コジコジの名言から学ぶ脱フュージョンとマインドフルネス。葛藤を手放そう。

「さくらももこの漫画コジコジってなんか不思議な世界観の漫画だよなあ。コジコジも他のキャラも可愛いんだけどやたらと毒が効いていてシュールだわ。しかもうまく言えないけど、哲学的っていうのかなんていうのか、、、、本当不思議な世界観だ、、、。」

うん、そうよね。

コジコジってなんだか不思議な漫画よね。

オニギリス!

脱マンネリストのオニギリです!

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「コジコジに脱フュージョンとマインドフルネスを学ぼう」という話です。

はい、さくらももこさん作の漫画『COJI-COJI』は実に不思議な世界観の漫画です。

登場するキャラクター達はどれもすごく個性的で「癖が強いんじゃあ!」と思いっきり叫びたくなるようなものばかり。

そして、この漫画のタイトルにもなっている主人公であるコジコジですが、このキャラクターの考え方が実にマインドフルネスに近いって感じの印象です。

今回はコジコジの数ある名言から心が楽になる考え方を探っていこうと思います。

なお、他にも名言を知りたいという人は「「心に響く名言(迷言?)」心に残る名言60選「人生に豊かさと気付きを」」の記事をご覧くださいな。

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この記事は熊野浩昭さん著「新世代の認知行動療法」を参考にしています。

参考

では、ゆるりとおおくりします。

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コジコジはかなり不思議な漫画

さくらももこさん作の『COJI-COJI』は実に不思議な世界観の漫画です。

登場するキャラクター達はすごく個性的。

見た目が可愛らしいキャラから見るからにキワモノって感じのキャラクターまで実に幅広いです。

そして、舞台は「メルヘンの国」。

このメルヘンの国の住人には「人間を楽しませる役目がある」とされています。

なんと、「立派なメルヘン者」を育成する学校まであるってんだから驚きです。

ちなみに、設定ではスヌーピーやドラえもん、ミッキーマウスもメルヘンの国の住人だそうですね。

しかし、いずれのキャラクターについても権利者等の問題により作中には登場しません。

、、、、なんだかすごくメタ的視点の強い作品ですねえ、、、。

コジコジとは何者なのか?

さて、ではそもそも作品の主人公である「コジコジ」とは何者なのでしょうか?

一応設定ではコジコジは「宇宙生命体である」ということ以外は一切不明です。

そう、年齢や性別ですらもわからないのですね。

ちなみに、両親に宛てて手紙を書くという回似てコジコジは「宇宙の子である」と告げられます。

が、その後すぐにコジコジは「宇宙」という言葉自体忘れてしまっています。

さらにコジコジはアニメ20話「カメ吉君 お茶断ちをする」の回で、コジコジは世界を消しそうになるんですね、、、。

やはり、「こいつタダものではない、、、」。

世界の創造者かなにかのような気がする、、、。

実にコジコジとは不思議な存在ですねえ、、、。

3、「コジコジはコジコジ」、この言葉に全てがある

コジコジの精神構造って実に不思議です。

本当に読めないし、底が知れないという印象。

ただ、一つだけ確かなことがあります。

それはコジコジは「自己否定や自己嫌悪を全くしない」ということです。

ハングリー精神とか克己心、自分との戦いなんてものとは完全に無縁な存在であり、「今のあるがままの自分を受け入れて生きている」といえます。

その心境を象徴するコジコジのセリフにこんなものがあります。

コジコジだよ コジコジは生まれた時からずーっと 将来もコジコジはコジコジだよ

もはや、「その通り」というほかないですね。

この発言の意味するところは外界からの評価によらず、「自分を自分によって評価し周囲に惑わされないあり方」なんです。

人は何かと他者からの評価を気にするものですが、コジコジにはそれが全くない(ま、少し度が過ぎているが、、、)。

このような状態は自尊心が高い状態といっていいでしょう。

自尊心を高く保てると、精神的に楽になり幸福感を感じる機会にも恵まれるって話です。

現代人はコジコジのこんな姿勢に倣ってみるのもいいのではないでしょうか?

参考記事等

人生はシンプルに考えたほうがいい

コジコジはこうも言っています。

「息を吸って吐く、それが生きるって道、違う?」

いささか突飛にすぎる感がぬぐえない発言ですが、あながち間違っているともいえないんですね、この発言。

「息を吸って吐く」、実にシンプルで当たり前のことですが、これこそがマインドフルネスの根本原理の一つ「呼吸による気づき」につながります。

マインドフルネスとはブッダが日常会話で使っていた言葉であるバーリ語の英訳であり、日本語では「気付き」、中国語では「念」と訳されているものです。

呼吸によるマインドフルネスの実践には以下の3点が含まれているといいます。

呼吸に伴う身体感覚、五感と自動思考、感情などの私的事象に「今ここ」で注意を向けること

注意を向ける私的事象に対して、排除しようとしたり同一化したりすることなく、そのままにしておくこと

その結果、すべての私的事象は自己概念も含めて変わり続けていく一過性の出来事に過ぎず、変わり続けるものに執着することも苦しむことになるという洞察を得ること

引用

熊野浩昭著「新時代の認知駆動療法」P47,P48

実に抽象的で難解な言い回しですが、まあ雑な言い方をすると「自分の在り方に執着するな。その瞬間瞬間の変化を感じ受け入れろ。すべては一過性のものである」みたいな感じですかね(間違ってたら御免)?

