「いわゆるビジネスインフルエンサーとかいううさん臭い連中は、どいつもこいつも自責思考自責思考って馬鹿の一つ覚えみたいに言ってるよな。まあ、分からんではないけども何でも自責ですむわけでもないだろに。自分でどうにかならなきゃ死ねとでも言いたいように聞こえるんだが?」
んー、それは極論が過ぎるが、確かに自分だけの責任ではないことも沢山あるのは確かじゃな。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「自責思考と他責思考の使い分けを間違えたらいけない」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
・自責思考ばかり強調される風潮に嫌気がさしている人
・何・かというと自分が悪いと思いがちな人
・話しのネタが欲しい人等
世の中のビジネス書や自己啓発本の多くにおいて、「自責思考を持て」との発言がなされています。
まあ、自責思考の重要性についてはわたし自身は痛い程分かっているつもりですが、それでもあまりに自責を強調する人が最近多すぎる気がしてなんかモヤモヤしているんですな。
みなさんもよくご存じの通り、この社会は理不尽な事が非常に沢山あふれています。
そんな中にあって何でもかんでも「自責」で済ませるのって全く現実的ではありませんよね。
「自責はあくまでも基本スタンス」くらいに考えて、例外的な事項にぶち当たった時は「ああ、これは誰が文句言ったってどうしようもないよ」と開き直っていいと思われます。
あまり世の中に横行する過剰な自責思考偏重の声に耳を貸さないようにしてほしいです。
ここで一瞬だけ宣伝?ですが、「悩みがあんよなー」て人も「ただ誰かに愚痴を言いたいねん!」て人も悩みが重症化する前に頭をクリアにしてみませんか?
おにぎりのカウンセリングについて詳しくは以下。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
自責思考と他責思考って何
当ブログの読者諸氏はもうお分かりかと思いますが、今一度改めて自責思考と他責思考について確認してみましょう。
では、順次簡単に説明をば。
・自責思考
自責思考とは、文字通り「なにかしら問題が生じた時に自分のせいであると考える思考」の事です。
この思考がビジネスなどの結果を出すことが、強く求められる場所において重要視されるのはわかります。
問題が起こるたびに、「私は知らない。~のせいだから仕方がないのだ」なんて言ってばかりいたら、いつまでも同じ誤りを繰り返してしまうので正直らちがあきません。
物事を「自分に落ち度があったからだ」と考えればこそ、改善しようと思うししっかり物事をこなそうともするという事ですね。
多少専門的な言い方をすると、内的帰属という事になりますな。
※内的帰属とは「自分の能力や性格といった内的要因に帰属する事」。
※帰属とは、周囲の出来事や人の行動を推論して因果的解釈を行う事。
まあ、これはわかります。
ただ、後述しますがこの思考一辺倒だと大変危険です。
・他責思考
他責思考とは、文字通り「なにかしらの問題がおこった際に自分以外のせいにする思考の事」です。
例えば、大学の入学試験においてそれまでの試験の傾向とは全く違う出題がなされて、自分の思うような結果が出せず大学に不合格だったしましょう。
この時に、「試験を作った奴が今年に限って変な問題作りやがるからオレが落ちたんだ。あのクソ野郎め!」等と自分の努力不足を問題作成者のせいにしているのがまさに他責思考の最たるものです。
大学入試において、これまでの出題傾向から外れた問題を解かされたのは自分だけではなく他の受験生も同じこと。
自分が落ちたのは結局、「自分がしっかりと勉強をしてこなかったから」でしかありません。
あと、他には重要な商談に遅れてしまった時などに「交通渋滞に巻き込まれた」という言い訳をするのもその一例でしょうか。
正直、渋滞に関してはちょっとグレーゾーンな気もしますけど、「もっと時間にゆとりをもって家を出ていれば遅刻しなかったのでは?」等と思わないでもないですよな。
何でもかんでも自分以外のせいにする人は、自分で物事を何とかしようという気概が希薄なため、重要な仕事を任せても適当にやって大損害を出したりしそうで怖いですよね。
ビジネスにおいて、他責思考が忌み嫌われるのは道理というものです。
