「最近では、すっかり「メンタルが弱い」とか「メンタルが強い」って表現が当たり前になったけど、そもそもメンタルが強いとか弱いって一体どういうことなのかよくわかんなくなってきたな。何が強さの基準なの??」
ふむ、せやね、メンタルが強いとか弱いとかよく聞くけど、確かに翌々考えてみると意味がよく分からんよな。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「メンタルが弱いとはどういう意味なのかしっかり考えてみようか」という話です
今回は以下のような方に向けておおくりします。
・メンタルが弱い、強いとは一体何を基準に決まるのかについて考えてみたい人
・話しのネタが欲しい人等
世間では、「メンタルが強い」とか「メンタルが弱い」という表現がすっかり一般的になりましたね。
しかし、メンタルが強いとか弱いって一体何を基準に決まるんでしょうか?
それにそもそもメンタルについて強いとか弱いとかいうこと自体が正しいんでしょうか??
こういった事を疑問に思った事がある人って結構いると思うんですよねえ。
正直、わたしも結構長いこと思ってきたんです。
そこで、改めて「メンタルが強いとか弱いというのは何なのか」について少し考えてみたいと思う次第。
不屈の精神を身に着けたい人はリンクからどうぞ。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
メンタルが強いとか弱いという表現自体は適切なのか?
今では、メンタルについて強いとか弱いとか言うのがすっかり当たり前になってしまいました。
しかし、そもそもメンタルについて強いとか弱いということ自体が正しいのでしょうか??
少なくとも、わたしはメンタルについて弱いとか強いという表現を用いる事は「おかしい」と思っています。
少し余談っぽいですが、あくまでも国語的な文脈から解釈するなら、「メンタル」とは「知能や精神に関わるさま、精神的な」という意味の「形容動詞」なのでそこに「強い」とか「弱い」という言葉を接続するのはなんか違和感ですな。
、、、とまあこれはいいとして、そもそも「人の精神的な有様について強いとか弱い」を断じれるのかが問題です。
強いとか弱いという言葉は、勝ちや負けという言葉に通ずるものがあります。
何かしら戦う相手を想像しての言葉だと思うんですね。
例えば、一般には、「苦難があっても立ち向かう人」は「心が強い人」であり「苦難から逃げる人」は「心の弱い人」であるとされがちですね。
これは多くの人が納得できる解釈だと思います。
この場合、戦う相手は「自分の逃げたい気持ち」とか「迫りくる苦難」でしょう。
確かに語彙的には強いという言葉に「物事に耐える力がある」という意味があるのでこれは妥当なんでしょうけども、現実的に考えると「いつもいつでも立ち向かい我慢するだけが能ではない」気がしてきます。
逃げるが勝ちなんて言葉もありますしね。
無理やり立ち向かって結果心を消耗して死んでしまったら果たしてそれは勝利と言えるのでしょうか?
