?

どうせ死んでしまうからこそ、楽しまな損だと

思うんです。

そして、「いつか死ぬ」っていう当たり前の事実を受け入れて人生の在り方を考えると、意外と「わたしはこう生きたい」みたいな方針んが見えてくるんじゃないかなとも思うんですわ。

では、ゆるりとおおくりします。

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どうせ人なんていつか死ぬよね?

まあ、当たり前なんですけど、人なんていつか死にます。

もう生まれた瞬間から、「終局である死への歩みを始めている」といっていいでしょう。

で、この「人はいつか死ぬ」という事実ですが、普段わたし達はあまり意識していません。

「理屈はわかるが実感がわかない」って感じです。

これは脳のせいもあります。

脳は生きるために、自分と死というものを関連付けないように働いているといいますからね。

なので、普段から自分の死を想定して生きている人って凄く少ないのですが、死という終局がある以上は生きている時間は有限ですので「時間の有意義な使い方」を考える必要はあります。

よくいわれる、「人生を逆算思考で考える」事の必要性ってやつでしょうかね。

まあ、簡単にいうと「どんな状況で自分は死にたい」とか「自分が死んだ後に誰にどういう風に思われたい」といったことを想像して、「そうするためには今をどういきればいいのか」と考えるといいってことですな。

まあ、そんな風に逆算していても、生きていると面倒なことも沢山あるもんで、「だりぃ!マジ生きるって面倒だわ!」なんて吠えたくなる時もあると思います。

そんな時に、「まあ、どうせそうはいってもいつか死んだよなあ~」みたいに思うと、少しだけ「こんな面倒な時間も永遠には続かない」みたいに思えるんじゃないかなって思いますな。

、、まあ、わたしがいつもしている思考なんですけどね。

おわりがあるからこそ、この限られた時間の中をまあできるだけ頑張ろうって気になるって感じかな?

「だらだら生きるのはなんかもったいなくね?」て意識になってきます。

どうせ死ぬからこそ今を楽しんで!

「どうせ死ぬんだから」と思うと、「よし今の時間を有意義に使うぞ!」という意識がわいて来ると先ほど言いました。

しかし、逆の思考も生まれてきます。

「どうせ死ぬのだから、あんまり目先の結果ばかりおっても仕方ない気もするよな。もっと自分が楽しいと思える体験をして思い出みたいなもん作りたいかも」なんて感じですかね。

「時間を有意義に」とかいうと結果至上主義的に人生をとられてしまう危険性があります。

そうすると、人生の結果は所詮「死」なので

「人はどうせ死ぬんだから何を努力して手に入れても最後には失うし、生きてること自体無駄じゃん!」

なんてひどいニヒリズムに到達するかもしれませんな。

なので、死からの逆算は大事なのですが、「その死へ至る過程も楽しむ」という姿勢も大事だと思います。

あまり逆算で割り出した結果を出すために人生を生きるという姿勢だと、人生が幸福になるとはいいがたい気がしますねえ。

もっというと、人生に過剰に意味や使命を求めると不幸になるって感じです。

人生の終局の死を見据えることで生じる「死にざまから現在からの生き方を考える逆算思考」と、「頑張りすぎずに楽しむというちょっとしたいい加減さ」という両輪が幸福に生きるには幸せなんじゃないかなあって気がしています。

ちょっと頑張り過ぎているなって思うときには、「どうせ人間いつか死ぬじゃん」と自分に言い聞かせてもいいかもしれないですな。

まあ、「もう少し余裕もっていこうぜ」て意味合いよね。

、、、とはいえね、こういった相反する2つの思考が互いにバランスを保って併存するためにはやはり「健康な精神状態」がない事には無理です。

こういった言葉を自分にかけるなら、運動を含むストレス対策をしっかりとしたうえで行いたいもの。

出ないと、容易に「あーあ、どうせ死ぬなら頑張ってもシャーねえよな、どうせ全部なくなっちまうもんな」みたいになりかねんので。

、、、んー、少し扱いにくい言葉かもしれないですね。

意外と仲良くなる時に使える文句

人と仲良くなろうとする場面で、「どうせ死ぬんだから」的な言い回しを入れ込むと少し仲良くなりやすい気がします。

そうね、例えば、

「どうせお互い死んじまうんだ。それも突然に。しかもその時は明日かもしれない。今、別れてすぐかもしれない。そう考えたら、今この時をお互いがこの場で共有しているのって奇跡的じゃないか?せめて今くらい仲よくしよう。せっかく奇跡的に会えたのだから」

とか、、、?

んー、自分で書いててさむけがする、、、!!、、けど、まあいいや。

こんな感じ。

要は、「いつ死ぬかもしれんのだから、お互い今くらいはせめて仲よくしよう」ってことなんですけど、意外とこの言い回しはお互いの心の距離を縮める有効打となる気がしています。

ただ、あっただけなのに、こんなこと言われるとすこーしだけその何ともない出会いに非日常性や希少な感じがしますね。

単に「一期一会」というよりもこう言った言い回しの方が聞く気がします。

まあ、ご利用は自己責任でお願いしますけどね。

おわりに

この記事は「「どうせ死ぬんだから」という魔法の言葉。死をまっすぐ見つめて生きよう」と題しておおくりしました。

ストレス対策をしっかりと行うという大前提はあるものの、少し頑張りすぎているなって感じたら「どうせ死ぬんだから」て言ってみてもいいかもしれません。

いい具合に気が抜けて、マイペースになれるかもしれません。

そして、誰かと仲良くなりたい時に、「どうせお互いいつか死ぬのだから今くらいは仲よくしよう」みたいな感じのニュアンスのセリフを使うと少しだけ心の距離が縮まるような気がしています。

まあ、効果は保証できないけど、使ってみていもいいかもです。

では!

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