「昔から不思議だったんだよねえ。たまに自分の顔が無茶苦茶嫌いで整形ばっかりやっている人っているけどさ、どう考えても『いやいや、君は元の顔の方が自然だし可愛かったぞ!』て突っ込みたくなることがよくある。そんな整形ジャンキーの人達には昔に比べてどうして自分の顔がおかしくなっていることに気が付かないんだ?すんごい疑問だったわ、、、。一体なんでなの?」
ふむ、整形ジャンキー、、、もしかして醜形恐怖症なのかなあ?
ま、知らんけど。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「醜形恐怖症」自分の見た目の良し悪しが分からないのは病気??」という話題です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
- 醜形恐怖症について知りたい人
- 自分の見た目が醜くく思えてそれにとらわれすぎている気がする人
はい、今回は結構メジャーかもしれない話題です。
タイトルにもある通り「自分の姿が醜く見えて仕方がない」病気である醜形恐怖症ですな。
思春期には自分がイケメンだとか美人だとかで割りと一喜一憂しがちです。
それというのも、10代とか20代の前半という時期は容姿(特に日本では顔)次第で恋愛がうまくいくか否かが決定的になるからというのがあるからだと思います。
ただ、やはり20代後半以降になり「容姿も大事だが性格や資本力等も大事だ」という意識になっても、やはりそこは人間も動物ですので、「容姿の呪縛」から完全に解き放たれることはできません。
なので、わたし達が人とかかわっていく中で「自分の容姿がいいか悪いか」というのはそれなりにいつの年代においても関心事であり続けるものです。
しかし、そうはいっても「わたしの見た目が醜すぎて目も当てられない、、、」とまで思ってふさぎ込んでしまう人はあんまりいません。
自分の容姿を「過度に気にしすぎてしまう」のは正直病気なのかもしれません。
なお、「自分の子供がブサイクで愛せない」という人の中に貼醜形恐怖症の人がいる場合もあり得ます。
醜形恐怖症と自分の子供が愛せない事のつながりについてはリンクからどうぞ。
では、ゆるりとおおくります。
目次
醜形恐怖症は心の病
「自分の見た目がとてつもなく醜く感じてしまってつらすぎる、、、」なんて気持ちになるのが醜形恐怖症(正式には身体醜形障害であるが以下醜形恐怖症と記す)です。
より具体的に言うなら、醜形恐怖症の特徴とは
「他人からしたら気にならないような軽微な一つないし複数の身体的欠陥を本人が重大なものとしてとらえてしまう」
というものです。
醜形恐怖症は心の病なのですね。
身体の軽微な欠陥というと例えば、髪がハゲているわけではないけどほんの少し生え際が後ろにあるとか、顔が左右非対称である、とかそんなものでしょうかね。
特に顔の左右非対称については人間の顔においては当たり前のものなので(完全に左右非対称の顔の人はいない。むしろ、いたら不気味に感じるはず。)、普通はさほど気にするほどのものではありません。
そして、醜形恐怖症になると以下のような行動を取るようになるといいますね。
- 過剰な身づくろい
- 欠陥があると思っている部分の皮膚をむしる
- 自分の欠点を隠そうとする(例:マスクをする、ひげを伸ばす、帽子をかぶる等)
また「~症」といわれているように、醜形恐怖症は社会生活に著しい支障をきたすものです。
例えば、顔について酷く思い悩むため顔を見られたくないからいつもマスクをしているとか人と目を合わせない位のことから始まり、四六時中顔のことにとらわれて仕事も勉強も手につかなくなったりするなんてことがあります。
それがさらに悪化すると、予感にしか外に出れなくなったり引きこもりになって社会的に孤立してしまう、抑うつ症状に陥る、自殺してしまうなんてこともありますね。
「見た目ばかり気にしても」と普通の人ならいいたくなるでしょうが、醜形恐怖症の人からしたら「見た目が自分の価値そのもの」といってもいいくらいにとらわれているのでいわゆる正論をいったところで改善はしません。
醜形恐怖症の原因は明確にはわかってはいませんが病気の区分としては強迫スペクトラム障害に分類され、その原因は強迫症や強迫性障害等と原因が同じであると推測されています。
醜形恐怖症の患者にはその発症以前から完璧主義、何かに強くこだわる、思い込みが激しいなんていう傾向がみられるようです。
また、醜形恐怖症の発症には以下のような事とも関係があるといわれている模様。
- 育児放棄や虐待を受けてきた
- 自分に長所が多い人(自分の些細な欠点に目がいきやすい)
- 父母のどちらかが醜形恐怖症を患っていたり(遺伝要因)、自身が強迫症を患っている
- 時代背景(容姿がいいことがやたら取りざたされそれによって評価される風潮等)
個人的に結構注目しておきたいのは時代背景ですね。
内閣府が行った世界青年意識調査では18歳~24歳の日本人男女の悩みや心配ごとに占める「容姿について」の割合の変遷を見てみると、2003年では全体で6.3%であったのにその後年後には11.1%にまで増加しているといいます。
なお、女性に増加傾向が表れていたとか。
まあ、これは人の感じ方によるのかもしれませんが、未だに日本のテレビ番組でいわゆる「ブサイクいじり」みたいなものが横行しているのもこのような傾向に拍車をかけるものなんではないかと思うのですな。
人の容姿をあげつらって笑う文化なんてどう考てもも低俗だと思うんですけどね、、、。
それを許容してしまう文化的土壌が依然として日本にあるってのも少々問題な気がしています。
その土壌の上に昨今の「見た目偏重」がのっかってきているせいで、いわゆるブサイクとされる人たちがやり玉に挙げられて笑われるなんてことが日常の一幕として許容されてしまっている気がしますわ。
ま、明言はできませんけどね。
醜形恐怖はイケメン、美人に多い傾向がある?
