今回は以下のような方に向けておおくりします。
・知り合いにHSPやエンパスを自称して無理難題を言ってくる人がいる人
・HSP、エンパスの自覚がある人
「うちの職場に何かにつけて、自分は『HSPだから無理できない』って言って、他人に自分の仕事を肩代わりしてもらおうとしてばかりな人がいる。正直、不愉快だし迷惑としか言いようがないな。少なくとも、わたしの目にはあの人は楽をするための免罪符としてhspって概念を盾にしているようにしか見えないわ。」
うぬ、、、それは問題やねん。
hspっていうこと自体は責められんけど、それを盾にして、楽をする口実にしているなら大いに問題ではある。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのぐれんの おにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「[hspアピールはウザい?」やエンパスを言い訳にしたらみんな不幸」という話です。
最近、hspとかエンパスなんて概念が広く知られるようになりましたね。
わたしの勝手な主観ですが、hspの人達は概して「思いやりがあるいい人達である」と思っています。
ただ、一方で「わたしhspで~」みたいにhspであることが何かの優れた特徴か何かのように錯覚してかhspを濫用する人もいる模様。
こういう人たちは個人的に「自称hsp」て呼んで区別したい気はするけど、そもそもhspって自己診断が基本だから「なんともいえねえ」て気持ちです。
まあ、なんとなく「hsp」て英字で書かれると、少しカッコいいのはわかるけどね。
そして、一番悪質なのは、hspであるという事を盾に人に理不尽な要求をする人達です。
本来、Hspであることは気質的な問題なので、それをどうこうはいえません。
誰も悪くなどないんです。
しかし、その「強く言えない」という風潮を逆手に取り、「もっぱら自分が楽をするための方便」としてhspという概念を使いだしたらこれはもうゆゆしき事態です。
糾弾されてしかるべきでしょう。
人間関係の健全性は「お互いの与え与えられのバランス」の上に成立します。
一方的に得をするために自分の権利を濫用するなら、いずれ報復にあうのも道理だろうなって感じです。
hspやエンパスを楽をするための道具として使うなら、きっと自分も自分の関わっている人も不幸になる結末が待っていると思うんですね。
ここで一瞬だけ宣伝?ですが、「悩みがあんよなー」て人も「ただ誰かに愚痴を言いたいねん!」て人も悩みが重症化する前に頭をクリアにしてみませんか?
おにぎりのカウンセリングについて詳し以下。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
hsp、エンパスを免罪符にしてはいけない理由
hspであることは悪い事でもなんでもないです。
それは「そういう気質である」というだけですね。
それはエンパスであっても同様。
まあ、エンパスに関しては、いわゆるスピリチュアル系の概念になるためhspとはまた少し違いますけどね。
エンパスとは大雑把に、「hspをスピリチュアル的な文脈でとらえたもの」と解釈しておいて差し支えないと思います。
これは、あなた自身がhspであろうとエンパスであろうと共通していえる事ですが、「自分はhspだから~」とか「自分はエンパスだから~」のようにそれを盾にして自分のすべきことを誰かに肩代わりさせようとするのは「基本的に」まずいという事です。
短期的にはそれでもいいかもしれません。
親切な人なら「まあ、大変な時は助け合わないとね!」と快く助けてくれるでしょう。
しかし、健全な人間関係は「お互いの与え与えられのバランス」の元に成立すると考えられるため、あなたが自分が負担するはずの労力を他人に肩代わりしてもらう以上相手にもそれに見合う対価がないと関係は険悪になっていきます。
短期的には「そうか、この人も大変なんだ」のように配慮してくれるでしょう。
しかし、それが長期間にわたってくると、非hsp側の人間には「面倒くさい人だ」とか「なんかこの人といると私ばっかり損な役回りを押し付けられる気がする」みたいに思われたりするかもしれません。
いうなれば、意図せずに搾取構造が出来上がっているとすらいえるでしょう。
こういった構造が固定化すると、「もうこの人と一緒にいると疲れるし腹が立つし嫌だ。距離を置こう」なんて思われて最終的には孤立すると思います。
職場などでこんなことになったら、自分の居場所がなくなり退職に追い込まれかねません。
経営陣側の発想で言うなら、「あの人は払っている給料に見合った仕事をしてくれないから、もう解雇するしかないな」て思われても不思議はないのです。
さらに悪いことにhspは病気ではないので、hspであると公言しても「なんかサボる口実をいっているな」くらいにしか言われない可能性が高いでしょう。
なんせ、hspに関しては多くの人が自己診断でそういっているだけですし、医師がそう診断する場合もhspは疾患ではないためhspであることをもって法的に保護される事はないでしょうからね。
これがうつ病とかであれば、違いますけどね。
詳しくは以下の記事を参照下さいな。
でも、例え、うつ病であっても中々難しい事例はあります。
例えば、うつと過去に診断された人が何か仕事を割り振られた際に、
「自分は過去にうつだったので無理はできないです。だから、その仕事はできません。わたしのうつが再発したらどうしてくれるんですか?」
みたいにいって来るケースはどうでしょう?
