「やっぱ、人って生まれてきたからには幸せになりたいもんだよな。でも、人生っていいことも悪いこともあるが、そもそも苦しみなんていらねえわ。いっそ生まれてこなけりゃ苦しみはゼロだったろうに、、、。オレもよく考えると生れてきたくはなかったなあ。なんかめんどくせえ人生だわ。」
まあね、何となくわからんではない。
めんどくせえこと結構あるわな。
否定はしない。
ただ、「うまれてこなければよかった」とかニヒリズムの究極になるような考えよなあ、、、。
オニギリス!
脱マンネリストのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「反出生主義は真理だし優しい思想だって?そんなのどうでもいいわ!」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
- 反出生主義について少し考えてみたい人
- 反出生主義って何やねん?て思う人
- 反出生主義に陥りたくない人
以前も反出生主義についての記事書きました。
今回はその続編?的なものですねえ。
まあ、こんなご時世ですんで、「生まれてこなかった方が良かった」て感じる人が増えている気がします。
ま、知らんけど。
反出生主義って何となくファイナルファンタジあ当たりのラスボスが主人公たちを前に主張してきそうな感じの理屈ですわ。
「生れてこなければ、苦しむこともなかったものを、、、」みたいな。
正直、わたしは反出生主義を支持しようって気はないんですが、個人的には「ま、生きることに飽きたら死のうかな」ってかなり死を身近でシンプルなものとしてとらえています。
あんまり、わたしは生とか死を大層なもんだと思っていないんですね(命なんてどうでもいいっていう意味ではない)。
死と生って実はあんまり区別できないあいまいなものって感じがするんす(死後の世界への興味が強いのもあるが、、、、)。
逆にこうも思えないっすか?
いくら苦労しても死んだら全部終わりになるなら、とりま人生楽しめるように全力で工夫して死のうって。
正直、わたしの生きる原動力は「ほとんどが好奇心」です。
まあ、、、、異論噴出だろうがね(笑)。
ま、個人的な意見なんで誰も同意しないくていいっす。
てか、きっと同意する人が増えたら人類滅亡するよなあ。
ま、知らんけど。
でね、この際わたしの本音を言うと、わたしは反出生主義の支持者ではないけど、今のところ生きているうちに後世へ残すべきものなんて特段何もないので「子供なんて特にいらん」と考えてます。
自分が死んだら、この世界は自分にとってはおしまいですから、それで全部チャラ。
後に何を残しても死んだ人間にとっては、「後世に何を残したところで自分が後世の様子を知るすべはないから残すだけ無駄」って思ってます。
なので、好奇心に従って生きて自分が飽きたら死ぬって感じです。
たまに「生きた証を残したい」とかいう人がいますが、ここ数千年のことだってよくわかんないんだからどうせ数万年後には何か残したところで全て風化してるって(笑)。
無駄無駄。
ま、好奇心が続く限りはしぶとく生きる気ですねえ。
まあ、、、この考え方のせいで知人から「何て自分勝手な!だから少子化が進むんだ!人類滅亡すんぞ!」みたいに言われて「え?別に人類が滅亡するならすればいいんじゃね?そんなこと知らんよ」て返すのが通例となってしまってますが、、、。
とはいえ、わたしは生きている間に自分がかかわった人達は少しでも幸せにしたり良い気分にさせたりしたいし、それが自分としては楽しいからそうしたいつもりです。
人が笑顔になっているのを見るのも笑顔にさせるのも楽しいってことね。
やはり、楽しい気分の人がいると自分も楽しくなるよな。
んで、一緒に仲良くなった仲間同士で宴会でもやって、人生楽しく過ごせたらいーねって感じのノリですわ。
人生最後の日は宴会でもやりたいね。
、、、とまあ、そんなしょうもない持論は置いといて、まあもっと気楽に生きたらいいと思うんですね。
みんな思いつめすぎナンス!
