「もう本当ムリ!わたしは頭悪いから無理無理無理!無理よ。どんなに勉強したって頭なんてよくならないから。勉強とかしてると頭痛くしかならないわ。だから、もうわたしさ、勉強とか努力とかなーんもしたくないんだ。」
おっとー?
そうすか?
知能って努力では何も変わらないって感じですか?
んー、それはまずいなあ、、、成長しなくなっちゃうぞい。
オニギリス!
脱マンネリストのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「『あきらめたらそこで試合終了ですよ』成長できない人は知性を○○と考える。」という話です。
今回の記事は以下のような方に向けておおくりします。
- 知能に対する考え方がどれだけ成長には大事かを知りたい人
- 自分で勝手に自分の限界を作ってしまっている人
あなたは知能というものをどうとらえているでしょうか?
持って生まれた才能が全てのもの?
それとも、努力によって向上するもの?
、、、さーて、どちら?
もし、「才能こそすべて」と思っているなら、それは大損しているかもしれません。
別にこれはありきたりな自己啓発の話をしたいのではありませんよ。
ちゃんと、科学的に根拠があることなんです。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
知能観によって成長できるかかわる?
暗黙の知能観(Implicit Theories of Intelligence)とは社会心理学や発達心理学、パーソナリティーを専門とするスタンフォード大学心理学教授であるキャロル=S=ドゥエックさんによって名付けられた「知能に関する信念」のことです。
そして、知能観は増大的知能観と実体的知能観の2 種類に大別されます。
以下順次解説してみます。
・増大的知能観(拡張的知能観とも)
増大的知能観というのは「知能は柔軟なものであって、自分自身の努力によって成長させることが出来る」という考えのこと。
そのため、増大的知能観を持つ人は失敗の原因を自分の努力が足りないことに求める傾向があるんですね。
増大的知能観を持つ人は困難を認識したり何かについて失敗を経験すると、その問題に対して以前とは違った方法での対処が必要だと考えます。
その結果、ネガティブな感情(例:自分には無理だ)に陥ることなく、問題に対して異なった方法で立ち向かおうとするんですね。
そして、彼彼女らは目標設定に関してはラーニングゴール、つまり「学習そのものを目標にする」傾向があり、挑戦心が旺盛です。
また、Dweck(2006)では増大的知能観を持つ人は抑うつ傾向が低く、適応的であるとしています。
・実体的知能観(固定的知能観とも)
実体的知能観とは「知能の量は固定的であって自分自身では制御することが困難である」という考えのことです。
実態的知能観を持つ人は困難を認識したり失敗を経験することを、「自分の能力の低いことの証明」等というネガティブな情報としてとらえてしまう傾向があります。
困難や失敗をポジティブに考えられないため、当然のことながら、ネガティブな気持ちを抱きやすいですね。
そして、彼彼女らは失敗の原因を自分自身の能力不足に求める傾向があり、その後物事に挑戦しようとする気概を失ってしまうといいます。
また、彼彼女らは目標設定に関してはパフォーマンスゴール、つまり成績目標を設定しがちです。
この成績目標は自分の成績と他者の成績との比較に焦点を当てた目標のこと。
彼彼女らは他者との比較に意識がいっているため、どうしても失敗を恐れて「自分が失敗しない程度の難易度のもの」にばかり取り組もうとしたり、「自分の能力を証明するのにちょどいいくらいの難易度の課題に取り組む」なんて姿勢になりがちです。
このような姿勢は非適応的といえますね。
知能観は社会的行動にも影響する
上述の通り知能に対する信念である知能観によって、学習自体を目標とするラーニングゴールを目指すのか、自分自身の能力の証明を目標とするのかが決まってきました。
増大的知能観を持つ人はラーニング・ゴールを設定し適応的です。
彼彼女らは「成長や発展そのものが目標となっている」ため非常に適応的なんですね。
そのような信念は適応的な行動パターンを生みだします。
対して、実態的知能観を持つ人は何らかの目標に対して取り組んでいても、それは「自分が成長するため」ではなく、「自分自身が持って生まれた能力が適切であることを示すこと」を目指しているわけです。
そのため、、実態的知能観を持つ人は非適応的で救いのない行動のパターンを取ることとなります。
要するに、適応行動をとるか非適応行動とるかを決するのは知能観なわけです。
そしてこれは何も達成状況、つまり失敗や困難に直面したり挑戦的な状況に出くわしている場合だけに言えることではないんですね。
実は、社会的状況における行動パターンにまで影響するといわれていたりします。
これを示唆するのが、ゴーツさんとドゥエックさんによる文通クラブ実験です。
ゴーツさんとドウェックさんは『社会的状況における救いのない反応』という研究において、社会的拒絶に対する反応パターンを調査しており、その結果は達成状況におけるパターンと非常に類似していたといいます。
この研究の概要は以下のとおり。
- 1:アンケートにより子供たちを2つのグループに分けた(例:「あなたは新しい街に引っ越した。が、そこで出会う女子や男子はあなたのことが全然く好きではない様子だ。それはなぜか?)
