「友達の誕生日プレゼントってことでせっかくヴィヴィアンウェストウッドの財布あげたのに、あの子ったらどうもその財布を他の知り合いにあげてたったいうんよ。おい、一体どういうつもりだよ。気分悪っ!」
ン―、それはムナクソ案件。
ただ、ヴィヴィアンのデザインは万人受けしないから、事前に相手の好みをリサーチしとかないと爆死する気はするんよなあ。
ま、もらった誕プレを誰かにあげるのはいただけないが。
脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「自分のあげたものが別の人の手に渡っていたのを知り悲しい!、腹立つ!なんてならないためには?」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
- 親切とは何か考えたい人
- どうせ人に贈り物するからには、喜んでほしい人
- 自分のあげたものが別の人の手に渡っていたのを知り、悲しい思いをしたことがある人
人に何か送ったはいいものの、その贈り物がその送った相手から別の人の手に渡っていたなんて事実を知って驚いた経験がある人は、ソコソコいるかもしれません。
せっかく、相手のためにあげたものが誰かの手にわたっているのをしったら、まあショックですよね。
「なーんだ、せっかくあげたのにいらんかったんかい!あげて損したわ!!」て気分になりますな。
はい、状況にもよりますけども、はっきり言って贈り物なんて「あげたらもう気にしない」のが一番です。
まあ、贈り物をあげるという事に関して、今回は少し色々考えてみましょうか。
ここで一瞬だけ宣伝?ですが、「悩みがあんよなー」て人も「ただ誰かに愚痴を言いたいねん!」て人も悩みが重症化する前に頭をクリアにしてみませんか?
おにぎりのカウンセリングについて詳しくは以下。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
贈り物が他人の手にわたって何故悲しいのか?
まあ、割と当たり前の感情かもしれませんが、なぜ自分のあげた贈り物が他の人の手にわたっているを知って、ショックを受けたり怒りを感じたり悲しくなったりするのでしょう?
少しだけ考えてみたいと思います。
個人的におそらくは以下の様な理由から、怒りを感じたり悲しくなるのではないかって思いますね。
- 自分なりの親切が的外れであり、相手に届かなかったので悲しい
- 自分自身を無下にされたように感じて悲しくなったり怒りがわく
以下順次簡単に補足です。
自分なりの親切が的外れであり、相手に届かなかったので悲しい
自分で「これを上げたら喜ぶかな?」とちゃんと考えて贈り物を選ぶ人ほど、その贈り物が送った相手以外の人の手に渡っていたと知ると「あー、そうか、気に入ってなかったんだ、、、」なんて失望してやるせない気持ちになります。
せっかく手間をかけて「相手を喜ばせよう」とコストをかけたのに、そのコストが全て無駄だったなんて気分になるとそりゃあ悲しくもなるでしょう。
人によっては、「これだけコストをかけたのにこの対応じゃあ、わたしの労力があまりにも報われないじゃないか!!」と腹を立てることもしばしばでしょうね。
うん、これは当然の心理でしょう。
自分自身を無下にされたように感じて悲しくなったり怒りがわく
「手間暇かけて相手のために選んだ」となると、人によっては「その贈り物=自分」のような感覚になってしまうと思うんですね。
料理とかでもそうです。
自分が手間暇かけて相手に「喜んでもらおう」という気持ちで料理を作ると、その料理自身に自分を投影させてしまったりします。
そうなると、ある意味「作った料理は自分の分身」のような存在となるので、その料理が見向きもされずただ冷めていくなんて状況を見るとあたかも「自分自身がぞんざいに扱われているかのように」感じると思うんですね。
贈り物の場合にも、同様のことが起こっていると考えていいと思います。
これは感受性が強い人に多い傾向があるような気がしますねえ。
なんせ、贈り物に対して自分が感情移入してしまっているという事ですからね。
自分の手元から離れたものはもう感知しないのが正解
当ブログにて何度も言っている通り、親切は自分の負担にならない程度で行うのが原則です。
あまりに負担の大きい親切をすると相手に知らず知らずのうちに、見返りを要求したくなってしまうもの。
ここで言う見返りは何も金品などに限らず、「相手が喜んでくれるだろう」といった期待も含まれています。
確かに、何かを送るからには「相手が贈り物をもらって喜ぶ」という反応を期待するものです。