なお、多少専門的な言い方をすると他責とは「外的帰属」とえるでしょう。
※外的帰属とは、周囲の外的要因に帰属する事という。
自責だけも他責だけでもダメなのである
さて、ここまでの話だけでいうなら、「自責の方が圧倒的にマシ」な気がします。
はい、あくまでも「結果を出す」という点に関して言うなら、ストイックな自責思考人間の方が仕事を信用して任せられるし、実際に試行錯誤の末に結果を残すでしょう。
しかし、この自責思考というものは支配者、つまり力を持つ側からすると非常に都合のいい考え方でもあります。
たまに会社の社長で一介の従業員に対して「経営者と同じ目線に立って仕事をしろ」と偉そうに講釈を垂れている人がいますが、正直これは「給料に見合わない過大な要求」でもありますし「そもそも役職が存在するのはその役職に応じた責任を各自に負わせるため」でもある不当です。
要は、社長や役職という役職は単なる肩書ではなく「相応の責任を負わされている立場」であるから、給料も待遇も一般社員とは違うわけですな。
にもかかわらず問題が起こった際に、もし「お前が経営する立場だったらこの失敗の責任は全部自分でとることになるのだぞ」みたいな論理で責め立てようものならこれは不当と言わざるを得ません。
正直、こんなことが常態化してしまえば、「会社からいかにして利益をかすめ取るか」ばかりを考えるずるがしこい人間ばかりが増える、ないしは力を増して組織の腐敗が進むと思われます。
そんな時に一番割を食うのが責任感の強い人間、つまりいうなれば「自己啓発系の人々がほめそやすような自責思考人間たち」です。
自己啓発の人々が言うような「自責思考崇拝」に陥るとずるがしこい人間からすると、「非常に都合のいい養分」に成り下がってしまうといえましょう。
何でもかんでも自責が正しいわけではありません。
中には「いや、これは本当にどうしようもないだろ。再発防止もクソもないわ」といった出来事もありますのです。
どんなに自分の思う限りの全力で失敗を回避していたとしても、運が悪いとしか言いようのない出来事に遭遇して失敗することもあります。
上述の交通渋滞の例において、本人が考えられるだけの万全を尽くしていても商談に遅れることはあるわけです。
もちろん、本人の人生経験値の多寡や機転の利きようによって想定できることはかなり違ってくるでしょう。
しかしそれでも「本人なりに全力を尽くした」のであれば、それを「全て自己責任だ」の一言でかたずけるのは少々乱暴な気がしますな。
確かに再発の防止のために頑張ってもらわないといけないのはよくわかるのですがね。
頑張ったならそれ相応の対応というものがありますし、そんな時まで自責思考を過度に強要するのはバカにもほどがあると思いますな。
ただ、残念なことに世界的には組織の利益より自己の利益を優先する人間ほど出世していくのが通例だそうですので、ここ日本においてもある程度はそうなんだと思います。
上司が理不尽に自己責任を振りかざしてくるような場合、サイコパスかは分かりませんがすくなくとも「まともなやつではない」事は間違いない気がしますねえ。
そんな時に自己責任崇拝に陥っていると、責任を全部押し付けられたりしかねないので気をつけないといけません。
自己責任は基本ですが「どうしても自分の力ではどうしようもなかった」のであれば、弁解しないまでも「いや、でもあの時の状況は仕方ない。こいつのいう事はおかしい」と思ってただスルーして再発防止を心がけるだけにしたらいいでしょう。
あんまりひどい上司の場合、極論ではありますが「人間」ではなくて「同じような文句をいうようプログラミングされた人形だ」くらいに思っておくといいのかもしれません。
人だと思わないと自然と腹も立ちません。
とはいえ、こんな方法を持ち出さなければいけない職場であること自体がもう終わっていると言わざるを得ないので、可能なら転職でもしたほうがいいとは思います。
これはあくまで持論であり決して推奨できるものではないですが、もし、そんな劣悪な職場に残るなら「本気で相手と刺し違える覚悟」をもって殺気を出して威圧する位しないとダメな気がしますな。
動物も命の危険にさらされされば、襲ってきません。
窮鼠にネコを噛むということわざもある通り、どんな非力に見えるものでも「命を捨てて相手の命を捨て身でとりにいく」となれば相手もただでは済まないのです。
最悪相打ちになりますし、致命傷だって負いかねません。