別に「生れてきてよかった」なんて無理に思う必要はないし、そもそもあんまり生きるとか死ぬとかそんなことに意識持ってかないほうがいいよ。
もっと、脱力して生きようじゃないかい?
反出生主義者って真面目過ぎんのよ、きっと。
ちなみに、「「生まれてこなければよかった」を「生まれてきてよかった」に変える」思考方法についてはリンクからどうぞ。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
反出生主義のおさらい
まずは、反出生主義のおさらいから!
反出生主義は「生れてきたことや人を産むことに否定的な立場をとる哲学的な立場」のことであり、一言で言うと、
「生きるのは苦しい。人はそもそも生まれてこない方が幸せだ」
みたいな感じの理論です。
代表的な提唱者にはショウペンハウアーさんやシオランさん、ベネターさんといった面々がいますね。
まあ、最近はコロナで陰鬱な気分の人が多いせいかかなりこの反出生主義がググられている模様。
まあ、、ね、気持ちはわからんでもないです。
生れて来た時点で、かならずいつかは死ぬわけなので「死の苦しみ」は不可避ですね。
ジェフベゾスがファーザーでも何かの拍子に厄災に巻き込まれて、将来苦しむ可能性もゼロではないです。
生きている限り、苦しむリスクをゼロにすることは不可能ですなね。
そう、生れた時点で苦しむことは確定してるんですな。
しかも、人はポジティブな出来事よりもネガティブな出来事の方が強く印象に残ってしまうもの。
これは心理学でもよく言われることです。
試しに自分の過去の人生を振りかえってみてくださいな。
いい思い出は中々思い出せないのに、いやな思い出はかなり鮮明にしかもすんなりと思い出せませんでしたか?
これというのも、人はネガティブなことにすぐに意識が行くようになってないと、原始の地球では命が危なかったからです。
人は不安があるからこそ備えるもの。
安心しきっていたら、何の対策も講じないので天災や外敵からの攻撃の憂き目に遭い簡単に全滅してしまいます。
また、痛い経験から学び失敗をくりかえさないためにも、ネガティブなことに意識がいきやすい傾向は必要とも言えます。
対して、人はすぐに幸せのようなポジティブな感情には慣れてしまいます。
これは「幸せになろうとすると返って幸せになれない」、っていう話の一因となっているといえましょう。
その結果、人は嫌な記憶ばかりが頭に残りいいことはさして頭に残らないって悲しいことになりがちです。
そう、脳の認知機能レベルで「人間は人生の苦の側面が強調されやすくできている」ってことですね。
なので、反出生主義の過激派の人の中には
「人を産むことは害悪だ!子供への死の強制だから倫理的に許されることではない!子供を産むのは親のエゴだ!親は自分の責任を直視しろ!逃げるな!」
みたいな論を展開する人たちがいる模様。
あと、「本人の同意もなく生んだ」として、インドの男性が自分の親を訴えたなんて事件もありましたね。
でもさあ、、、そもそも一体どうやって生れる前に同意をとればいいっちゅうねん、、、、。
気持ちはわかるけど、この訴えは無理あるよな。
あと完全に余談ですけどね、反出生主義の人は別に子供なんて新しく産まなくていいけど、里親になるのは割とありなんじゃないかなって思いますよ。
親がいなくて困っている子供って結構います。
「新しく子供を産むのは子供に苦痛を強制する行為だ」っていうのは、理屈としてはまあ筋が通っていますから「新しい生命に苦痛を強制する」のはやめにするとして、「親がいなくて苦しんでいる子供の苦痛を軽減する」のもいいかもしれないですね。
もしかしたら、里親になると自分の人生をもっと前向きにとらえられるようになるかもしれませんな。
ま、知らんけど。
反出生主義について詳しい議論は以前の記事をご確認のほどよろしゅう。
