「最近、職場にウツ気味になってしまっている人がいるよ。まあ、真面目で優しいいい人でわたしはあの人には入社以来ずっと好感をもってきた。だからこそ、何か力になってあげたいけどな、、、、正直なんて言って励ましたり、元気になってもらえばいいんだろうなあ、、、、全然思いつかないわあ、、、、、。」
そうだねえ、確かに元気が本当に無くなっている人には言葉なんて早々とどかないんだわ。
これは経験上確かだなあ。
オニギリス!
脱マンネリストのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「わたし達は辛い思いをしている人にどうやって接したらいいのか」についてです。
はい、今回はカウンセラーにこれからなって見ようかと思っている人にももしかしたら役に立つ内容かもしれません。
わたしは結構日常でいろんな人の相談ごとに乗ったりしています。
その際に、気をつけているのは「自分の意見をおしつけないこと」ですが、最も重要なのは「本人の持つ力を信じること」です。
本人の問題は本人にしか解決できないのです。
いくら、そとから「こうすべきだ」とか言っても「本人にその気が無ければ無意味」。
そして、いわゆる「頑張れ」とか「何とかなるからあきらめるな」とかそんな励ましの言葉は、本当に気力が無くなっている人にとっては全く役にちません。
励ましの言葉受け取るのにも「多大なエネルギーが必要」なんです。
大事なのは、「いつでも力になってあげるから」等 と伝え、ただ無言で見守ってあげることです。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
1、「頑張れ」は疲れ果てた人には禁句である
はい、これはあなたも聞いたことがあるかもしれません。
疲れ果てた人に対して『頑張れ』というのは禁句です。
疲れ果てた人は「頑張った結果疲れ果てている」という場合が非常に多いのです。
にもかかわらず、「頑張って疲れ果てた人」にさらに追い打ちをかけるように「頑張れ」とか「元気をだせ」というのはあんまりでしょう。
あとは一見、適切そうに思われる「大変だったね」もいささか避けた方がいいワードかもしれません。
人によるかもしれませんが、「大変だったね」という言葉にはいささか「他人ごと」とか「あわれみ」の要素が見受けられると思われるので不快感を持たれる場合があるでしょう。
なので、疲れ果てている人に「頑張れ」とか「大変だったね」、「元気出せ」は禁句と言えるでしょう。
2、ウツっぽい人に励ましは逆効果
社会におけるウツに対する認識はまだまだ理不尽です。
未だに「ウツは甘え」とかいう意味のわからない認識が存在していたりします。
ウツは「真面目な人ほどなりやすい」病気です。
決して甘えなどではないのですよ。
もし、甘えに見えているのならそう思っている人がよほど鈍感な人か怠惰で適当か、または強靭なメンタルを持っているかってだけです。
ウツになるような人は「本人なりに頑張りすぎてエネルギーが枯渇した」から、ウツになるのですよ。
なので、頑張れとか言って励ますのは言語道断です。
そもそもエネルギーが枯渇しているのでそれ以上エネルギーの出しようがないって話。
ウツを一言で説明するのは非常に困難でありますが、いうなれば「脳のエネルギーが不足している状態」なのです。
そして、ウツには以下の4種類があり、最も典型的なものはメランコリー型のウツです。
- メランコリー型
- 非定型
- 季節型
- 産後
ここからは典型的なメランコリー型を前提にお話ししていきます。
メランコリー型のウツは、様々な仕事やその責任、役割等に過剰反応している内に脳のエネルギーが枯渇してしまうもの。
その発症の要因としてはたようなものがあり、例えば以下の3つがあると言います。
- 環境要因(人間関係のトラブル等)
- 性格傾向
- 遺伝的要因、慢性的な身体疾患
最も発症の原因となりやすいのは環境要因であると言います。
環境要因とは大切な人との離別や職場や家庭での人間関係トラブルや役割の変化などなど、、、非常に多様なものがありますね。
そして、性格については特に強調しておきたい!
