「HN」:ぐれんのオニギリ(シャケ)
[血液型]:B型
「性格」:生まれた時から人見知り皆無の超外向型でENTJ
「出身」:横浜
「趣味」:ギターの演奏(特に超人的なプレイがツボ)。
[所有資格]:上級心理カウンセラー、宅建士、日商簿記2級、文検2級、英検2級、数検準1級等
「好きな嗜好品」:紅茶(特にアールグレイ)
「目標」:国にとらわれない生き方ができるような超国家的コミュニティの創設、同コミュニティを中心とした独自の経済圏の確立。
「好きな映画」:グレイテストショーマン
お初にお目にかかります。私、ぐれんのオニギリです。
以下少々、たわいない自分語りにおつきあいくださいな。
目次
1、死の淵からの生還
2歳の時でした。
澄み渡る広大な青空が頭上に広がる日のこと、雲はまばら、太陽は柔らかい日差しを注ぐ。私は母の静止もきかず車道へかけていきました。好奇心にかられてかはいざ知らず、私の足は止まらなかったようです。
惨事までのカウントは何秒だったでしょう?
恐らく誰も知りません。それは、私も同じ。
右側からかなりの速度で車が走って来たらしいです。
衝撃は私の全身に伝わり、私の体は宙を舞い、回転すること数回。
頭からアスファルトの地面へ吸い込まれるように落下。
アスファルトに頭から叩きつけられた直後、反動で又宙へ。そして、私のまだ骨格の未成熟な頭はゴムまりのように数回地面はねました。
一連の事態が収束した時、私の体と車の距離は数十メートルを優に超えていました。
「きっと、死んでるはずだった」
当時の状況を両親から聞くたびそう思います。
しかしその後、私は奇跡的に何の障害もなく生還しました。
2、悪魔のような幼少期と青年期
2歳の惨事以来、両親は過保護になりました。私は外に行くことを制限され家でゲームばかりして日々を過ごしていました。そして、ゲームに飽きるとプラモデルを組み立てたり本を読む、その繰り返しでした。
近所の子供達とのわずかな交流はあったものの、外界との交流は極めて限られていました。子供達はほぼ全てが自分より年下。
気がつくと同世代との接し方がわからなくなっていました。
両親はいわゆる堅物で、あまり冗談を解せず扱いづらい人でした。特に父はいわゆる学者的というか、良くも悪くも浮世離れした難物です。家では機嫌の起伏が激しく、非常に私には面倒でした。それが私の同世代との意思疎通の拙さを加速させました。
今になって思うと両親には沢山の愛情をもらっていたのだとおもいます。今では両親に感謝しています。
しかし、当時の私は考え方が浅はかだったせいか同世代との人間関係の拙さを全て両親のせいにしていました。
時は経ち、気がつくと空気を読むことに長けていました。大人の好きな子供を演じ、思い道理に動かせるような感じがしていました。
確かに、当時の私からしたら大人は子供以上に単純な存在でした。
何をしたら、どう話しかけたら機嫌よくなるかがよくわかっていました。
一方で、同年代との接し方がわからない事は何も変わっていませんでした。
しかし、同年代との関係は小学4年くらいには完全に放棄していました。
「大人さえ味方につければ子供は意のままだから問題ない」
こんな歪んだ発想から親しい友人を作ろうともせず、心の中では全ての人に蔑視の眼差しを向けていました。
当時は、人を人として見ない、心ないもののように認識していたかもしれません。
きっと、酸っぱいブドウでしょう。
同世代の友人が欲しいが仲良くなり方がわからない。だから、傷つかないように自分から遠ざけたのでしょう。
当然、そのような歪んだ思考では行動にも支障が出ます。
そして、ついに人生の転換点。
見事、5年にしてクラスからの総スカン。かなりの衝撃を受けました。
「大人は好意的なのに!」。
この日以来余計にこじらせていきます。
余計に周りを敵視し、悪いのは全部周りのせい。
共感性は自分を有利にするために使う武器。気がつくとそれなりに共感するしないを自在にコントロールできるようになっていました。
そして、小学6年生の卒業文集にあった、私の夢…きっと、大人受けのいいものでした。
今となっては、私の記憶の断片たちはそこに何が書かれていたかを語ってはくれません。
しかし、当時の本当の夢は「皇帝」。
それも三国志の曹操のような権謀術数に長けた独裁者的な皇帝です。
そう、独裁者が理想だったのです。
力こそが至上でした。
融和するすべを知らない私には、向かってくる敵意を手段選ばずに制圧することが大事だったのです。
自分を守ることに必死だった気がします。
そうして、青年期もこじらせ続けて行きます。
完全に人生史上最凶の歴史です。