あと、反出生主義について詳しく知りたい人は、以下の書籍を読んでみるといいと思いますね。
みんな賢すぎるのである
かの哲学者パスカルさんは「人間は考える葦である」といいました。
一般に、この言葉は
「人間は自然の中において葦のように脆弱な存在であるが、思考できるがゆえに偉大な存在でもある」
との趣旨で解されていると思われます。
ただ、思考をすることが偉大なのは、「思考するという知的行動自体が高度で人間特有の強みだから」というだけではないと思うんですね。
思考できるがゆえに、人間は将来起こることについて様々に思いをはせたり、「自分がなぜここに存在しているのか?」といった実存的問題を自分自身に投げかけてしまいます。
知的に高度であることは、強みであると同時に「不安の源泉となっている」ってことです。
知的に成熟していない動物達はおそらく「自分の生まれた意味」なんて考えません。
ただ、「そこに存在している」だけです。
人間は幸か不幸か賢すぎるがゆえに、存在していることにすら意味を見出そうとしてしまうんですわな。
しかも、肉体は非常に弱弱しい、、、それこそグリズリーとタイマン張ったら瞬殺されてしまいますわな。
ゴリラやチンパンジーと対峙しても生身ではとても歯が立ちません。
正直、「人間って生身のままだと物理的にはめっちゃ雑魚」です。
人間、クソ雑魚乙!
はい、人間はそんな雑魚の癖に、普通の動物以上に不安や苦痛の種を抱えて生きていこうとしているわけです。
「考える葦」である人間が偉大なのは、
「どうしようもなく弱弱しいのに死の恐怖や不安といった『逃れがたい運命や宿命という強大な闇』と対峙していこうとするが故」
といった風にも解せそうですな。
人って普段は死なんて意識しないようにしています。
それというのも、脳自体が死と自分をリンクさせないように働いているからです。
ただ、ストレスが過度にかかったりすると、脳の働きが鈍ってきて死を意識したりするもんです。
死を理性でもって分析的にとらえるとき、「あ、生きるって最後には結局死が待っているクソゲ-じゃん」て気が付いてしまったりします。
ま、一概には言えないけど、反出生主義の人にはストレスを感じやすい性格であるとか、ストレスに多い状況に置かれている人等が多いんじゃないかなって気がしますな。
ある意味、脳が理性の暴走を食い止められなくなっているって話。
ちなみに、反出生主義自体は昔からあったものの、昔は最近ほどクローズアップされる事態にはなっていなかった模様。
この原因には宗教の力が弱くなってきたからだって説もあるようですな。
参考
参考記事等
生れてきたもんは仕方ねえ!
まあ、反出生主義の「生れてこなけりゃそもそも苦しまんですんだやん?」ていう主張は、「うん、そうだね」て感じです。
まあ、確かに筋は通っている。
ただまあ、この考えは人間の生存本能に逆行する考えであるため、今後も広く市民権を得ることはおそらくないでしょう。
考え方としては非常に興味深いけどね。
上述したように、人間の脳は平常時には死と自分をリンクさせないように働いており、死を他人事としてとらえようとします。
本能的には生存の方向へ向かおうとしているってわけね。
だけど、純粋に理性で人生をとらえ始めるなら、「そもそも生まれてきたこと自体が損ではないか。苦しむんだから」みたいに思うってことですわな。
これって恋愛で言うところの、理性で恋愛関係をとらえてしまって非モテ化する構図と似ている気もします。
つまり、理性でばかり物事を理解しようとして本能の存在をなおざりにした結果、「異性に対して恋愛感情の生じない何の生産性もないアプローチばかりする」っていうことですねえ。
これがいわゆる非モテコミットの悲劇を引き起こすって感じですな。
本能を無視した理性による結論は現実に則さず、何も実益を生み出さないってことです。
