見返りを求める、求めないって現実的にはどういう事なんだろう? 

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ

・見返りを求めてしまう自分が嫌な人
・見返りを求めるとは一体何なのかについて考えてみたい人
・話しのネタが欲しい人等

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです!

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「見返りを求める、求めないって現実的にはどういう事なんだろう? 」という話です。

あなたは「人間関係をよくしたいなら人に見返りを求めてはいけない」という言葉を聞いたことがあるでしょう。

この言葉は実によく聞きますよね。

確かに、「見返りを求める」という「行動が表面化したら嫌な心象を持たれる」のは確かです。

しかし、「誰でも見返り自体は内心求めているもの」なんですね。

なので、「ああ、自分は親切にしてやったんだからもう少し感謝があってもいいじゃんって思っているわ、なんて人間性が悪いやつなのか」みたいに思わなくていいです。

見返りなんてみんな内心求めているのですよ。

問題は「行動に出すかださないか」だけです。

変なきれいごとは捨ててしまって結構でござんす。

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では、ゆるりとおおくりします。

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見返りを求めるのは当たり前のこと

多くの人は「見返り」と言うと「利権や金、自分のしてやったことに対する返礼」といったものを想像すると思います。

しかし、ちとこれでは「限定的すぎる」と思うんですね。

見返りとは、もっと広範な言い方をするなら「ある行動の目的」です。

すべての行動には何らかの目的があるといえるので、「見返りを期待しない行動なんてものはない」と言えるでしょう。

そして、見返りは必ず「快感情を増強する方向に設定される」という点も重要です。

例えば、ある人が「他人に親切にする」場面では、以下の様な見返りの設定が考えられるでしょう。

  • 困っている人を見たことによる心の痛みを減らしたいために困っている人を助ける(不快要素の排除による消極的な快増強)
  • ただ人が楽しそうにしているのが好きだから人に親切にする
  • 人に親切にする事で「自分は道徳的な人間である」と思えるので他人に親切にする
  • 他人に親切にすることで「心に余裕が生まれる」という事を経験的に知っているために、「心に余裕を作るために」他人に親切にする

他人に親切にするにしても様々な動機が考えられるでしょう。

多くの場合、上記の様な見返りの複数が無意識に設定されて親切という行動が起こっているのではないかと思います。

人間の行動は「全て目的的である」のですから、「見返りを求めている自分に嫌悪感を覚える」なんて非常におかしなことです。

見返りを求める気持ちがあること自体は、全でも悪でもなく「ただそうあるというだけ」の事。

自己否定をするようなことではないのです。

ちなみに、このロジックで行くと「無償の愛は理論的に破綻していて存在しえない」と言えます。

愛情をかける行為も、行為である以上見返りを求めるに決まっているのです。

なので、「相手に見返りを期待している自分はダメだなあ」なんて落ち込んでいるのなら、もうそんな下らない事はやめにしましょう。

「見返りを期待しない」とか不可能ですから!!

ただただ、「わたしは相手に何を期待しているのか」だけしっかりと認識できればオッケーです。

問題なのは分をわきまえない事である

今一度確認しておきますが、「人間の全ての行動は目的的」なので「見返りを期待しない行動なんてものは存在しない」です。

しかし、この「見返りへの期待」が表面化して相手に伝わるようになると、世間でよくいわれる「見返りを期待している状態」が発生します。

内心で「見返りを期待している」だけなら何も問題はないんです。

その内心にある「見返りへの期待」が相手に伝わった瞬間に、「押しつけがましい有難迷惑」や「ご機嫌うかがいなこび」と認識されるわけ ですね。

人は何かを強制されると凄く不快に感じるものなので、「~してくれるよね?」みたいな一方的な要求の押し付けをされるとムカムカしてきます。

だから、「見返りを期待しているのが相手に伝わると不快」なわけです。

特に、「見返りを期待しているのが明白になればなるほど不快感は増える」のですな。

世間で言われる「見返りを期待すると関係が悪くなる」というのはこれが根拠だったわけですねえ。

「内心で見返りを期待している」だけなら全く問題なくて、「相手に内心で思っている見返りがあからさまにバレると終わり」って事がキモです。

親切は投げっぱなしが最適

上述のように、見返りを期待していることが相手にばれなければ相手を不快にしないですみます。

見返りが露骨に表現されていない親切に関しては、きちんと行為の返報性が働き「相手に少し受けた好意に上乗せして好意を返したい」と思うものです。

では、どうしたら相手に自分の行動の動機がバレない、ないしストレートに伝わらずに済むのでしょうか?

その答えは非常にシンプル。

「自分にとって無理をした親切は一切しない」という事が重要です。

例えば、全財産10億円の人が慈善団体に1000万円寄付するのは大して負担ではないですが、全財産4000万円の人が10億円寄付するのとでは感じる負担がまるで違いますよね。

親切に関しても同様の事が言えます。

無理に親切にしていると、「これだけ親切にしてやったんだからちゃんとこの恩は返せよ?」といった具合に恩着せがましくなりますね。

無理をして人のためにやりすぎる、たとえそれが自発的な行動であったとしても次第に「なんで自分ばっかりこんなに損しないといけないんだ?」といった気分になってきます。

相手に対して見返りを察知されてしまうような親切は、「自分にとって負担が大きすぎる」のです。

なので、「自分にとってはこんなことは簡単にできる」と思える手助けなら進んでやるけども、自分が行うには時間も労力も結構かかることについては原則としてタッチしない様にすればいいわけですな。

自分ができる程度から親切をしていけば、そのうち親切にできるレベルも上がっていくでしょう。

親切は、「小さなことから」始めていくのがいいです。

おわりに

この記事は「見返りを求める、求めないって現実的にはどういう事なんだろう? 」と題しておおくりしました。

見返りを求めない行動はありません。

それは全ての行動には目的があるからです。

なので、見返りを求めている自分を責める必要はないといえます。

問題は、「見返りを求めていることが相手に表現されるかどうか」という事だけです。

ですから、「自分にとって無理のない範囲で親切にすればいい」と言えます。

自分にとって無理のない親切なら負担が少ないので、「相手ばかりが損している」といった気持にはならないですみますからね。

親切をする際は自分の限界がどのくらいかを考えてみるといいですな。

では!

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