このマインドフルネスの「今ここ」の時系列的な連続が人生とは言えないですかね?

人生はいろんな大仰で絢爛な言葉でいかようにでも表現できますが、結局は「一瞬の積み重ね」です。

そう、「今ここ」をしっかり見つめしっかり生きることが人生を生きることといっても過言ではないです!

コジコジ老師は実に深いことを言っておられるのですよ、、、多分。

知的に謙虚であると思い込みに支配されない

師(コジコジ)、海中にてタコに「お前バカだろ バーカ」と罵られ曰く、

「そうだね 君はよく知っているね きみは物知りなんだね」

うがった見方をすると、コジコジの発言は凧に対して「皮肉を言っている」ようにも取れますが、コジコジの性格からして皮肉を言うとは考えられません。

これは刺激に反応していないだけです。

脱フュージョンというものにも通ずる考え方といえます。

脱フュージョンでは「思考を現実と比べることにより両者を区別」するんですね。

脱フュージョンが可能になることで、これまで散々回避してきたような私的出来事であってもそのままにしておけるようになります。

上記の場合、コジコジは怒りをそのままにしておけているということになります。

また、コジコジの「そうだよ」には「お前は何も知らない」を肯定していることから、知的謙遜が備わっていることも意味していますね。

知的謙遜とは「自分がどれだけものを知らないかを知っている」ということです。

あのソクラテスが言った「無知の知」ってやつですな。

知的謙遜の能力が高いと新しい物事や他者の意見に対して柔軟になり、知識を高められるといいます。

実は、コジコジの方がタコより「賢い」ってことですな。

5、コジコジに倣って執着を手放そう

メルヘンの国の住人には「人間を楽しませる義務」があり、その住人たちにも非常に「強い偏見や思い込み」を持つものが沢山います。

例えば、承認欲求や名誉欲の強い「カメ大明神」や何でも知っていると豪語する「物知りじいさん」等アクの強いキャラがいますね。

現代の人間社会と同様に、メルヘンの国もかなり思考が硬直化しているといえます。

そんな中にあってコジコジは完全にその硬直した価値観の外側を生きています。

つまり、「硬直した価値観をもつメルヘンの国」と「あらゆるものに執着しないコジコジ」との対比という構図ができると思うんですね。

このいい例は、「立派なメルヘン者」になることが理想であると強く思い、そのためにも勉強に励むべきとする学校の先生がコジコジの普段の生活の怠惰さを糾弾した場面でしょう。

「遊んで食べて寝ているだけじゃないか!」といわれて、コジコジはいいます、

盗みや殺しやサギなんてしてないよ?遊んで食べて寝てるだけだよなんで悪いの?と。

世間で当たり前、常識とされていることに堂々と疑問を突き付けていきます。

この様なやり取りを見ていると、「そうだな、確かにこれをなぜ正しいと考えているのか?そもそも常識とされる考え自体が真理とは言えないのではないか?」等と色々な視点から自分の持つ固定観念を再考する機会に遭遇しますね。

コジコジはわたしたちに「自分の価値観が絶対ではない」ということを気付かせてくれるんです。

思考を柔軟にするにはうってつけの作品だと思うんですよねえ。

漫画やアニメでコジコジの行動を見た人はおそらく、コジコジの数々の名言から、何らかの有益な気付きを得るかもしれません。

特に個人的に印象的だったのは、

「神様は心の中をウロウロしているので、この辺をウロウロしていません」

という言葉。

まあ、この言葉の解釈はいろいろあるでしょう。

なので、神は外在せず内在するもの、神は人の信仰心から生まれる存在であるという風にも取れる感はありますねえ、、、。

実際に神が存在するかどうかより、人にとっては「存在すると思うこと」が重要なんかも、、、。

色々考えさせられる言葉ですな。

おわりに

この記事では「コジコジに脱フュージョンとマインドフルネスを学ぼう」と題してお送りしました。

コジコジの発言にはマインドフルネスや脱フュージョンに関する多くの示唆があります。

漫画『COJI-COJI』を脱フュージョンやマインドフルネスの観点から読んでみると、実にいろんな気づきがあって面白いです。

そして、既成概念や偏見に縛られている人はコジコジの柔軟な思考を取り入れてみると、生きやすくなると思いますねえ。

そんな視点からアニメも改めて見てみようかなって感じしますね。

ユ―ネクストだと31日無料で視聴できるので、この機会にコジコジ全話見てみるもいいですね。

お、最後に日々お疲れのあなたに師(コジコジ)から一言あるようですぞ?

『心配するより休んだ方がいい』

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