「『相手を理解する』っていうけれども、正直厳密なところを言えばどこまで行っても絶対に相手を理解するなんてことはできないよな、、、。なんせ、自分のことでさえ自分でわかっちゃいないってのにさ。」
ふぬ、そうだねえ、、、。
確かに、どこまで言ったら「相手を理解した」っていっていいんだろうな。
難しいね。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「「相手を理解する」ってそもそもどういうことなんだろうかね?」をつけるといいかも」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
- 相手を理解するという事はどういうことか考えてみたい人
- 相手を理解するためにはどうしたらいいのか考えたい人
よく「相手を理解する」なんていいますけども、そもそも「相手を理解する」って何なんでしょう。
そして、一体どこまで言ったら相手を理解したことになるんでしょうか?
、、、、うん、難題ですな、、、。
今回は「相手を理解する」という事について少しばかり考えてみたいと思う次第。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
相手を理解するとは一体何か?
「相手を理解する」なんてい簡単に言いますが、真剣に「相手を理解するとは何か?」と考え始めたら、簡単に答えは出なくなってきます。
個人的に「相手への理解」とは
「自他の感情を徹底的に分離した上でなされる、相手の心をモノとして冷徹に分析・観察する行為」
だと思っています。
一般に相手を理解するためには「思いやりが大事」みたいな話がなされますが、わたしからすると「笑わせんな」てくらい具体性に欠けるし感情的すぎて話にならないって感じがするんですな。
別に、「思いやりとかクソほども役に立たねえから、んなもんいらねえよ!」なんて暴言を吐きたいとは思いませんが、何かというと「思いやり」の一言で解決しようとする風潮にはいい加減飽き飽きしています。
突き詰めていくなら、「では、思いやりとはなにか?」て話になりますな。
思いやりを説明するにしても、多くの人は何らの具体性もない感情論を垂れ流すのみです。
わたしが多少ひねくれているだけかもしれませんが、「『俗にいう』思いやり」というものは相手を理解するための動機とはなっても、実際に理解するプロセスにはいったら不要なものだくらいに考えています。
端的に言うと、「相手への理解は分析的に行うものであって、心情的になされるものではないしなされるべきではない」ということです。
その理解をもって相手にどう対応するかは理解した後の話ですね。
個人的には理解に際して感情的になる人が多すぎている気がします。
言い方に多少語弊があるかもしれませんが、「相手の心をモノとして冷徹に観察していく姿勢」が精度の高い相手への理解には不可欠だってことですね。
いっちゃあ、あれですが「かわいそう」とか「こっちまで悲しくなる」みたいな俗にいう「身につまされる」様な感情に左右されるようでは理解とは程遠いってことです。
相手への理解には、感情における自他の徹底的分離が不可欠です。
相手を理解する本当の意味で理解することは不可能である
至極当たり前の頃ですが、相手のことを理解しようとしても完全に理解することは絶対に無理です!!
自分と相手は全く別の人間ですから、どうあがいても「理解はできません」。
自分が男性で相手が女性であったなら、どうあがいても完全に理解することなどできませんし、これは相手が男性であってもそう。
もし、一卵性双生児同士であっても厳密になことを言えば不可能です。
一卵性双生児のお互いの遺伝情報は同じではありますが、生れたから全く同じ環境で全く同じ刺激等を受けて育つことはまずないでしょう。
一卵性双生児ですらそのように考えられるのに、どうして自分とは赤の他人を利かいなんてできるのでしょう?
不可能に決まってます。
そう、究極的には「相手の気持ちなんてわからない」し、「相手のことを理解しつくすことなんて不可能」なんですよ。
相手を理解しようと思ったら、それは肝に銘じておかねばならないでしょう。
どこまで行けば、「相手を理解した」事になるのだろうか?
さて、「絶対に相手を理解しきることはできない」とすれば、どこまで言ったらよしとすればいいのでしょうか?
はい、そのためにはまず「相手を何のために理解する必要があるのか」という「目的を決める」ことです。
全ての行動は目的ありきですし、実際そのようにわたし達は行動しているもの。
ただ、その目的を意識しているか意識していないかという違いがあるのみです。
なので、「相手を理解する」にあたっては「何で自分はこの人を理解する必要があるのか?」と突き詰めて考えて、行動の目的を明確化させましょう。
そうすれば、「その目的のためにはどのくらいの深さの理解が必要か」が分かってきます。
例えば、相手をただ慰める程度のことが目的なら、別に理解なんてそこまで必要なくて共感していると感じさせることさえできれば事足ります。
しかし、「相手の抱える問題を解決したい」と思った場合には、共感程度でおしまいにはできません。
こうなってくると、問題の種類にもよりますが、少なくとも以下のようなことは気にしないといけないかもしれません。
・相手の心理傾向(あくまで仮説の域をでない)
・何を思っているか
・どんな状況におかれているのか
・大事にしている価値観は何か
、、、などなど
まあ、相手を理解するって非常に難しい事なんですよ。
わたしもこんなに偉そうに書いててなんですが、「マジで理解できている気がしねえ!!」と思っています。
まあ、でもね、それでいいんですわ。
理解したいって気持ちがあって努力してんなら、自分に合格点あげていいんじゃないかって思います。
そうはいっても、理解したと思う内容に固執せず適宜修正が必要なのは、言うまでもないですけどね。
おわりに
この記事は「「相手を理解する」ってそもそもどういうことなんだろうかね?」と題しておおくりしました。
相手を理解することは非常に難しい事であり、たとえどんなに努力をしても「完全に相手を理解しつくす」なんてことは不可能です。
しかし、その「理解したい」という姿勢とそれを動機とする行動は不可欠ですな。
そして、相手を完全に理解する必要なんてないんです。
大事なのはまずは「相手を理解するのは何のためか?」を明確化させること。
理解することの目的が決まれば、その目的のためにどの程度の理解が必要かはおのずと決まってくるものだと思います。
で、難しいけど相手のことを分かった気になって話をするのは慎みたいものですなあ。
いつも、自分と他人は別の人間であり究極的には理解しえないのだと言ことを肝に銘じつつ、日々精進するしかないんでしょう、、、。
んー、きついけど、まあ頑張りますかね。
では!
参考記事等
「若い人やアイドルの顔はみんな同じに見える」と言う人達はなぜそう言うのか?