「醜形恐怖症になっている人」と聞くと、「え?じゃあブサイクなのか?」て思う人も一定数いると思います。
しかし、現実には「比較的美男美女寄りの人が多い」模様。
これについてあの美容整形のパイオニア的存在である高須クリニックの名古屋院院長の高須幹弥先生も言及しています。
参考
やはり現場で沢山のカウンセリングをしていらっしゃる彼の言葉は真実に迫るものであるといっていいでしょう。
彼の言によると醜形恐怖症の人で絶えず整形していないと気が済まない人の中には「自分の顔の良し悪しを客観的に評価できない、正しく見ることができない人」というがいるそうです。
たで食う虫も好き好きと言ったものですが、現実には「誰が見ても美しいと感じる基準」である黄金比率というものが古来から存在しています。
なので、美容整形では原則この基準(例えば、目と目の間は目一個分等といったもの)に近づけていこうとして施術をすることになるそうですが、元々黄金比率に割と近い顔しているのに「自分は醜い!」て思う人も結構いるということですな。
※なお、目と目の間に鼻の横幅が収まるようにというのは高須先生によると単なる指標の例の一つであるため何にも気にしなくていいとのこと。
このような人は自分自身の容姿を人と客観的に比べて「良いのか悪いのか」判断が適切にできてないってことになりますね。
その結果、整形依存症になったりしてしまうというわけ。
高須先生もいってもいますが、醜形恐怖症の人は「自分自身が醜形恐怖症である」との自覚をすることが大事でしょう。
まあ、そこに気が付いたら苦労しないよって話ではあるでしょうけども。
醜形恐怖症に治療療法ってあるんか?
醜形恐怖症の治療にあたっては薬物療法と認知行動療法が用いられるといいます。
具体的に言うと、認知行動療法では徐々に鏡で自分の顔をやたら見る等の確認行動や自分の気になる部分を隠すといった行動の頻度を下げていくために暴露療法(エクスポ-ジャー法とも)が用いられることが多いそう。
ある程度治療方法は現在においては確立しているとみていいかと思います。
なので、もしも「自分は醜形恐怖症かもしれない、、、」と自覚がわいたら心療内科や醜形恐怖症を専門に取り扱っているカウンセラーに相談してみましょう。
やっぱり、できるだけ早いうちに処置したほうがいいですね。
美人、イケメンという容姿戦争から離脱しよう
実をいうとですねえ、わたし自身もむかーしは割と醜形恐怖的な感じだった時があります。
特に中学生くらいまでは、自分の目に蒙古襞はほとんどないものの奥二重だったので、どうにも自分の目が好きではありませんでしたな。
ただ、成長とともになぜか平行二重になってくれたため高校生になってからは気にならなくなったんですね。
なので、まあわたしは重度の醜形恐怖(ごく軽度って感じかな)ではなかったけども「醜形恐怖の人の気持ちはまあわからんではない」ってのが率直な意見です。
とはいえ正直、今でもすこーしだけ
「うーん、自分の顔って比率的には問題ない気がするけどなんか右目だけ2,3ミリくらい少しずれてね?後鼻筋も一見まっすぐだがよく見ると右側に1~2ミリ曲がってないか?」
なんて思ったりすることはまあたまにありますわ。
ただ比率やその他エステティックライン、鼻の形、顔の大きさ等々を客観的に考えると、さして問題にすべきところはない感じがすると判断したため「ま、いっか」くらいで済んでいますね(逆に言うと特徴のない顔しているともいえる)。
あ、それと堀が割と深い人は結構こういった悩みを持っていると思うんですけども、ちゃんとしたところで写真撮ってもらわないと顔の映りがなんか汚いって感じになりませんかね??
