サザエさん一家の『磯野タマ』は人生における勝者。タマフォーエバー。

「ああ、もう日曜もこんな時間だ。ついにサザエさんがおわってしまった、、、、、もう、明日の準備をしないといけないわ、、、、、。あーーーー!!憂鬱だ!!憂鬱すぎる!!!どうしてくれようこの憂鬱感!!」

んー、あるよねー、サザエさん症候群!

ま、落ち着こう。

粗茶でもどうぞ。

オニギリス!

脱マンネリストのオニギリです!

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「サザエさん一家の磯野タマは人生の勝者である」という話です。

ん?

ふざけんな?

いやいや、結構まじめですが、なにか?

磯野タマとは言わずと知れた、泣く子も黙るあの磯野家の名猫「タマ」のことです。

あのネコ、、、いや、かの御猫タマは磯野家にあって最も人生(それとも猫生?)で成功している存在なのですよ。

ていうか、多分作中で最も人生をよく生きている存在といっていいかもしれません(超個人的に)。

では、にゃるりとおおくりします。

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白き猫、ここに居たり

磯野タマ、、、、、あなたもよく知っているであろう、あの国民的アニメ『サザエさん』に登場する磯野家の飼い猫であり、顔をよく見ると「なんだかよくわからないけど心なしか老けた顔をしている白い猫」です。

まず、一つ大事なことを。

それは御猫タマは「オス」であり「ペルシャ猫の彼女がいるリア充である」ということ。

引用

もしかしたら、逆玉の輿なのかもしれない、、、、。

もう、この時点で非モテコミュ障非リア充の人間からしたら「勝ち組」であろう。

、、、、、まあ、だが、磯野タマを語るうえでそんなことはとるに足らないこと。

一番重要なのは「彼のルーツ」であるのですから。

彼は子猫の時代から磯野家にいた「飼いならされた猫」ではなく磯野家にきた迷い猫、いうなればタマは「地球や宇宙といった大いなる存在に自身の存在を位置づけ、何物にも縛られない真に自由な存在」であります。

彼は磯野家に縛られているのではありません。

自身の意志によって磯野家にいるといっても過言ではないのです。

むしろ、磯野家の面々が彼をもてなしているとすらいえるかもしれません。

なぜか?

まあ、彼は「猫」ですから。

そもそも、猫は人に癒しをあたう偉大なる存在ですからね(笑)。

彼がもてなされる理由はそれだけで十分です。

まして、彼は磯野家の面々と長いこと一緒に時を過ごしてきましたからね。

まあ、愛されますよねえ、、、、。

ちなみに、親友になるには「どれだけ長い時間を一緒に過ごすか」が大事といいます。

参考記事等

言葉など信頼と愛嬌の前には不要

以心伝心なんて言葉がありますね。

ただし、この言葉は心理学的に言うとまあ「ありえない」です。

気持ちというものは基本的に伝えない限り伝わることはありません。

その点からいうと、御猫磯野タマ氏は実は磯野家の誰とも「言語によるコミュニケーションをとれない」ので、気持ちを磯野家の面々に言葉にしてつたえていません。

ということは「タマ氏の気持ちは磯野家の人々には伝わっていない」ということになる、、、、といいたいところですが、言葉によらずとも「非言語コミュニケーション」である程度の意思疎通はとれるものと考えられます。

具体的に言うなら、タマ氏の「しっぽ」は非言語コミュニケーションを行うのにうってつけです。

事実、ネコのしっぽで機嫌がわかったりするなんて話はよくききますね。

参考

http://ww3.tiki.ne.jp/~nsasax/pet/feeling/tail.html

そして、上述したように長い時間を共に過ごすことで友達となるので、話をしたしないはあまり問題ではないのです(まあ、磯野タマ氏はネコだけど大目に見て)。

長い時間を共に過すことで築かれた絆によって、アニメを見る限り磯野タマ氏は人に対して明確な言葉をもって話しかけてはいないけれども、磯野家の面々とちゃんと意思疎通らしきものをとれているような気がします(人はそれを思い込みや都合のいい解釈という、、、、?)。

まあ、いいのです!!

可愛い飼い猫のことを肯定的に考えて何が悪いのか?

はい、かわいいは正義です(暴論)!

そこに愛嬌があるのですから、もう言葉など、、、いらん!

参考記事等

我自由を愛すものなり、何人も我を縛ることかなわぬ

はい、上述した通り磯野タマ氏のルーツは「大自然」であります。

決して、人のように社会のしがらみに縛られている不自由な存在ではありません。

それゆえ、「自分は自分、他人は他人」と意識できていると思われるので、「あるがままを受け入れる感覚」である自尊心が非常に高いことが容易に想像できます。

そして、この高い自尊心を前提にして人間と同族とも良好な関係を気づけているように思えます。

心理学的な視点からすると、磯野タマ氏はかなり人生に幸福感を感じているはずです。

確かに、ネコにも縄張りというものがあり、時にはいざこざもあるでしょう。

しかし、それは避けていけばいいだけのこと。

そして、あの磯野タマ氏の心なしか老けこんだ顔に、わたしはある種の老獪さと賢者の叡智を感じるのです、、、、。

幾多の修羅場をくぐってきた痕跡がみてとれます、、、、。

そう、あの顔は飼いならされたペットにはない威厳を放っている、、、、。

引用

ほらね?

、、、、、ん?

老けこんで疲れ切っているように見える??

ば、ばっかもん!!

