「こないだ友達と連れだって久々に遠出したけど、正直友達の行動にあきれたわ。アイツ普通に道に空き缶ポイ捨てすんのな。注意したら「悪いとはわかってんだけど、、、つい。まあどうせ誰か片付けるっしょ?」だってさ。あれはダメだわ。マジでやめてほしい。」
んー、確かにポイ捨てはあかんなあ。
オニギリス!
脱マンネリストのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「「社会的ジレンマ」悪いとわかっていてもやめられないしやってしまう」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
社会的ジレンマについて詳しく知りたい人 等
社会や集団として「こうあったらいいよね」という方向性があっても、かならずしもその構成員のみんながみんなその方向性に向かって動くとは限りませんよね。
例えば、路上でのポイ捨てや駆け込み乗車等といった一般にマナー違反とされるようなものもその一つと言えるでしょう。
こういった全体の利益と個人との利益の対立ってなやましいものですよなあ。
今日はそんなお話。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
社会的ジレンマってなんぞ?
社会的ジレンマとは、非常にざっくりいうと「社会全体や集団の利益が構成員である個人の利益と衝突する際に生じ互いに影響し合う葛藤状態」です。
社会的ジレンマの定義としては、Dawes (1980) によるものがよく用いられるといいます。
その定義という以下。
社会的ジレンマは次のような関係が、ある集団に存在する状態である。
(1 )それぞれの集団の成員は、協力または非協力の うちのいずれかを選択できる。
(2)それぞれの成員にとって、非協力の選択により 得ることのできる利益は、協力の選択により得るこ とのできる利益よりも常に大きい。
(3) しかし全員が非協力を選択したときにそれぞれ の成員が得ることのできる利益は、全員が協力を選択したときに得ることのできる利益よりも小さい。
引用
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssp/9/1/9_KJ00003725234/_pdf/-char/ja
ふむ、「集団の利益よりもその構成員が個人の利益を優先することで集団としては損害が出ている状態」って感じですわな
なお、社会的ジレンマの代表例としては「共有地の悲劇」や「衆人のジレンマ」等がありますね。
囚人のジレンマについて詳しくは以下。
特に「共有地の悲劇」は、この社会的ジレンマの研究の契機となったとされる重要なものです。
「共有地の悲劇(コモンズ悲劇)」とは、1968年に生物学者ギャレット=ハーディンさんが雑誌「サイエンス」に掲載したモデルのこと。
その概要については以下の通り。
ある共有の牧草地があって、そこに5人の村人がそれぞれ20頭ずつ羊を飼っている。
ここには羊100頭分の牧草しかない。
そしてそれが守られていれば、村人みんなが牧草地の恩恵に預かれる。
なおこの羊は1頭100万円で取引される。
仮に羊がこの牧草地に一頭増えることによって餌となる牧草が減れば栄養不足のため99万円で取引される。
以後1頭増える度に、1万円ずつ取引価格は下がっていくことになる。
※初期の村人一人当たりの取引高は100万×20頭なので2000万円
個人的合理性を重んじる村人は、現状の羊の頭数を維持、削減するよりも増やした方が利があると考える。
そこで村人Aはもう一頭羊を放牧した。
その結果、村人Aは2079万円の利益を獲得(羊21頭×99万円)。
一方で、他4人の村人の取引高は1980万円に減少(羊20頭×99万円)。
それを見た周りの村人も自分の利益を最大化せんと、それぞれが自由に羊を共有地に放し始める。
結果、牧草地は荒れ果てて誰にとっても使えないものになった。
※なお、自由に放牧した場合の総利益は最適に管理された状況での総利益よりも少なくなる。
この共有地の悲劇では、最初に他の4人を出し抜いて羊をまんまと売り抜けた村人Aが一番得をしているわけですけども、その利益は一時的なんですよね。