顔に変に影がかかるんよな。
あんま気にしないようにしているけど、実はこれ結構嫌だったりします(笑)。
ま、ブサイクといわれたことはただの一度もないから実物は問題ないと思いますがね。
まあ、それはさておき。
見た目の良し悪しに一喜一憂するっていうのは人間なら、程度の差はあれ基本的にまあ仕方ないことかなって思います。
世の中には「人は中身がすべてだ」みたいな綺麗事を言う人がいますけど、現実的に考えて人間の印象は見た目によって大きく左右されるので「見た目なんて関係ない」というのはまあ暴論の類です。
個人的にこんな暴論をやたらいう人達は、元々自分の容姿にコンプレックスがなかった人か自分がいわゆるブサイクであることで不利になった自覚がないかあった場合もそれを跳ね返した経験からその経験だけを元に感情論を言っているだけの人って気がしています。
見た目によっては確実に「様々な場面で不利」でしょう。
これはいろんな実験でも言われていることですので、真実にかなり近いことなはずです。
わたしは綺麗事はまやかしの類と認識していて大嫌いなんで断言します。
「見た目は大いに関係ある」
しかし、「見た目が終わっている=人生終了」というのも極論ですわね。
こんな風に人生は「ゼロか百か」みたいに簡単に言い切れるもんじゃないですな。
結局、「見た目も性格もどっちも大事」ってことです。
ただ、見た目に関しては性格と違って「基本的には変えられない」ものなので、いつまでも「他人の評価」に依存しきりになっては全く自尊心がそだちません。
いくらかっこいい、かわいいとか美人、美男子といわれたいと思っても限界というものがあります。
世界には無数の美男美女がおり、そこで頂点を取るなんて無謀もいいところだしそもそも上に行くほどその判断は難しくなっていくでしょう。
※顔の良し悪しは最終的には減点方式のあらさがしに終始せざるを得ない
これは整形しても同じ。
高須幹弥先生いわく、「整形は魔法ではない」とのこと。
具体的に言うなら、整形できれいになるにも限界がある、つまり顔の土台が悪い人は整形しても前よりはかわいくなるが絶世の美人や美男子にはなれないということですな。
例えば、「小顔になりたい」といっても元々の顔の土台自体が大きい人は「それ以上小さくできない」ってことですね。
元々ほお骨やえらが凄く張っているとかならそこを削り落とせばいいわけですけど、元々ほお骨もえらもはっていないのに顔が大きいとなったら整形では「打つ手なし」てことです。
参考
容姿の良し悪しに拘泥しすぎるとどこまで言っても上がいるので泥仕合になり疲労する一方ですし、仮に頂点をとっても(頂点って何よ?て話はとりま置いておく)次世代の美人美男子の出現を恐れて戦々恐々として整形を繰り返さねばいけないでしょう。
どこかで「誰々よりかわいい、かっこいい」という視点から「自分は自分である」といった感じの考えに転換する必要があると思われます。
つまり、「誰かと比較した美」を追及するのではなく「自分自身の納得できる美を追求する」とか「自分は自分である」とある種の「前向きなあきらめ」をすることが大事かと思うんですね。
ちなみに、このような「他人との比較という泥仕合から脱しよう」という考えを提唱している人に、ユーチューバーの「整形アイドル轟ちゃん」がいます。
彼女は自身の容姿で苦しんだ過去の体験に基づき、「可愛い戦争から離脱します」という書籍を書いているので、他人からの「かわいい、かっこいいという評価」を気にしてやみがちになっている人達はよんでみてもいいかもしれませんな。
もしかしたら、参考になるかもしれません。
参考
あと、「あきらめ」と聞くと拒絶反応を起こす人は一定数居ると思いますが、「前向きなあきらめ」とは
「今後の人生をよりよくするために自分と他者との比較をやめて今の自分自身を受け入れ、人生における顔の優先順位を再考し修正する」
て感じです。
変な言い方ですけど、「あなたが生きている」のであって「あなたの顔が生きている」わけではないのですよ。
つまり、「あなた≠顔」。
「あなたが生きていくため」にこれからどうするかが大事なわけです。
わたしとしては容姿にばかりフォーカスする人はもっと内省して「自分が人生で本当に欲しいものって何か?」を深く突き詰めることをおすすめしたいですね。
まあ、役に立つかはわかりませんが以下の記事も参考にしてもらえたら幸いであります。
おわりに
この記事は「「醜形恐怖症」自分の見た目の良し悪しが分からないのは病気??」と題しておおくりしました。
醜形恐怖症は自分の見た目が異常に醜いと思ってしまう心の病です。
そして、醜形恐怖症になる人には意外と美男美女よりの人が多いといいます。
人のみため、特に顔は印象を決める重要な要素であることに疑いの余地がありませんが、それが「全てになってしまう」ということもありません。
かといって、「人は中身が全て」も極論であり暴論です。
人間にとって「見た目も中身もどっちも大事」なんですな。
あまり、「ゼロか百か」みたいな極端な思考に陥らないようにしたいものです。
では!
参考記事等
「男の二重は気持ち悪い」という意見の背後にある心理について探ってみる
「人間は醜いのか?」人間自体は醜くも美しくもない。ただ「そうあるだけ」
「イケメンは死なない」というパワーワードが気になったので調べたぞ
『美人は三日で飽きないしブスに一日目はない』は、正しいのかね?
自分の外見が嫌いな女性は死を思うと劣等感がましになるかもしれない
「世の中顔!ではつらい」ルッキズムとの付き合い方をガチで考えた。「外見至上主義の闇」
参考