事実、昔から反出生主義は存在していたのに、人類の歴史は紡がれてきて現代に至っています。
反出生主義の考えが広く共有されていたなら、「産めよ増やせよ」ではなく「産むな減らせよ」よね。
政治家達が
「これ以上の惨劇の歴史を繰り返してはならない。われわれ人類はみな穏やかに絶滅していくべきである。人類の歴史は直ちに終わらされるべきなのだ。この罪深く忌まわしい苦に満ちた世界になん人たりとも生れ落ちるべきではない、、、」
なんて大演説をぶっていてもいい気がします。
でも、そんな趣旨の発言をしていたとはあまり想像できませんねえ、、、。
ま、本当のところはわからんけどさ。
で、はっきり言って、「生れてきたもんは仕方ねえ」てことですよ。
生んだのは親のエゴだったんでしょう。
いや、エゴというか本能だったんでしょうよ。
遺伝子の保存、種の保存っていうさ。
反出生主義の理屈からしたら、反吐が出るくらいの理不尽さをはらんだ本能よな。
きっと、反出生主義者達は子供を産む人たちに向かって咆哮するでしょう。
「ああ、なんと愚かで倫理観のないクズども。この苦しみと悲劇の連鎖を性懲りもなくなおも続けようとするか。生れてきた子供にどう釈明しどう責任をとるのか、、、。子は生まれてしまった瞬間に苦しむことを強いられるのだ。ああ、なんと忌まわしい悲劇!!」
なんてね。
ある意味で、この手の主張は「生れてきた、ないし生まれてくるであろう子供に対する思いやり」からなされているのかもしれません。
まあ、好意的に解釈すればね。
だから、見ようによっては「反出生主義は思いやり深い優しい思想だ」といえるのかもしれないですな。
でもさあ、、、。
、、、でも、生れたもんは仕方ないよね?
そんなに嫌なら、「じゃあ、死んだら?」てことですが、そんな簡単にホイホイ死ねたら苦労はありません。
※反出生主義は自殺を肯定していない。自殺のように積極的に苦しみを与える事はいいことではないとしている。
わたし自身は自殺に対して
「可能なら止めるが、本人の意思ならそれを尊重する」
という立場なため、自殺自体が悪だとは全く思っていません。
ま、本人なりに悩んだ結果、損きりしてよかったこともあるかもしれませんよ。
ま、知らんけど。
それにどうせいつか死ぬ命だし、時期が早まっただけと思ったら、何も思うことはありません。
ま、その自殺してしまった人が「自分にとってはいい人だったんじゃないか?本当は一緒にいて楽しい人だったんじゃないか?」と思うと、少し残念な気分にはなりますが。
でも、そう本人が決断したのであれば、それでいいと本人が本心から、腹の底から納得しての決断ならば、、、、もう「何も言えない」ですわ。
ただ、一言だけ
「そうかそれが君の決断か。悩んで自分なりに出した決断には敬意を表する。お疲れ様。安らかに眠りな」
等と言って墓前に花を添えてやりたくはなります。
ただね、大体自殺を思いとどまった人の多くは、「自殺しなくてよかった」と言っているのです。
言い方が多少乱暴だけども、やっぱり過度のストレスで脳の働きが悪くなっているから、自殺なんてしようとするんじゃないかって気がしますわ。
だから、冷静になってから「いやあ、やっぱ死ななくてよかったすわ」て思うんじゃないかなあ??
あと、自殺はまあ、個人的には「なんか、もったいないとおもうぞ?楽しい事沢山あんのにさ?」て気分です。
ま、国としてはせっせと税金納めてくれる人が減少して税収が減ることや人口が減って国力が疲弊する危機感を動機として「自殺ダメだ!」って言い続けるんでしょう。
ただ、個人的な話だけなら、「国の都合なんか知ったこっちゃねえよ!」て話ですわな。
まあ正直、国の都合とかどうでもよくて、わたしは「もっと、人生の明るい面に目を向けない?生れてきたならたのしもうぜ?」てお節介ながら言いたくなるでやんす。
自分の居場所を探そうじゃないか!