もし、互いに協力して「一人当たり羊20頭」という頭数制限を守っていれば、「牧草地を長期間にわたって維持し続けられるため、持続的に収益をあげられた」んです。
村人A は一時的に2079万円を手にしたものの、その後牧草地が荒廃してしまったら収益はゼロになってしまいます。
もし5人が互いに協力行動をとっていたら村人Aは、「20×100=2000万円」を「継続的に得られていた」という事ですから大損しているといえますね。
これは最近世界的にとみに叫ばれているSDGsにも通ずる問題ですよな。
現実は中々しんどい
協調行動をとれば全体が得をするとしても、やはりそう現実はうまくいかないものです。
例えば、アメリカのビジネス理論家であるジェフリーフェファーさんは、自身の著書「Leadership BS: Fixing Workplaces and Careers One Truth at a Time(放題:悪い奴ほど出世する)」にて、企業において出世していく人ほど
「集団の利益よりも自分の利益を優先し最大化しようとする」
と言っています。
参考
企業は個人の都合で動いていたら仕事になりませんから基本的に協働し全体として利益を生み出していく必要があります。
ですから、基本的には「全体の利益になるように動く」のが筋というものでしょう。
しかし、出世する人ほど「全体の利益よりも自分の利益を優先する」という事です。
もし社会全体を一つの組織という視点から見るとしたら、上層部ほど自分の事しか考えない人間で埋まっていくことになるでしょう。
政治家は利己的って感じかねえ、、、。
まあ、断定はできませんけどね。
あとは、最近一部で話題になっている一般消費者と転売屋の対立も社会的ジレンマの実例でしょう。
転売屋は商品を「自分が利益を出すための道具」として利用すべく大規模な買い占めを行います。
そのため、純粋にその商品に価値を感じほしいと思っている人が、商品を買えないという事態が起こりますな。
で、そんな買えなくてモヤモヤしている人たちに転売屋は、通常価格に利益を上乗せした高値で売ろうとするわけです。
商品が欲しい人は多少高額でも買おうとするため、転売屋は儲かります。
ただ、こういった大規模な買い占めが継続的に行われていると、その商品の生産、ひいては同様の属性の商品を生産販売している業界全体の衰退につながっていく可能性があるかもしれません。
その商品に純粋に価値を感じている一般消費者の手に渡りにくい状況が続けば、消費者の興味が薄れたりその商品の価値が広く知られることもなくなりその商品を継続的に買ってくれるファンのような存在が生まれにくくなりますからね。
企業側としても一時的には売り上げが上がるのでいいでしょうが、長期的な視点からみた企業や市場全体の成長にとってはマイナスに作用する気がします。
この現象はまんま同じでないにしても、上述した共有地の悲劇とかなり似たケースなのではないかって思いますね。
市場全体が最後には荒野になり果ててしまうって未来が待っていそうですわな。
そして、同様の事が戦争問題にも言えますね。
核弾頭の存在は決していいものではないですが、現在一般に世界では核弾頭の存在が戦争の抑止になっているとみる向きがあると思います。
核弾頭をうつと自分達もうたれるため戦争が抑止されているという話ですね。
しかし、これがもし「覇権主義的で自国がアメリカと戦っても負けることはない」という確証をもち「核を使われて自国の国民がいくら死んでも何も問題ないという意識を上層部が持っている」という国があったらどうでしょうか?
もしこんな国があったとしたら、この国は自国の上層部が得をするのであれば嬉々として弾頭をぶっぱなして他国に先制攻撃を仕掛けるんじゃないでしょうかね、、、。
で、結局世界全体でみるとほんのごく少数の上層部の人間だけが得をし世界の多くの地域が放射能に汚染されて使用不可能になるっていう、、、。
幸いなことに現状こんな国はないので、そんなことは起こっていませんけども。
ありえない事態とはいえないでしょう。
社会的ジレンマを解決することはできるのか?