これは中々シビアな問題です。
会社側や上司等からしたらまさに腫物といった感じでしょう。
おそらくこういった主張を繰り返していると、そのうち会社側から解雇をすべく具体的な行動があると思われます。
ええ、会社は慈善事業じゃないですからね。
使えない人は切り捨てるでしょう。
水面下で法的に後々つつかれないように布石を打ちながら、じわじわと追い詰めて最後に最後通牒を突き付けてくるはずです。
もちろん、成果を人並み以上にあげる有能な社員だったら、不問に付される可能性はあるでしょうけど。
普通は、ただ単にサボるために「うつの病歴等」を使う社員には、然るべき処置をとるでしょう。
うつですらこう言った事が起こりうるのに、まして疾患として認定されていないhspやエンパスがそれを盾にしたらどうなるでしょうか?
残念ながら、いい結果が待っている気がしません。
特に、エンパスに関してはスピリチュアルにおける概念なため、下手をすると「頭のおかしな人」みたいな偏見をもって見られる可能性すらありますね。
一般の感覚からすると、スピリチュアルはうさん臭いと感じる人が多いでしょうから。
実際、わたしも正直スピリチュアルにはかなり懐疑的ですしね。
まあ、いずれにせよ、hspやエンパスを盾にして、一時の楽をとると地獄が待っていると思います。
病人らしく振舞うと病人になる?
「疾病(しっぺい)利得」というものを聞いたことがあるでしょうか?
簡単に言うと、これは「病気であることによって得られる利益」のことです。
例えば、疾病利得には一般的に以下のようなものがあります。
・人から気にかけてもらえる
・苦痛なことややりたくない事をしないで済む
これがうつの場合なら、疾病利得に「『自分がやる気が出ないのは甘えではない』と自分を責めることがなくなり気持ちが幾分楽になる」というものも上げられるでしょう。
このような疾病利得は患者側の利益であるため、「基本的には」否定すべきものではないとされていますし、わたしもその通りだと思います。
そう、『診断を受けることが患者さん自身の病気からの回復の手助けになるなら』、その診断には意味があるだろうってことになると思うんですね。
ただ、現実には「疾病利得を得るために症状が難治化する」というケースもあるといいます。
例えば、ある両親が不仲で今にも離婚しそうな家庭があったとしましょう。
あるところに両親が不仲で今にも離婚しそうな家庭があった。
その両親には一人息子がおり、彼は両親に離婚してほしくないと切に願っていた。
そんなおり、一人息子は両親の離婚を心配するあまりうつ病になってしまう。
すると、離婚をするつもりでいた両親は、息子の今後のことが心配になって離婚をするのをやめにした。
この場合、息子はうつ病になってしまいましたが、彼は「両親から心配してもらえる」のと同時に「自分がうつであることで離婚を食い止められる」という利益を得ているという事になります。
この際に、彼が「自分がうつであればこそ気にかけてもらえるし、両親が離婚しない、さらにいえば夫婦仲が良くなる」等と考えたら、うつの症状は難治化していく可能性があるのです。
職場においても、同様のことが言えるでしょう。
「うつであるからこそ大変な仕事を押し付けられない」と解釈した人のウツが難治化していくケースもないとは言い切れません。
つまり、「疾病利得を得るために病状を体が作り出す、ないしは悪化させてしまう」というケースも「十分ありうる」という事が言いたいんです。
さて、本題にもどり、これをhspやエンパスに置き換えて考えてみます。
Hspやエンパスの人は一般に感受性が高い人とされており、医学的な文脈でとらえるなら過敏症の一種といえるかと思います。
「自分は傷つきやすいんだ」とか「自分は人と接すると精神的に疲労するんだ」なんてことを強く思い続け、hspやエンパスを自称しそれを盾として生活していくとより一層「敏感で傷つきやすい人間」になっていくという可能性はあると思うんですね。