、、、、それは言わないお約束(笑)。

まあ、それはそうと磯野タマ氏のように極力執着を捨て去った存在はメンタル的には大変安定している存在です。

何かに執着したりすると視野が狭くなり、さまざまな可能性に気が付けなくなってしまうものです。

また、物事に対する執着による「自分にはこれしかない」みたいな極端な思考は、メンタル的にもとても害が大きいものです。

おおよその場合そんなに代替の効かないものなんてこの世の中に存在していません。

また、目的を達するために「この手段しかない」なんてことだってなかなかないもの。

頭を柔軟にすればほかの選択肢も見えてくるもんです。

例えば、すごく簡単な例としては「お金を稼がなければ」と思うのなら、どんな仕事であってもとにかく稼げばいいってだけです(犯罪とかは論外だけどさ)。

それこそ本来、「職業に対する貴賤」みたいな判断はなんら意味を持たない訳。

当の問題に立ち向かっているときはつらくとも、一歩引いた視点から見ると、実は「別の道があってそっちの方がすんなりとおれた」なんてことはままあるものです。

磯野タマ氏にならって、ここは「何物にも執着しない雄大な心」をもって生きていきたいものであります。

いつでも客観的な視点を忘れずにいたいものです。

4、尊き御猫、名を何故タマと申す?

さて、なんで海産物の名称しか使われていない磯野家にあって磯野タマ氏だけが「タマ」なのでしょう、、、。

意識高い系とか拗らせ系の人は自身のネコに「ヴァ―ルリッヒ」、「シャールデン」、「ヴァルネリッサ」なんて鬼畜な名前を与えるかもしれません。

が、「タマ」。

非常にシンプルかつ、「ネコであればこの名前」という社会の偏見を見事体現したような猫界では割と古風とおもわれる御名をしています。

でも、実は「ヴァルネリッサ」みたいな「キラキラネーム」を磯野家の人々がつけなかったのは正しい可能性があります。

鎌倉時代に『徒然草』を著した兼好法師が『徒然草』の第16段にてこう言っています。

【原文】

寺院の号、さらぬよろづの物にも、名をつくる事、昔の人は、すこしも求めず、ただありのままに、やすくつけけるなり。

このごろは、深く案じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞こゆる、いとむつかし。

人の名も、目なれぬ文字をつかんとする、益なき事なり。

何事も、めづらしき事を求め、異説を好むは、浅才の人の、かならずある事なりとぞ。

 引用

はい、これを現代語訳すると、、、、

【現代語訳】

寺院の号、また、それ以外のすべてのものに名前をつける時、昔の人は少しも目新しさを求めず、ただありのままに簡単につけたものだ。

このごろは深く思案し、自分の知識や知恵を見せびらかそうとしているように思える名が多くあるのが非常に煩わしい。

人の名前も、見馴れない文字をあてようとするのは無意味なことだ。

何でもそうだが、目新しさを求めたり異説を好んだりするのは、間違いなく学の浅い人だと言われている。

引用

こんなに昔からキラキラネームは批判の的であったわけです。

さらにいうと、シンプルで発音しやすい名前の人の方が出世しやすいなんて研究もあるようです。

そういえば、あのイチローも本名は鈴木一郎ですね。

はい、ということなので磯野タマ氏の御名が「タマ」であるのはすごく意味があることなのです。

ここからも磯野タマ氏が人生における勝者である一因がみてとれますね。

あと何気に磯野家は高学歴一家の可能性が高いです。

なぜなら、マスオさんが早稲田卒だからです。

他の面々は、、、、わかりませんがね。

5、話さぬからこそ人の癒しとならん

ペットを飼っている人であれば一度くらいは

「あらあ、可愛いザマスね、うちの子は。うちの子が喋れたらいいのに、、、、」

なんてことを考えたことがあるのではないでしょうか?

まあ、無理からぬ話ではあります。

自分の愛する飼い猫、飼い犬等と実際に話ができたらいいのにと考えるのは理解できるような気がしますね。

しかしね、ペットはしゃべらないからこそ癒しになるって話です。

ペットの見た目がいくらかわいいからといって話し始めたら、

「おい、ご主人よ。飯はまだなのかよ?いつもこのくらいの時間には腹減ってんだよ。あ?長い付き合いだろ、わかんだろ?はよ、ツナ缶持ってこいや!」

とか言い出すかもわからんわけです(ただのツンデレだったらいいのかも?)。

「うちの子、こんな感じだったんだ、、、、」

なんてかなりのストレスに打ちのめされるかもわかりませんね。

でも、ペットが話さないなら彼彼女らの鳴き声を「自分の都合に合わせて解釈できる」って話です。

まあ、コミュニケーションとしては完全によろしくない状態ですけど、それがあるからこそ人が何とかやっていけるということはあります。

そもそも人がペットを飼うのは何のためでしょう?

多くの場合、ペットを飼う人が求めているのは「癒し」、言ってみれば「自分の心にあるさみしさに対処するため」ではないかとおもいます(もちろん違う場合もある)。

さみしさを感じているときには自分に優しくしてほしいと思うのが普通ではないでしょうか?

そんな時に、どすのきいた声で罵声を浴びせてくるペットなんて嫌じゃないすかね??

、、、、ま、これも人によるんかもですけど。

おそらく、磯野タマ氏がひとたび話せるようになったらかなりの毒舌ぶりを発揮したりするんじゃないですかねえ、、、、いや、これは単なる推測だけど(笑)。

やっぱ、磯野タマ氏はしゃべらないほうがいいっすね!!

おわりに

この記事では「サザエさん一家の磯野タマは人生の勝者である」と述べました。

結構まじめにやったんだよ、これでも(笑)。

まあ、あれよ、何かに縛られていない磯野タマ氏はすごいぞ!てシンプルな話ですわ。

本当、それだけ。

常に視野は広く持っておきたいもんですねえ。

では!

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