今回は以下のような方に向けておおくりします。
・人を傷つけることに過度に罪の意識を覚える人
・話しのネタが欲しい人等
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「「人を傷つけない事よりも重要な事」人は皆互いに傷つけあっている」という話です。
人を傷つける事はいい事ではありません、間違いなく。
しかし、そうはいっても人と人との関わり合いの中では望まずとも相手を傷つける事はままあるものです。
それはある程度「仕方のない事」なんですよね。
傷つける事自体を過度に問題視する事それ自体がむしろ問題と言えます。
あまりにも人を傷つけることに罪悪感を持っている人は、一度自分の思考を少し見直してみるのもいいと思う次第。
ここで一瞬だけ宣伝?ですが、「悩みがあんよなー」て人も「ただ誰かに愚痴を言いたいねん!」て人も悩みが重症化する前に頭をクリアにしてみませんか?
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では、ゆるりとおおくりします。
目次
人を傷つける事は確かに「いいことではない」
人を傷つける事は決していい事ではありません。
どうあっても、肯定などできないですししたくもないものです。
しかし、人は期せずして不意に他人を傷つける事はあるもの。
あなたの何気ない一言が相手を傷つけることもあります。
例えば、いわゆる機能不全家庭で両親から虐待されて育った人に、そんな事情を何も知らないあなたがただの雑談として自分の家族との幸せな日常について話したとしましょう。
この際、機能不全家庭で育った人の中には「まあ、他人は他人だし」と割り切れる人もいるでしょうが、一定数の人は「自分にはないものを見せつけられてつらい思い」をするかもしれません。
さて、なんの悪気も過失もないあなたは、どこまで意図せずに相手を傷つけてしまった事を悔いればいいのでしょう?
もちろん、見方によってはいくらでも文句はつけられます。
例えば以下のように、、、
- 話している最中に少しでも相手の顔が曇っていたんじゃないのか?
- もっと相手の事をしってからそういったプライベートな話はするべきでは?
- そもそも君は言い方に関して日頃から足りないから怒らせたのでは?
、、、
まあ、キリがないですよね。
事後に、第三者的立場からあれこれ文句を言うのは非常に簡単です。
問題は、「その批判されている人と同じ条件、同じ場面において実際にどう振舞えるか」でしょう。
その当人の対処能力を超えることに関しては、ある程度目をつむることも仕方ないのです。
なので、はなっから「相手の事なんてどうでもいいや」という気分でいるのは論外としても、自分なりに気をつけていたのであれば基本的に執拗に責められるいわれはないでしょう。
その時の最善をその人なりに取ったのならもうそれで十分です。
最も重要な事は「傷つける程度」であり、「傷つけない事」ではない
人と人とが関わりあうと小さなトラブルやすれ違いがしばしば起こります。
特に、結婚の様な長期的関係であればあるほど。
人との関係を構築するにあたって、傷つけることは避けて通れません。
問題なのは「相手を傷つけてしまう事それ自体」ではなく、
「傷つける程度がどれくらいなら許容されるのか」
という程度の問題です。
一々あまりにもささいな行き違いやトラブルを気に病んでいたら誰ともかかわりを持てなくなってしまいます。
対人関係におけるトラブルや行き違いをゼロにしようと思うなら、「もう一切の人間関係を絶つしかない」のです。
いわゆる反出生主義者が人生で経験する苦痛それ自体を害悪視して、「そもそも生まれてこなければ一切の苦痛を感じることなどないのだ」と主張することとどこか似ている気がしますね。
人間は一人では生きていけない上に人間関係の良し悪しに幸福度が著しく左右される存在ですので、「相手を一切傷つけないために誰ともかかわらない」という姿勢で生きる事は非常に困難です。
元々の性格にもよりますが、幸せになることは非常に難しいでしょう。
人を傷つけないためにできる事と傷つけてしまった時にすべきこと
人を極力傷つけないために何をすべきかと言えば、何といっても「相手としっかりコミュニケーションをとる事」につきます。
まずコミュニケーションをとるにあたっては、「相手の話をシッカリと聞く事」から始めるといいです。
相手の話をきちんと聞くためには、傾聴というスキルを身につけたり好奇心自体を底上げすることが有効です。
次にその「しっかりと聞く姿勢」を前提として、「相手に自分の意思をきちんと伝える」のも心掛ける必要がありますね。
たまに、「言わなくてもわかるでしょ」等と相手にエスパー能力を期待して何ら本心を言わない人がいますが、これは無謀にもほどがありますね。
「言わない事は伝わらない」のが原則なんですから。
言わなかったら伝わらないので誤解されても仕方ない側面は大いにあります。
コミュニケーションにおいては、配慮はしつつもお互いに自分の気持ちはきちんと伝えないといけません。
相手に自分の意思を伝えるスキルには「アサーション」というものがあります。
傾聴がコミュニケーションにおける「受信」であるなら、アサーションは「送信」に相当するものです。
アサーションスキルも身に着けておきましょう。
アサーションについて詳しくは以下。
傾聴とアサーションという両方のスキルをある程度身につけられれば、かなり相手を傷つける事は減るはずです。
もうこれで十分でしょう。
もし、それでも至らないことがあるならば、素直に謝ればいいです。
謝ってしまったら、もう気にしなくていいでしょう。
いつまでも悩んでいてもどうしようもない事は沢山あります。
「自分なりに最善を尽くした」のであれば、それ以上は現時点の自分には不可能な事なのですっぱりとあきらめてその失敗は次に生かせばいいのです。
気にしすぎないことが大事ですね。
意図せず傷つけてしまう人はどうすればいいのか?