ウツになりやすい人の性格は、義務感が強かったり完璧主義だったりする傾向があります。
そう、ウツになりやすい人の性格は怠惰とか適当とは真反対だということです。
これはとても重要な点です。
3、とにかく話を聞いてあげるしかない
はい、これはどんな人とのコミュニケーションにおいてもそうですが、「とにかく相手の話を聞くことに徹する」、つまり傾聴が大事です。
この傾聴を通して心理学でいわれるラポール、つまり信頼関係を築くことが先決ですね。
信頼関係がなければどんな助言であれ、言葉であれ相手の耳に届くことは決してないという話。
もっとも、元気をなくしている人の場合は、「助言を聞き入れる力もない」のが実情なので、聞く側としては助言をするのではなく、ひたすら話を聞き共感を示し、味方であるという姿勢を貫かないといけないのです。
元気を出させようとして普通の人は「気にしすぎだ」とか「元気を出せ」なんて言いがちですが、こういった言葉は受け取り側にもそれなりの「精神力が必要になる」もの。
ウツっぽくなっている状態は上述した通り、「脳のエネルギーが枯渇した状態」なので「元気になるために意思を持って行動する」なんて不可能です。
例えるなら、他者からの助言は大手術が終わったばかりの患者がいきなり食べ物を食べて栄養補給をしようとする位の事。
消化吸収にも体力は使うのです。
そこで術後は点滴で過ごしたりする訳です。
他人からのアドバイスや励ましの言葉を自分の中に落とし込んだり、それをもとに行動を起こすなんて非常に精神的体力を使うのです。
いわゆる「思いやり」は「相手の立場を考えること」が前提です。
「見ていられないから」とか「かわいそうだから」なんて理由で、感情のままに解決に走るとえてして「いらぬお節介」とか「毒にしかならない嫌がらせ」になります。
まず、「相手が今どういう心理状態であり、何を欲しているのか」をしっかりと話を聞いて理解しないと始まりません。
相手の望まないことは嫌がらせにしかなりませんからね。
そして、相手に「何もする気力が無い」のなら、「わたしでよければ力になるから」とでも伝えて、本人の精神力がある程度回復するまで見守るのがよいと思われます。
無理にせかしたり、条件を課したりすることなくただ「無言で見守る」姿勢です。
以下の記事も参考にどうぞ。
4、結局、人は誰も助けられない
わたしは「人は人を助けることはできない」と思っています。
人が助かるのは最終的には「その人の力による」ということ。
生きるか死ぬかは原則として本人の意思等によって最終的にはきまるのですよ。
「自分を本当に助けられるのは自分」です。
周りはそのきっかけや「助かるための支援」はできますけどね。
最後は本人次第です。
別にわたしは人間を蔑視しているいわけでも何でもなく、「人間には本来生き抜こうとする生命力がある」ということを前提としているのでこんなことを言っています。
ちょいと、うさんくさかったら申し訳ないですが、例えば、心は死にたがっていても身体はちゃんと生きているんですね。
自殺しても死にきれなかったとか言うのもそんな感じがします。
わたし自身もその生命力の強さというかすさまじさというものを体感しています。
プロフィールにも書きましたが、わたしは幼少期に「即死レベルの交通事故」にあって何の後遺症もなく生き残りました。
個人的に「とんでもない奇跡」だと思っています。
人間の体の「生きようとする力」はすごいのですよ。
そして、それは万人にある。
だから、ウツっぽくなっている人にだって本来その力はあるはずなのです。
わたしはその「生きる力」を信じて見守るのが一番であると思うのですね。
そのように「相手に内在する問題を解決する力」を信じることを前提とする心理療法には認知行動療法や内観療法、ソリューションフォーカストアプローチというものがあります。
わたしが知らぬ間に日常で相談を受けたりする中で長いこと使ってきた方法がソリューションフォーカストアプローチでした。
ソリューションフォーカストアプローチは日常の人間関係を円滑にするのにも使えるかなり有益な心理療法と言えます。
くわしくはこちらからどうぞ。
おわりに
この記事では「わたし達は辛い思いをしている人にどうやって接したらいいのか」について述べました。
ウツっぽくなって元気が無くなっているような人には、よく相手の話をききお節介や独りよがりにならぬようにして、「ただ、あなたの味方である。力になりたい。」とだけ伝えて見守るのが大事であると述べました。
もっとも、人によっては「もっと積極的に問題解決をはかるべきだ」という人もいるでしょう。
ただ、わたしは今まで学んだ心理学の知識や自身の経験上このようなありかたがさいてきであるとおもっているだけにすぎません。
学術的な見地から批判に耐えてきたものでもないです。
しかし、それでいいと思っています。
心理学は魔法じゃないし、あらゆる問題を解決できる方法も知識も存在しません。
結局、実際に知識を運用してその場に適していると思われる「最適解」を探し続けていくしかないんですね。
なので、これからも何かを盲信することなく常に疑いながらも、使うべきは使いながら精進していきたいですねえ。
では!
参考記事等