もちろん、普通の人より感受性が強いのは否定できない事実ですが、それを前面に出して自分のやりたくないことを人に押し付けるための名目としてhsp等を利用しようとしたなら、それは自分の為にも関わる人のためにもならないだろうなって感じます。
ええ、控えめに言っても「自身、および自身が関わる全員を不幸にしている」といっても過言ではないでしょう。
ハーバード大学の成人発達研究では、人が幸せになるために重要な物として「良好な人間関係」を上げています。
「敏感で傷つきやすすぎる人」になったらメンタルが不安定になり、人と良好な関係なんて築けるのか非常に怪しいです。
Hspやエンパスを盾にしても長期的にはいいことなんてないでしょう。
hsp、エンパスを言い訳にしないために出来る事
「言い訳」という言葉は、非常に定義が難しいモノです。
一応辞書的な定義を見ておくと、以下の通り。
1 そうせざるをえなかった事情を説明して、了解を求めること。弁解。弁明。「遅刻の言い訳」「いまさら言い訳してもおそい」
2 (言い分け)言葉を別々の意味に分けて使うこと。
3 物事の筋道を説明すること。解説。
「上文の議論のごときは…十九世紀の小説家の―としてはいと拙 (つたな) し」〈逍遥・小説神髄〉
3 物事の筋道を説明すること。解説。
「上文の議論のごときは…十九世紀の小説家の―としてはいと拙 (つたな) し」〈逍遥・小説神髄〉
4 過失・罪などをわびること。謝罪。
「第一伯母へ済まねえといふも尤 (もっと) も…義理ある中の―と」〈人・梅児誉美・三〉
引用
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%A8%80%E8%A8%B3/
辞書的な意味なら、「何でいい訳してわるいのよ?」て感じになりますね。
了解を得られるかどうかはともかくも、「一応こういう事情があるんで」くらいは言ってもいいじゃないかって気はします。
それを聞いて納得するか、「それは君のせいでしょ」となるかは相手によるだけです。
別に、「言い訳なんてしたけりりゃすればいいじゃん」て個人的には思います。
ただ、一般には「言い訳は責任逃れのためにするもの」との認識があるため、あまり歓迎はされないですね。
個人的には「理由は理由なんだから言い訳もクソもあるか。どう取られたっていうことはいってやる!」みたいに思わんではないですども、現実的に考えるとなかなか事情を話すにしてもそこは狡猾にやらないとまずいですな。
それに最後には「相手と刺し違える覚悟」みたいなのも場合によっては必要かもしれませんから、「言い訳上等!」てスタンスはあんまりいいもんじゃないでしょう。
一番いい方法は、何といっても「あなたの利益のためにわたしは提案しているのです」という姿勢を見せるという事です。
何度も言っている通り、「健全な人間関係は与え与えられのバランスの上に成立」しています。
自分を気遣ってもらうにしても、「その気遣いに対して相応の利を相手に提供できているか?」という視点は大事なんです。
まあ、少し嫌な感じでしょうけどね。
なので、「「hspなので繊細な面があったり人と接すると疲労するところがある」等とデメリットを強調するよりも、
「わたし、実は今よくいうhspみたいなんです。だからか、昔から近所の人に良く気がつく人だとか思いやりがある人みたいによく言われて、結構、人からは好かれる方でした。でも、その代わり人前に出ると少し気を張っているのか、ふと一人になりたい気持ちになることもしばしばなんですけどね。」
みたいにメリットを強調して言ったほうが「まだまし」でしょう。
ただし、こういったメリットを強調した言い方は「相手にとってメリットとなるのが何か」をとらえてからでないとうまくいかないんですよねえ、、、、。
そこが難しいところ。