だからこそ、「あんまり人を追い詰めるもんではない」という事を昔の人々は言ってきたいのです。
決死の覚悟をした人間のなんと怖い事か。
例え、体格で勝っていても殺されかねないのです。
例えば、かつて力道山さんというプロレス界のスターがいましたが、彼は体格ではるかに劣るであろうヤクザに登山ナイフでさされた傷がもとでなくなっています。
ここで、重要な論点は「ヤクザ側が武器を持っていたから致命傷を与えられた」という事ではないのです。
実戦は素手でやるなんてルールはないですからね。
噛みつこうが鈍器で殴ろうが何でもありなんですから。
要は、「相手を倒せばいい」だけです。
理不尽を強いる人というのは得てして動物のようなものでして、理屈や正論ではなくもっと本能的な暴力や恐怖でしか抑えられない存在なのですよ。
それは日本の近くにある某国のあり様を見ると、何となくわかると思うんですよな。
日本はかなり民度が高い安全な国ではありますが、だからこそ理不尽者の「押せば道理が引っ込むだろう」みたいなごり押しで多くの人が搾取されやすいといえます。
何でもかんでも、そういった連中の言い分を真に受けるのではなくて「なめるなよ!」と相打ち覚悟で対峙する、相手の動物的本能をはっとさせるような気概を示してやらないといけないといえましょう。
ただあくまでも、「気概」であって実際に刺し違えることを推奨しているわけではありません。
そんな事しても何にもならないのはよく承知のはず。
やられたらただでは済まさないという強い覚悟と風格は大事でしょうが、短絡的にならないようにしたいものです。
グレーな思考でいこう
少々話が脱線してしまいましたが、結局「何でも自責ですむわけではない」という事は改めて押さえておきましょう
「そんなこと言っても無理だろ。どうしろっていうんだ!」みたいなときは、口に出すかはともかく「まあ、しょうがない。反省して次はしない様にしよう。人間だれしも間違うものだ」等と考えていいのです。
自責はあくまで基本姿勢であって、「明らかに他責にするしかないような例外はある」のです。
黒か白かみたいな思考ではなく「グレーな思考」でいたいもの。
まあ、自責を黒とするなら「黒よりのグレー」って感じがいい塩梅ですかな。
ちょっと自責思考に染まりすぎていると思ったら、あえて自分以外の要因を考えて黒に白を足していい具合のグレーに戻すようにしたいもんです。
もしミスをしたって、今後ミスをしないための対策を講じていけばいいだけの事なんですから。
もちろん、その対策のたるたらないはあるでしょうが、自分なりに考えて実行することが大事ですよね。
もし、どうしても自分だけではわからないというなら、自分なりに努力をしているという事をちゃんと具体的に示し上司や先輩、同僚などに助言を求めるといいでしょう。
実は、こういった助言を求めるという行為は、互いの信頼関係を深める上で非常に重要な役割を果たすんですね。
なので、積極的に自分から人に「自分で実際に~して見たんだけど、~といった具合に上手くいかないんだ。助言が欲しい」みたいに相手に聞いてみることがおすすめです。
もちろん、「もうすでに解決済み」であっても相手に助言を求めるという事自体に意味があります。
管理職の人も部下とのコミュニケーションにおいて、わざと助言を求めるといいですね。
部下としても「自分は信頼されているんだ」と言った自信につながりやる気も出るし、お互いの信頼関係も密になって仕事が進めやすくなるはずです。
ここら辺については以下の記事を読んでみるとさらに理解が深まるかもしれません。
おわりに
この記事は「自責思考と他責思考の使い分けを間違えたらいけない」と題しておおくりしました。
自責思考が結果を出していくうえで重要なのは間違いないですが、何でもかんでも自責にもっていくのは大変危険です。
世の中にはそういった自責思考を上手く逆手にとって、「言い訳するな。全部お前のせいだ」等と全ての責任を取らせようとする理不尽な人間もままいるもの。
自責思考ばかりに凝り固まっていると、こういった人間の餌食になるばかりです。
自分なりに最善を尽くしてダメだったなら、自分を責めることはせずに「次はもう失敗しないぞ」と具体的に対策を練り実践することに注力したらいいですね。
自分をせめてもいいことなど何もないです。
自分には優しく、しかしちゃんとやるべきことはやると言った風に生きたいものですなあ。
では!
参考