3、受験の挫折と自分との対話
高校はなんとか地元の進学校に進みました。
しかし、もともと勉強、特に座学自体がきらいであったこともあり中々勉強時間は増えず、当然のことながら成績はいま一でした。
その癖、「大学は東大でなければ行く価値がない、しかも学部は医学部以外いっても仕方ない」。
こんな時代錯誤の考えをもっていました。
当然のことながら、受験は失敗。
挫折というものを始めて知った気がした瞬間でした。
そこから私の人生は完全に狂いました。
「もはや、死んだ方が面倒くさくないからいいのでは?」
何度思ったかしれません。
結局、数年の浪人期間を経て文転。法学部へ入ることになるのですが、
「もう自分はエリートとしては生きれない。支配者になりそこなった、死んだ方がいいだろう。自分が支配されるのはごめんだ。」
そんなうつうつとした気分で毎日ただ怠惰をむさぼっていました。
底の見えない闇を下に見やり、絶望の深海を這うように漂っていました。
さながら、死体のように。
そして、孤立を深めていく中で自分との対話が始まりました。
「そもそも私は何で人を支配したかったのか?支配できたら本当に満足だったのか?」。
何度も何度も問いかけました。
そして、それから何年も自問自答をくりかえした結果たどりついた結論。
それは「結局、私が本当に欲しかったものは親友、良好な人間関係だったんだ」との気付きでした。
この時はじめて、人間関係には支配、被支配以外の関係があると心底痛感しました。
それからは心理学等を独学で勉強し、もともとの外向的な性格を活かし、とにかく日々実践し続け今に至ります。
こうして、おそいながらも私は自分との対話を通じて本当の意味で人生をはじめることになりました。
「人生、残された時間は何年だろうか?」。
「いままで手に入れられるはずだった感情を、友情を果たして手にできるのだろうか?」。
迷っている間にも時は過ぎて行きます。
今が一番若い。
幼少期に一度私は死にました。
一度失った命と思えば、どんな無茶もできる。
「やりたいように生きたなら、例え途中で死ぬことになってもいいではないか」。
これが私の今の素直な気持ちです。
そう、「死を受け入れ、死すら友人として生きる」と。
4、何でブログを始めたのか
私自身とても飽き症です。新しいことに常に触れていないと苦痛になってしまいます。
そこで、今までやったことのないことをしようと、2019年27日にツイッタ―を始めました。
運営方針は「人間関係で悩んだり、いまいち一歩を踏み出せない人達への心からのエールを送ること、加えて心理学等に基づく対人スキルの発信」です。
順調にフォロワ-数は増加していきました。
多くの人から温かい感謝の言葉を頂き、拙い私の文章でも少しは人の役に立てるのだと実感しました。
そうしている内に、より多くの人へエールや人間関係の重要性や改善のヒントを伝えたい、より多くの人と親交を深めたいとのおもいがつのりました。
事実、人間の幸福感の大半は人間関係によるということが心理学でいわれています。
孤独は普通の人にとっては猛毒です。
人を死に至らせる致死毒です。
人生で人間関係ほど重要なものはないと思っています。
だからこそ、人間関係をよくする情報を広く提供したい、提供することで人の幸せをサポートし自身も幸せになろうと思いました。
そして、人間関係の改善を基調としつつ人生自体を豊かにし、幸福感を高めるにはどうしたらいいかを提案したいのです。
それがこのブログ始動の理由です。
5、当ブログの運営理念
ネットは情報の海。心理学等の知識はそれこそ氾濫しています。
しかし、多くのサイトは堅苦しい文章でいかにも「お勉強」然としています。
そして、内容が抽象的すぎたりして「これどうつかうん?」と思わず声が出るものが多いです。
そこで、当ブログの運営理念は以下のようにしました。
1、多くの人達に人間関係を円滑にするスキルやヒントを「なるべく分かりやすく、楽しく」発信する。
2、私自身の実践経験を参考に、出来るだけ心理学の知識を実践的な形で発信する。
3、このブログを起点として読者諸氏との親交を深める中で独自のコミュニティを形成していく。
4、幸福感を高めるために役立ちそうな知識や情報をなるべく実践可能な形で発信する。
6、私の見る未来
私のブログ運営理念は前章で述べた通り。
そして、このブログは私の描く未来へのきっかけでもあります。
その点もここで強調しておきたいのです。
そう、このブログは私が実現したいことへの序章。
それと同時に戻ってくるホームでもあります。
では、一体私はどんな未来を想像しているのか?