- 2:上記のような仮想の社会状況をいくつも想定することで、被験者達がどのように説明するかを観察した。
- 3:上述のアンケートに「自分はあがり症だから」とか「自分が不適切だから」と回答した被験者は非適応グループに分類し、「何か誤解があるから」とか「「拒絶してきた女子や男子が大変な状況にあるから」と回答した被験者は適応グループへ分類した。
- 4:その後被験者たち(子供たち)はある架空の文通クラブに加入するべく、自己紹介の手紙を書くことに挑戦するが、いずれのグループに属する被験者達も一通目は必ず拒絶され、同時に2通目に挑戦する機会を与えられる。ただし、2通目で加入できる保証はないと告げられる。
この結果は以下のようになりました。
- 1通目の手紙の長さやクオリティを見る限り双方のグループのスキルに差はなかった
- 2通目の手紙のチャレンジでは非適応グループの被験者の約39%が2通目の手紙を書くことを拒否、ないし1通目と全く同じ物を提出。しかし適応グループの被験者は誰もこうした行動は取らなかった。
はい、つまり適応グループに分類された子供たちは2回目も加入するためにしっかりと自己紹介文を書いたってことになります。
知能観によってモラル的であるかも決まる
まあ、いわゆる反社会的サイコパスのように「「モラル?なんだそれ?うまいのか?W」みたいに鼻からモラルを足蹴にする存在は別として、普通の人は自分がおかれた状況とモラルとのはざまで葛藤するものです。
例えば、会社で仕事をする中で内部で不正が行われているのに気が付いた際に、それを正すのが社会的には正しいしモラルある行動であるとわかっていてもそれを行うと自分に不利益が生じます。
このような場合に、「不正を糾弾すべきか黙認すべきか」という葛藤が起こったりするんですな。
そして、このような状況でも知能観の違いによって行動には違いが出てくるそうです。
レストさんの研究である「モラリティ」において以下が示唆されているといいます。
- ラーニングゴールの人は他者との摩擦が起きるにせよ、そうした批難に耐えてモラル的な行動規範に基づいて行動する傾向が強い
- パフォーマンスゴールの人は批難やリスクに弱く批難やリスクの恐れがあるなら、モラル的に正しい行いから逃避する傾向にある
パフォーマンスゴールの人にとって自尊心はパフォーマンスゴールにより充足される、つまり彼彼女らの自尊心の源泉は「自分の能力が優れているという他者からの評価」になります。
だから、モラル的状況において後ろめたい気持ちがあっても周りの人、特に自分の上司や権力をもつ人から好まれる行動を取ろうとするんですね。
一方、ラーニングゴールの人にとって自尊心は進歩や挑戦的な課題に挑むことによる習熟によって形成されるため、モラル的に困難な状況にあって反モラル的行動をすることは自尊心の危機となります。
だから、モラル的に困難であってもラーニングゴールの人はモラル的に振舞おうとするわけです。
なお、今一度言っておきますが、サイコパスに関しては例外ですね。
彼彼女らは自分の利益以外には興味がないので、モラルとか善悪という概念すら持っていない可能性があります。
それこそ「得をするなら何でもする」って感じでしょう。
だから、モラルを無視しても自尊心が損なわれることはないですね。
そもそも「うしろめたさ」なんて少しもないわけですし。
だから、サイコパスは「モラルを守ることが得なら守る」し、「モラルを守らないことが得ならモラルを破る」て感じですね。
おわりに
この記事は『『あきらめたらそこで試合終了ですよ』成長できない人は知性を○○と考える。』と題しておおくりしました。
知能観には増大的知能観と実体的知能観の2種類がありましたね。
増大的知能観をもっている人は「努力して成長すること自体を目標とする」傾向があり、非常に適応的であり困難や失敗経験に際してもめげることなく努力し続けます。
一方、実態的知能観を持つ人は逆でした。
人生は学習の連続ですから、いわずもがな増大的知能観を持つのが望ましいでしょう。
そのためには、個人的にはまずは自分への思いやりであるセルフコンパッションを高めるのが有効ではないかなどと思う次第。
まあ、知能観を長い人生ずっと成長していきましょうぞ!
では!
参考
https://www.gakushuin.ac.jp/univ/let/top/publication/JI_19/JI_19_015.pdf
参考記事等