以前の記事でも触れましたが、基本的に出世していくような人は「組織の利益を無視して自分の利益を最大化する人達」なので、上司達には「わたしを気遣うとあなたの得になりますよ!」とアピールしていくのがいい処世術と言えます。
つまり、自分が上司達にとって「メリットある存在」にならないと、言い分は通らないだろうってことなんですね。
なので、上司達にとって「自分が持つ能力の何がメリットとなるのか?」を考えて、その都度hspである自分の持つ強みや特性をアピールしていくのです。
また、個人的に仲良くしておくのも手ですね。
日頃から、自分が分かっていることであっても、上司や同僚などにわざと教えを乞うというのはいい手です。
どうしても職場の雰囲気が合わないって場合は、最悪転職するのも手ですねえ。
そして、hspやエンパスの自覚がある人はストレスがたまりやすいので、日々ストレス管理を徹底していきましょう。
うつ病等になってからでは取り返しがつきませんからね。
「日々ストレスをためない工夫」が大事です。
一応、以下に一人でできるストレス対策についての記事置いときますんで、参考にしてみてくださいな。
参考記事等
そして、最後にもう一つ。
わたしが知る限り、hspの人達は「自分にとっての大事にしたい価値」と相反した生き方をすると、非hspの人達に比べて多大なストレスになるように感じます。
「自分の大事にしたいものは何か?」と少し内省してみてもいいかもしれません。
それが分かると「自分はこの仕事を全力でやりたい!」みたいな天職を見つけられるかもしれませんね。
「hspであることによる長所を他人との関係を上手くいかせるためにどう活用できるか」に焦点を当てていきたいものです。
せっかく長所があるのに言い訳の道具になんて使っていたら非常にもったいないですよね。
おわりに
この記事は「[hspアピールはウザい?」やエンパスを言い訳にしたらみんな不幸」と題してお送りしました。
Hspやエンパスであることは、悪いことなどではありません。
それは気質的な物であり、個性といってもいいものです。
しかし、それを盾として「誰かに自分の負担を肩代わりさせよう」とするのは御法度です!
それは結果的に「自分や自分の周囲の人たちをみんな不幸にする行動」ですからね。
Hspであることを職場の上司などに知らせる際は特に慎重を期します。
うっかりすると、「言い訳」としか思われない可能性がありますから。
上司等にいうのであれば、「上司や組織全体にとってのメリット」を強調しながらhspであることを開示しましょう。
現実的に言うなら、気遣ってもらうためには、「自分もそれ相応の価値を提供」しないと、相手は動いてくれないものです。
その相応の価値が一体なんなのかは相手次第ですけど。
あと、メンタル管理も日々頑張っていきましょう!
なお、日々の生活で心に癒しが欲しいという人はペットロボット等を購入してみるのもいいかもしれません。
ペットの場合、ペットロスやアレルギー、そしてペットのご飯代やワクチン代等で費用がかさむ、、、等の様々な問題がありますがペットロボットだとその点は心配いりませんからね。
ペットロボットだと感情表現豊かなラボットが一番よさそうな気はします。
ま、気になったら自宅に迎えてあげてくださいな。
では!
参考
https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/series/ushida/201905/560940.html
http://www.nihonbashi-mc.com/blog/2014/02/post-19-444698.html
https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/series/ushida/201905/560940.html
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/19/122500013/010700003/
参考記事等