それは「国という枠にとらわれない生き方ができる世の中にする」ということです。
そのために「超国家的コミュ二ティ」を創設する必要があります。
人種や国籍をこえた多種多様な人々からなるコミュニティです。
仮想通貨の応用によって、その超国家的コミュニティを中心とした独自の経済圏の形成も可能だと考えています。
私は政治なんぞに興味はありません。
政治的思想などと言える大層なものは皆無です。
ただ私は自国だけを愛することをやめ、自民族だけに固執することをやめ、皆が地球に生きる世界市民であるという誇りをもって連帯して生きられるコミュニティを創りたいのです。
そのコミュニティが具体的にどのようなものになるかは現時点では全く分かりません。
今後、コミュニティの具体的な在り方については多くの方々と交流を深めていく中でともに形作っていけたらいいと思っています。
しかし、これだけはいえます。
「自立した個人が一人でいるよりもお互いが連帯し共につながることで幸福感がふえるコミュニティを創る」。
この決意だけは揺るぎません、揺るがせません!
私は純粋な日本人。先祖は大化の改新にまでさかのぼれます。その最古の先祖は当時の朝廷の高官だったそうです。
歴史の重さはそれなりに知っているつもりです。
しかし!
それでも私は昔から「日本人は素晴らしい」、この一文にえも言われぬ深淵な嫌悪とそれが良しとされる社会の不気味さを感じて生きてきました。
私にとっては「日本人も素晴らしい」が正しいのです。
多くの日本人が「日本人は素晴らしい」という時、彼彼女らの心の裏側にある感情は「日本人こそがすばらしい」、そんなふうに思えてなりません。
その異常なまでの固執を人々が嬉しそうに示す時、私は足場が悪くただっぴろい月面にただ放り出されたような違和感と落ち着かなさに戸惑うばかりでした。
私は自国に強い愛着の感情をもつことを理解はできます。
が、好きにはなれません、納得できません。
自分の出自に誇りをもつこと自体はアイデンティティの形成上しかたない側面があるとは言え、歴史上過ぎたる自国に対する偏愛が戦争を激化させてきたようにも思えてならないのです。
ですから、私は「どの国にも愛情をもたない」か「どの国にも均等に愛情を注ぐ」事が理想と思ってきました。
結果、私はどの国も等しく愛し、同時に愛していません。その感情は熱くもあり、冷たい。さながら、マグマと氷河。
地球という規模で愛したいと思っているところです。
しかし、その考え方ですら宇宙に進出する時代になれば「宇宙を愛する」ことに変遷していくのでしょう。
私は必要に応じて愛する対象を変えていくつもりです。
「愛情は人々が幸福に生きるためにある、愛情に振り回されたりしてはいけない」と思います。
全ては自分が、又自分と関わる人々が共に人生の楽しさを共有する為に。
私の見る未来。
それは「超国家的コミュニティ創立をとおして国という枠組みにとらわれない生き方を世界にとっての当り前とする事」です。
国境はいらない。
7、脱マンネリズム宣言
はい、なにごとを始めるにも口に出して宣言することが大事です(え!?まさか違う?)。
ですから、この場を借りて私の主義である脱マンネリズムを宣言させていただきます!