パスカルの言った「考える葦という表現」は、
「脆弱な身ながらも死の恐怖や不安と対峙する人という存在の偉大さを賛美する表現」
とも取れました。
そう、わたしは人はおそらく多くの反出生主義の人達が思うよりもおそらく強いんだと思います。
決して、いわゆる神に比肩しうるほどの強さと全能性は持ちえないにしても。
上述したように、この思想に傾倒する人の多くは「過度のストレスの影響を受けて悲観的になっている」んだと思います。
ストレスの影響を減らしていくことで、おそらくは脳の機能が正常に働くようになって人生を肯定的なものとして捉えられるようになってくるのではないかと思いますよ。
ちなみに、ハーバード大学が行った成人発達研究によると、人間が幸福に人生を生きるために重要なのは「良好な人間関係である」とされていますね。
個人的に反出生主義に陥る人たちに必要なものは、ストレスの低減や良好な人間関係なんだと思います。
なので、別に反出生主義の人達は「子供なんて生れてくるべきではない」という考え方を変える必要はないし結婚するかしないかですら問題にしなくていいですが、しっかり「いつでも気軽に話せるような仲間」を作っておくのがおすすめです。
孤立しているからどうにも気が滅入る、そしてその気の滅入りが人を遠ざけてさらに孤立するなんて悪循環になったりもするかもしれません。
個人的に推奨したいのは「色んなコミュニティーと積極的に関わりを持ってみる」ということ。
自分の居場所を沢山確保しておくことで、精神的にとても安定してきます。
結局、人は自分のいてもいい場所があるかどうかが大事なんだと思いますよ。
何か趣味を始めるために、教室や社会人サークルに通い始めるのなんていい手だと思います。
まあ、その前にメンタルを少しだけ強化しておくと安定した人間関係が作れると思いますねえ。
以下に、ストレス対策等に役立ちそうな記事等を置いとくんで気になる人は参考にしてみて下せえ。
参考記事等
おわりに
この記事は「反出生主義は真理だし優しい思想だって??そんなものどうでもいいわ!」と題しておおくりしました。
反出生主義の理屈はまあ筋が通っていますわ。
うん、言いたいことはわかるし、言いたくなる気持ちもわからんではない。
生きてりゃ「生れてなんて来たくなかったわ」と思うこともそりゃあ何回かありますって。
ただ、そうはいっても生れてきたもんは仕方ないっす。
人生の終局にある「死」というものがあるのを受け入れたうえで、「せっかく生まれたんだしとりま積極的に楽しむ努力してみよう」て感じのスタンスで生きましょ。
多分、反出生主義に陥っている人はストレスが多すぎると思うので、日常でのストレスを減らすようにしてみるのがおすすめです。
まあ、お互い明るくゆっくり死のうぜ(要は長生きだわな)?
なお、日々の生活で心に癒しが欲しいという人はペットロボット等を購入してみるのもいいかもしれません。
ペットの場合、ペットロスやアレルギー、そしてペットのご飯代やワクチン代等で費用がかさむ、、、等の様々な問題がありますがペットロボットだとその点は心配いりませんからね。
ペットロボットだと感情表現豊かな家族型ロボットのラボットが一番よさそうな気はします。
ま、気になったら自宅に迎えてあげてくださいな。
では!
参考記事等
「ゴミみたいな人生」自分の考え方が自分や人生をゴミにしている
鬼滅の刃の上弦の参猗窩座(あかざ)みたいな理由で弱者を嫌う人は結構いる。
参考
https://mainichi.jp/articles/20210102/k00/00m/040/008000c
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E5%87%BA%E7%94%9F%E4%B8%BB%E7%BE%A9
https://www.huffingtonpost.jp/2019/02/07/antinatalist-sue-parents_a_23663582/
http://mubou.seesaa.net/article/366488325.html
参考記事等