、、、まあ、ここは個人の解釈次第って気もしますが、わたしは到底納得できないし「なんか変」だって思います。
立ち向かうだけが能ではなくて、状況を見て退くときは退けるのが本当の強さのような気がしますよ。
なんか、「ここで退いたら自分にまけたことになる」とか言っているのって、ただ意固地になって視野が狭くなった向こう見ずって感じがします。
まあ、そんなわけでわたし自身はあまりメンタル、つまり精神の有り様について「強いとか弱い等という事はあまり妥当ではない」と思うんですねえ。
精神の有り様についてはもっと違ういい方やとらえ方がある気がしています。
強いメンタルとは鋼みたいなもの
あえてここで「強いメンタル」という言葉を使わせてもらうなら、わたしは
「やり遂げる強い意志と物事を様々な角度から見る柔軟性のバランスがうまく取れている精神状態」
の事を強いメンタルと考えているんですな。
例えるならば、本当に強いメンタルとは「鋼のようなもの」であると思っています。
きっと、ここで多くの人は「あー、その例えはよく持ち出されるヤツやん。全然珍しくもない。おもんな」なんて思ったかもしれません。
ただ、もう少し聞いてほしいです。
鉄は炭素量が0.02%未満の金属ですが、鋼は鉄に.02%~1.7%の炭素を加えた合金。
鋼はただの鉄よりはるかに酸化しにく強度もつよいのですが、そのような違いは炭素の含有率に起因するそうです。
そして炭素の含有量が増えるほど鋼は硬くなる一方で、粘り強さが落ちる、つまり「折れやすくなる」と言います。
どうも、「硬さと粘り強さは反比例する」らしいです。
実は、精神にも同じような事が言えまして、「強い鉄壁の意志」はもの事を成し遂げる時にかなり重宝しますが、その反面人の精神の限界を超えるようなオーバーワークを強いて再起不能に追い込む危険性もはらんでいます。
対して、「すぐに物事に見切りをつけてしまう損きりの早さ」や「あまり一つの物事に執着しない柔軟な考え」というものも過ぎれば、今度は「何をやっても長続きしない」という結果を招きやすいといえるでしょう。
人の精神についても鋼の場合と同様に、「意志の硬さ」と「柔軟なものの見方」はある意味反比例関係にあるといってもいいと思います。
そして、自分を取り巻く環境は刻一刻とその様相を変え続けますから、わたし達はそこに適応していかないと快適に生きていく事は出来ません。
なので結局、意志は常に強ければいいというわけではなくその状況に合わせて「固くしたり柔らかくしたり」を自由自在にできる事が重要という事になります。
その時々の自分のおかれている環境によって、物事に優先順位をつけながら「今はこれに集中する。これは重要でないから気にしない」等というように割り切っていくといえるかもしれません。
で、その時に重要な精神状態というのは「プラスもマイナスもないゼロの状態」だといえると思います。
月並みな言い方で言えば、「メンタルが安定した状態」って事です。
精神が安定していればこそその時の状況を正確に分析して的確な判断が下せるというもの。
メンタルが強い人というのは、結局
「常に落ち着いた精神状態を保ち事の優先順位をその時々で臨機応変に変えつつ進むも退くも自在にできる人」
の事なんじゃないかなって思ったりします。
3、強いメンタルを作るためには努力が欠かせない!
強いメンタルの構成要素について、ここでいったんまとめておくと以下の3つがあるといえるでしょう。
・自分の心を含む現況について客観的に見る能力(これが精神の安定には不可欠)
・物事を様々なくからみる思考の柔軟性
・困難があってもそれに打ち勝っていく強い意志
そして、これらの要素を心理学の文脈で考えるとそれぞれ以下の能力に置き換えられるでしょう。
・メタ認知
・高い開放性(好奇心)
・レジリエンス(逆境から立ち直る力)
わたしが思うに、これら3つの要素を同時に高い水準で充足しているのが「メンタルが強いという状態」なんだと思います。
メタ認知、開放性、レジリエンスのそれぞれの鍛え方については以下の記事を参考にしてみて下さいな。
- 開放性
- メタ認知
- レジリエンス
この3要素を高いレベルで充足するなんて、おそらくそうそう簡単にはできないと思います。
なので、「絶え間ない努力が欠かせない」と思うんですね。
正直、わたしなんて半人前も半人前ですからねえ、、、。
まあ、メンタル強くしてい苦ために努力努力って感じですなあ。
おわりに
この記事は「メンタルが弱いとはどういう意味なのかしっかり考えてみようか」と題しておおくりしました。
「メンタルが強い」とは、
「やり遂げる強い意志と物事を様々な角度から見る柔軟性のバランスがうまく取れている精神状態」
の事であると思われます。
また、さらに言えば、このような状態を保つ続けるため「常に情緒が不安定にならない安定した精神状態」である必要もあるでしょう。
正直、こんなこと言っていますけども、「ああ、めちゃめちゃ難しいこと言っている、、、」て自分でも思ってしまします。
まあ、精進あるのみですなあ。
では!
参考記事等