「そういえば、最近、有名な将軍が言った言葉に「無能な働き物は殺さなければいけない」なんて言葉があるって聞いた。なんてことだ。無能な働き者って完全も私のことじゃん!まいったなあ、、、私みたいなやつは生きていちゃいけないってことかい、、、まじ、世知辛いわあ。つらたん。」
いやあ、その言葉だけど本当はもっとマイルドな表現だって説もあるんだよね。
てか、無能な働き者っていうけど何をもって無能っていうんだろうね?
オニギリス!
脱マンネリストのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「無能な働き者は生きていてはいけないのか」です。
まあ、本ブログでもなんどもこの手の話題は取り扱っていますが、無能かどうかなんて状況によるのであんまり気にしなくていいです。
ただし、自分がその場で求められる能力に関して「有能かどうか」は客観的に見極めないといけません。
これをしないと「頑張ったがゆえに害悪をもたらす」なんてことになりかねません。
大事なのは客観的に自分の能力を見極める目の育成です。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
無能な働き者は、、、、
「無能な働き者は銃殺しなければならない」。
なんとも、語気の強い言葉。
この言葉はドイツの軍人であるハンス=フォン=ゼークトさんが定義したといわれる「ゼークトの組織論」に関する本人の発言としてネットで有名です。
なんでも、この言葉がネットに広まった契機はアニメ『ガールズ&パンツァー』のヒットであるといわれています。
しかし、この言葉を本当に本人が言ったという確たる証拠はなく、また「銃殺しなければならない」ではなく単に「責任ある立場にしてはいけない」程度の意味であるという説もあり判然とはしていません。
とはいえ、「無能な働き者」は「仕事を増やす存在」であるため嫌われるのも無理はないです。
無能、つまり、何らかの目的を遂行するにあたって必要な能力がない人が「勝手に自分の独りよがりな判断で良かれと思って行動する」と「かえって新しい仕事が増える」んですね。
例えば、気を利かせて掃除をし始めたと思ったら、捨ててはいけない重要書類を捨てたりするとかって感じです。
まあ、能力がなくて適切な判断もできないのに、勝手に走り回って厄介ごとを増やしていく、、、、まあ、嫌われるのもわかりますよねえ。
無能かどうかはどうやって決まるのか?
さて、突然ですが無能か有能かはどうやって決まるんでしょうか?
まあ、無能の定義の仕方次第でいろいろな分類はできるでしょうが、、、。
個人的には無能の本質は「不適材不適所」、つまりその人の持つ強みが生かせない場所にいることであると思っています。
当たり前ですが、だれにも向き不向きがあるのでなんでもやればできるようになるって話ではないのです。
逆説的に言えば、その本人の素質だったり適正に合致した仕事をが与えられれば、だれでも有能足りうるって話。
人間はいろんな能力をもっているものなので、ある側面からだけで「有能か無能か」なんて考えるのがどだい不可能なのですよ。
これは性格に関しても同じですね。
いい性格とか悪い性格というものは存在しておらず、どんな面からみるかでその性格の評価は変わります。
例えば、慎重で計画的な性格も見方によっては、優柔不断で及び腰にも見えますし、行動的で決断が速いのは短期で飽き性かもしれません。
どんな風に評価するかで全く印象は違ってきますね。
人間の能力だってどこから見るかで「役に立つか立たないか」の判断も違ってきます。
ですから、ちょっと極端ではありますが、「人間はみな有能」です!
問題はその自分の能力に気が付いていないことですよ。
もし、あなたが今の職場で無能のレッテルを張られているのなら、「今の仕事に自分の適性があっていないのかもしれない」なんて視点から違う業種にかわることを考えてみるのもありかもしれませんね。
その際にはちゃんと自分の性格を診断したりきちんと戦略を立ててから行動しましょうね。
やはり、こういう重要なことを思いつきで実行するとろくなことがないので。
参考
大事なのは自分の能力の見極め
はい、大事なことは「自分の適性をしること」、これにつきます。
いわゆる「できる人」がなぜできるかについてはいろんな意見があると思いますが、わたしが個人的におもうのは「自分ができることとできないことの分析が正確にできている」という点があると思います。
要は、「自分の能力の種類や限界」というものをよく知っているということなんです。
例えば、あなたの会社の社長は会社の仕事の何をやらせても会社の誰よりも優れている、、、なんてことありますか?
おそらく、そんなことはないはずです。
というか、ありえませんよね。
社長は経営手腕が優れているから社長業をやっているのです(多分そのはず、、、)。
そして、自分より経理や営業が得意な人を雇用して利益を最大化しようとします。
また、例え万能超人の社長がいても一人でできる絶対的な仕事量にはどうしても限界があります。
だから、雇用が必要とも言えますね。
いわゆる有能な人はこのような経営者的視点を持っているので、自分が得意なことで周りに貢献し自分が不得意なことは得意な人にお願いしたりして自分の能力の活用に集中します。
では、どうやって自分の能力に気が付いたらいいのでしょうか?
これのも正直言っていろいろな方法が考えられるとは思いますが、個人的に一番お勧めできるのは「人に聞いてみる」と「苦労を感じずにできる」の2点を基準としたらいいともいます。
たとえば、私の場合は今カウンセリングをたまにやってみたりしてますが、特に何の苦労もなく楽しんでできています。
が、それは元をただせばツイッター上での様々な人間関係の中で「自分の傾聴のスキル等を必要としてくれている人の存在に気が付いたから」にほかなりません。
この詳しい経緯についてはこちらをどうぞ。
なので、あなたも人間関係を大事にしてみてください。
いろんな人たちとの交流を通して、「自分がほかの人達に提供できる価値」というものに気が付くはずです。
自分にそなわっている能力は他者が教えてくれるものだと思います。
無理をすると周り迷惑
きっと、あなたの職場にもいると思うのですが、何でもかんでも安請け合いする人って実は結構迷惑だったりします。
もちろん、安請け合いしているように見えて実はお人好しな性格だったりとか無言のプレッシャーに耐えつつしぶしぶ引き受けているのかもしれないので、あまり強く言うのもなんかなとは思うのですが、事実結構迷惑になることがありますよね。
それはなぜかといえば、一人が大量の仕事を抱え込むと仕事全体の進捗が滞る危険性が大きくなるということ。
つまり、引き受けた本人が自分の処理能力をはるかに超えた仕事を「やります」なんて引き受けてしまったら、予定通りに全体の仕事が完了しない可能性が出てくるんです。
一人の遅れが全体の遅れになるって話。
なので、そもそも仕事を割り振る側がその本人に適切な分量を割り振るべきだし、引き受ける側としても「自分の能力の限界」をよく理解してその能力の範囲内で仕事を受けるべきでしょうね。
そうでないと、かなり非効率になってしまうんじゃないでしょうか?
そして、一人当たりの仕事量が異常に多くなりがちな職場って心身ともに害があるので、やめたほうがいいです。
こちらの記事も参考に自分の職場がブラックな職場でないか確認してみてくださいな。
おわりに
この記事では「無能な働き者は生きていてはいけないのか」について述べました。
結論は「無能な人間なんていない」ということでしたね。
大事なのは「自分の能力を見極めること」でした。
自分の能力に気が付く一番お勧めの方法は人間関係を大事にして、多くの人たちとの交流の中から自分が求められている価値に気が付くことです。
やはり、人生がうまくいくかは人間関係にかかっているようなきがしますねえ。
お互い人間関係を大事にして人生楽しんでいきましょう。
では!
参考記事等