はい、ではいきます。
あるところに少年がいた。
彼は「男らしくあれ!」と教えられた。
どんな時も涙を見せてはいけない、社会のために滅私奉公することが美徳であると教えられた。
あるところに少女がいた。
彼女は「女らしくあれ!」と教えられた。
どんなときもおしとやかにせよ、家庭に入って家を守るのが美徳と教えられた。
やがて…
少年は男性になった。
熱き愛国心に燃え国家に身を捧ぐ企業戦士となった。
少女は女性になった。
滅私奉公する男性を補助し、子を育て家庭を守ることを使命とした。
彼彼女はそれが世界の真理、あるべき真理であると信じた。
そう!
強く信じたのだ!
しかし…
それは嘘だった!
そう…真っ赤な!
恥知らずなどでは言い足りない程の!
それは洗脳だった!
そう…都合のいい!
国家の従順な奴隷であるに疑念がないほどに!
そうだ…
彼彼女が見た世界は灰色だった!
彼彼女は色彩感覚を奪われた!
都合のいい奴隷道徳によって!
しかし、本能は知っていた!
そう、「マンネリズム」を!
全ては決められた通りに運ばれ、その循環は永遠に続く!
だが、これは運命などではない!
断じて!
そう…
自らの意思によって選びとれるのだ!
いつからでも!
その生き方を!
彼彼女は知るのだ!
「人生はかくも尊い」と!
「マンネリズムの円環」を脱して!
そう、彼彼女は世界の本当の色を知る…
ついに、この日が来た…ついに…
我々は味わってきた!
日常の繰り返しの中で!
幾多の不快を!
挫折を!
不遇を!
そして、型にはめられてきた…
その中で、硬直して腐りきった陳腐な思考はついに安っぽい発想しか生み出さなくなった…
そして、いま、自分に問いかけてほしい!
楽しいか?
ワクワクするか?
生きていて幸せか?と
硬直した頭が生み出す思考
それがもたらす人生は退屈だ!
退屈した人生は生きる意味を奪う!…
これが正しい生き方か?
否!!
我々の人生はもっと自由でワクワクするものであったはずだ!!
いつのまにか失った童心を取り戻す時だ…
同志たちよ!
同志諸君よ!
親愛なる友人たちよ!
立ち上がれ!
打倒マンネリズム!
打倒マンネリズム!
みたびいう!
打倒マンネリズム!
明るい思考が明るい明日を創るのだ!
どんな辛いこともとらえ方次第!
そして、同じことの繰り返しは心を腐らす!
さあ、今こそ新しい考え方を!
任せるがいい!
全ての負を正に変えて見せよう!
そして、この手に取り戻す!
自由な思考!
好奇心!
高揚感を!
この手に!…
そして、この世界にある既成のものの新たな可能性を見出す!
世に広く知らしめる!…
未だ広く知られぬ好奇心を刺激するものを!
それが我がいかんとする道、かかげる理念!
よって…
ここに脱マンネリズム宣言を宣言する!!
「脱マンネリズム宣言 改訂版」
おわりに
この記事では主に当ブログ「脱マンネリズム宣言」の運営者であるわたし、ぐれんのおにぎりの自己紹介、当ブログの運営理念とどういう経緯でわたしがこのブログをはじめたかについて述べました。
最後にやたらと暑苦しくてくどい宣言をしてしまいましたが、みなさんに伝えたいことは
「もっと常識や世間のこうあるべきという思考のしばりから自由になって人生をたのしもう」
これにつきます。
さあ!みなさん!
いま!今日このときから世間の常識や社会の悪弊の理不尽さ、非合理さが存在する事実はみとめつつもそれにのまれず、快適にいきるすべを獲得していこうではありませんか!!共に!!
そのために私は少しでもお役にたちたい。そんな一心でブログを運営してまいります。
どうぞ以後よろろんです!