ただ、「期待しすぎてはいけない」んですね。
わたしの場合、何かを送るときには「~さんならどういったものが好きか?」とか「この品物によって通常得られるはずの体験は~さんにとって好ましいものか?」等と考えてできるだけ実用性や相手の趣味趣向を考えて何かを送ります。
「自分が好きなものだからあげる」なんてことは、まずしません。
それをするのは付き合いがそれなりに長くておよそ趣味が同じであることが、分かっている時だけです。
そうでない場合には、主に実用性重視で考えます。
まあ、本人の趣味等をそれとなく雑談する中で聞き出すなどの事前調査も軽くしますけどね。
事実、シカゴ大学の研究に面白いものがありまして、その研究によると以下のようなことが分かったといいます。
- あげる側は、短期的なインパクト、つまり「プレゼントをもらった瞬間にどれだけ喜ぶか」を重視しすぎる
- もらう側は、短期的なインパクトよりも長く使える機能的なものを欲しい
なので、相手にものを送るのであれば、「実用性」に重点を置くのが望ましいといえましょう。
そして、逆に言えば、相手からものをもらったら「多少大げさに喜んでおく」と喜ばれ、相手に送るなら実用性の高いものを送ると喜ばれるという事ですな。
実用性の高い貰い物なら、きちんと日常生活の中で使ってくれると思います。
逆に、あまりにインパクト重視のものをもらった場合は、捨てられたり誰かの手に渡ったりという事があり得るでしょう。
まあ、「何か送るなら相手の立場になって送れ」てことですな。
まあ、親切と一緒ですね。
そうですねえ、、、何か送ろうと思ったら「一人でプレゼントを開封してこの品物が出てきたら、果たして嬉しいか?」と自分に問いかけながら贈り物を選ぶといいかもしれませんな。
まあ、難しいけどねえ、、、。
あんまりひどい場合は関係を見直すのもあり
たまに、どんなに相手の立場に立って選んでものを送っても、それが誰かの手に渡ったりすることってあります。
その事情によっては、関係解消を考えたほうがいいかもしれません。
例えば、自分がちゃんと実用性やニーズを考えてあげたものが、共通の友人や知人に無断で譲渡されているとかメルカリに出品されているなんて話になると少しなぜそうなったのかを問いただしてみたほうがいいでしょう。
その事情次第では、「もうこいつには何もあげない」と決めて疎遠にしてもいいかもしれません。
特にメルカリ等のフリマアプリとかに出品したなんてのは、もう完全にレッドカードですな。
よほど緊急性を要するやむを得ない事情がある場合でない限りは、もう絶縁案件でしょう。
特にね、相手から「~が欲しい」みたいな思わせぶりなこと言われたので送ったなんて話だったら、それは完全にたかられているとみていいんじゃないですかね?
まあ、よく非モテの男性が引っかかりそうな話です。
もし、そういう目に遭った非モテ男性がいるなら、悪いことは言いませんから、そんな女性切ってしまいなさいな。
その女性図に乗りすぎだから。
おわりに
この記事は「自分のあげたものが別の人の手に渡っていたのを知り悲しい!、腹立つ!なんてならないためには?」と題しておおくりしました。
自分のあげたものが別の人の手に渡っていたのを知ると、悲しくなったり腹が立ったりするのは以下の理由からでしたね。
- 自分なりの親切が的外れであり、相手に届かなかったので悲しい
- 自分自身を無下にされたように感じて悲しくなったり怒りがわく
まあ、自分がせっかく選んで送ったのに大して喜ばれていないとか迷惑だったなんて話になると、そりゃあ悲しくもなるでしょう。
それは人の心理としては自然かと思います。
その気持ちはわかりますが、「そもそも相手の立場で何をもらったらうれしいか!」をきちんと考えたかは問題ですよ。
あげた瞬間に「どれだけ喜ぶか」を基準としてモノを選ぶと失敗しやすいです。
そうではなく、「一人でプレゼントを開封してこの品物が出てきたら、果たして嬉しいか?」という視点から品物を選んでみましょう。
まあ、何かを送るというのは親切をするのと一緒です。
相手のニーズありきで考えましょう。
では!
参考記事等
「博愛主義が嫌いなんて当たり前」サイコパスが博愛主義に最も近い?
「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」は綺麗事ではなかった??
参考
https://journals.sagepub.com/doi/abs/10.1177/0956797618761373?journalCode=pssa