社会的ジレンマが起こってしまう原因は何といっても、「抜け駆けすれば自分だけが得をするという状況があるから」でしょう。
人間は本来基本的には利己的ですので、程度の差こそあれ「こんな好機をのがしてなるか!」という気持ちが生まれてもおかしくありません。
社会的ジレンマの解決にあたって、個人の道徳とか良心を当てにするのはあまりにもお気楽すぎて話にならないと思うんですよね。
もちろん、無駄とまでは言いませんが。
社会的ジレンマを解決する方法として考えられているものには、以前取り上げた「応報戦略」というものがあります。
参考記事等
この戦略の概略は「自分から相手を積極的に信頼はするが、もしその信頼を裏切ったら同程度の仕返しをする」というものです。
これを社会という枠組みに適用するなら、「罰則を伴う法整備をしっかりと行う」という事でしょう。
何もない時は信用し自由に振舞うことを許容しているけれども、その信頼が一たび破られれば法にのっとって処罰するってことですね。
なので結局、現実的な視点から言うと「社会的ジレンマの解決には法整備が重要だ」てことになると思います。
とはいえ、罰則の内容と犯した罪の重さが均衡である必要はあるのでそこは難しいでしょうけどねえ、、、。
応報刑論でいうところの罪刑均衡の原則ってことですわな。
ちなみにですが、転売問題を解決するにあたっても法整備が一番効果的なのは間違いないでしょう。
しかし問題なのは「その法律を作って法律を作る側である上層部が得をするか?」という視点です。
上述したように「上層部ほど自己利益を最大化させることを意識している」のであれば、転売を取り締まる法整備をする事が「何らかの形で上層部の得にならない限り法整備なんてしないだろう」という事ですな。
よほど世論が過熱するとかしないと難しそうです。
ただ例えば、ゲームやプラモといったものに熱中して「手に入れたいのに手に入らない!」と怒っているような人達というのは人口全体の何%に相当するのか、またそういった人達の社会的地位や経済力などはどうなのか等もわりと重要かと思います。
おそらくですけども、わたしのように「プラモとかゲームとか別にそこまで興味ない。まあほしいのあったら買うけど、買えなかったら別にいいわ。定価で買えるまで待つよ」位の人間の方が割合的には多いんじゃないかなあって思ったりします。
要は、「別になんとしても手にいれたいなんて固執してない人達」てことですな。
あったらいいけど、なかったらまあいいやって言うね。
なので一部の熱狂的な人達だけが「転売は悪!」といっているだけでは、一向に何も起こらないという事です。
むしろ、「なんでプラモとかゲーム位でそんな向きになってんの?なくたって生活に支障出るようなものでもないでしょ?」等と冷ややかな目で見ている人もいる気はします。
まあ、これが生活必需品だとか娯楽の域を超えてくると別でしょうけどね。
法整備がなされるためにはもっと世論が過熱しないとダメなんでしょうねえ。
例えば、去年マスクの転売が規制されましたよね。
あれはやっぱり世論の影響が大きかったからだと思うんですよ。
趣味や娯楽といった緊急性を要さない領域で起こっている転売を厳重に取り締まっても、政治家たちは大して得しないんじゃないかなって思います。
一般に「あってもなくても生活に支障が出ないとされるもの」、つまり「公共性の低い物」に関して転売が行われていても上層部としては、「好きな奴らの間で勝手に売り買いしてりゃあいいだろ。市場原理に任せてればいい。高くて買えないのはそいつの懐事情ってだけだ。知ったことではない」等となってもおかしくないって思うのです。
得しない事なんて権力者の誰もやりませんよ。
もし権力者を動かしたいなら、世論をもっともっと過熱させないとアカンね。
政治を動かすには「転売は公益を損なっている」と言えるレベルの世論を形成しないとどうにもならんと思いますね。
少なくとも、「モラルの問題!」とか言っている内は何も起こらないでしょう。
おわりに
この記事は「「社会的ジレンマ」悪いとわかっていてもやめられないしやってしまう」と題しておおくりしました。
社会的ジレンマとは非常に大雑把に言うと、「社会全体や集団の利益が構成員である個人の利益と衝突する際に生じ互いに影響し合う葛藤状態」です。
社会的ジレンマが生じるのは結局のところ、「抜け駆けすれば得をする状況があるから」という事に尽きるでしょう。
なので最終的には、法律等制度的枠組みによってでどうにかするしかないんでしょうなあ。
では!
参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%9A%84%E3%82%B8%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%9E
https://psychoterm.jp/basic/society/social-dilemma
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssp/9/1/9_KJ00003725234/_pdf/-char/ja
https://kotobank.jp/word/%E5%85%B1%E6%9C%89%E5%9C%B0%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%8A%87-1125495
参考記事等