さて、ここまで「傾聴とアサーションの量スキルを身につければある程度まで人を傷つける頻度は減らせる」と述べました。
しかし、この両スキルを身に着けるにしても個人で限界はありますし、そもそも感受性の高低の問題もあって「どんなに自分を責める必要がないと理屈でわかっていても割り切れない」と言う人もいるでしょう。
この場合、取りうる策は原則一つしかありません。
それは
「自分の事を理解してくれる人と主に付き合う」
という事です。
現実的に考えた場合、相手には相手の都合がありますので
「わたしは人の話を聞くのが下手で伝えるのも得手じゃないんだ」
等といくら弁明しても、
「いや、それはそっちの都合でしょ?こっちはただただ不快なんだよ。なんで一方的にお前の都合を押し付けられないといけないんだ?」
等といわれてしまうでしょう。
これは発達障害等の場合でもいえる事です。
理想論を言えば、「ちゃんと相手の事を理解してあげて認めてあげよう」みたいな話なんですが、現実はそうはうまくいきません。
発達障害等があるとの事情をくんで「まあ、そういう事なら仕方ない」と納得してくれる人はもちろんいるでしょうが、反対に「どうしてお前にこっちが何の拒否権もなくあわせないといけないんだ?」と不愉快になる人だっているはずです。
個々人にはそれぞれ「許容できる限度」というものがあります。
いくら本人に悪気がなくても、それを「仕方ないね」と許せるかどうかは人によるんです。
理想論で「みんな違うんだから許してあげよう。お互い様だよ」等とぬるい理想論を言っても、「ぬかせ、馬鹿が!」とキレてくる人は一定数いるもの。
これはどうしようもありません。
お互いに折り合いがつかないとなれば、もうとるべき戦略は「棲み分けて極力関わらない事」くらいしかないです。
非常に消極的ですが、本当にこれしかないんですよ。
下手に関わりあうと、熾烈な戦いやいじめが起こる危険性だってあります。
だから、「全ての人と関係を絶つ事」は到底無理だし望ましくないので「自分の事を許して受け入れてくれる人を見つけてその人と主につながる」という事が重要なんですね。
人を選んで付き合うのがいいという事です。
「人を傷つけたくない」とか「人を傷つけることによるトラブルを最小限にしたい」と思った場合の最終手段が、「理解してくれる人とだけつながる」なのですな。
すくなくとも世界は広いので、どんな人であっても「自分の事を受け入れてくれる人はいる」もの。
問題は探す手段だけです。
自分の事を認めてくれる人を探すには、個人的にツイッター等のSNSの活用がいいと思います。
最初はツイッター上のつながりから初めて、実際にあって仲を深めるなどしていけばいいと思うんです。
実際に、そうやってインターネット上での交流からリアルの交流へ移行した人達をわたしは知っています。
SNSを上手に活用して自分の居場所を確保するのもいい方法ですよ。
おわりに
この記事は「「人を傷つけない事よりも重要な事」人は皆互いに傷つけあっている」と題しておおくりしました。
「人を傷つける事」は決していい事ではありません。
しかし、人との関わり合意の中で「意図せず傷つけてしまう事」は誰にでもあることです。
お互い様なんですね。
問題なのは「どれくらい傷つけてもいいのか」という度合いです。
傷つける頻度や程度を軽減するには、傾聴とアサーションの二つのスキルが役に立ちます。
ただしこの二つを身に着けるにしてもどの程度身につけられるかは個人差がありますので、この二つのスキルを身に着けたからといって必ずしも上手くいくとは限りません。
そんな場合にとりうる最後手段は「すみ分け」です。
自分の事を認めてくれる人と主に付き合うようにしましょう。
大丈夫!
あなたの事を認めてくれる人は必ずいるはずです!
ツイッター等のSNSも上手に活用しつつ探してみましょう。
では!