今回は以下のような方に向けておおくりします。
・文化的自己観について知りたい人
・日本と欧米では自分の在り方のとらえ方がどう違うのか少し探ってみたい人
・話しのネタが欲しい人等
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「文化的自己観についてわかりやすく解説してみようと思う」という話です。
あなたは「自己」という言葉を聞いて、どういう風に定義しますか?
自己の定義は、その人が「どんな文化圏に属しているかに影響を受ける」と言います。
あらためて、自分は「自己をどう定義しているのか」について考えてみるのも面白いかと思う次第。
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では、ゆるりとおおくりします。
目次
いきなりですが質問です!!
いきなりですが、「わたしは~です」と言う文の「~」の部分を埋めてみて下さい。
ひとつならすぐ終わると思いますが、少し時間をとって20個ほどやってみてほしんです。
なんで、こんなことをお願いしたかは後述しますので、まあやってみて下さいな。
所用時間はおよそ5分。
では、スタート!!
、、、
、、、、、、
、、、、、、、、、
さーて、できましたかな・
ちなみに、わたしの場合は以下のようになりました。
- わたしは外向的です。
- わたしは楽天的です。
- わたしは時に切れやすいです。
- わたしは痛みに鈍感です。
- わたしは友人には親切です。
- わたしは敵には一切情け容赦をしない性格です。
- わたしは痛みに鈍感です。
- わたしはあんまり感動できない性格です。
- わたしはパルクールが好きです。
- わたしは美容に興味がある人間です。
- わたしは猫が好きです。
- わたしは綺麗だと感じないものは好きではないです。
- わたしは紅茶が好きです。
- わたしはとにかくやってみたいと思ったならやってみないと気が済まない性格です。
- わたしは物事の先送りが大嫌いです。
- わたしは不安にはなりにくいです。
- わたしは時々無気力です。
- わたしは人が喜ぶのを見るのが好きです。
- わたしは好奇心旺盛です。
- わたしはあんまり協調性が高くないです。
ふう、、、、疲れましたな。
あなたはどんな文章ができたでしょうかね?
文化的自己観の種類とそれぞれの特徴
まず自己観とは、
「自分自身のいかなる側面に着目して自分の認知し自分の定義を行うか」
といったもの。
シンプルに言うなら、「自分自身への認知の仕方」と言っていいでしょう。
そのため、文化的自己観とは、
「ある文化や社会的状況等によって影響を受け形成される自己観」
といえますかね。
例えば、
「お前は何者か?」
こう問われて、あなたならどうこたえるでしょうか?
このような問いに答える行為が、「自己の認知とそれによって自分を定義する事」に他なりません。
文化による自己観の違いは、アメリカの心理学者であるクーンさんとマック=パーランドさんというお二方の開発した自己分析手法「20答法」によって示唆されました。
この20答法は、「わたしは~である」という20個の分の「~」の部分を埋めていく事で自己観を明らかにしていこうとする分析手法になります。
もうお気づきかと思いますが、先ほどやっていただいた質問がまさにこの20答法の一種なんですね。
この20答法を用いた様々な国際比較研究によって、日本と欧米では自己観のとらえ方に違いがあることが分かってきたんです。
心理学者のマーカスさんと北山さんは以下の研究により、自己観の違いは「それぞれの文化において優勢な自己観の違いの表れによるものだ」と説明しました。
参考
Culture and the Self: Implications for Cognition, Emotion, and Motivation
彼彼女らによると、東洋文化に暮らす個人の間では相互協調的自己観が優勢であり、欧米文化に生きる個人の間では相互独立的自己観というものが優勢であるといいます。
それぞれ以下順次捕捉です。
・相互協調的自己観(interdependent view of the self)
自己を「社会や他者と結びついて社会の構成要素となる様な関係思考的な実体」ととらえるのが相互協調的自己観です。
そのため相互協調的自己観では、自己の定義は「「周囲の状況や他者の性質に依存し関係性(人間関係含む)の中において意味づけられる自分の属性」とされます。
例えば、色んな人に「あなたは親切な人だ」と言われるので「自分は親切な人なんだ」と認識して、自分んを「親切な人」と定義するといった具合です。
先ほどの20答法では、この相互協調的自己観を持つ人は以下の様な傾向があったそうです。
・東アジア人の場合、自分の所属(例:私は~大学の学生です)や自分の役割(例:わたしは生徒会長です)についての記述や社会とのかかわりにおいて定義される自身の特性、さらには特定の状況下における具体的行動(例:私は土曜日の午後には~する)についての記述が多かったという。
・あらかじめ文脈が指定されると、その場合に限って日本人はアメリカ人以上に抽象的な人格特性について多く記述するようになった。
・相互独立的自己観(independent view of the self)
自己を「周囲の物事や他者から区別され切り離された実体」ととらえるのが相互独立的自己観です。
そのため、相互独立的自己観では、自己は周囲の状況等に依存しない主体のもっている能力や才能、性格特性といった「属性」によって定義されます。
まあ、早い話が人から見てどうかということより、「自分がどう思うか」といった主観的評価を軸に自己観を形成しているといっていいでしょう。
先ほどの20答法では、この相互独立的自己観を持つ人は以下の様な傾向があったそうです。
・アメリカ人の場合、性格や才能などといった比較的周囲から影響を受けにくい内的属性についての記述が多い
・あらかじめ文脈が指定されると、アメリカ人は記述に何らかの制限や説明を加える傾向があった(例:私は家では『たいてい』怠惰だ)
ふむ、、、わたしは完全に純日本人のくせに相互独立的自己観を強く持っているってことですなあ。
いいんだか悪いんだか。
あなたはどうでしたかね?
最初に作った20個の文は、以上のどちらの自己観によっていましたか?
中々面白い分析手法ですよねえ。
文化は行為の在り方や評価にも影響を与える
上述したマーカスさんと北村さんは、さらに研究を進め2004年に今度は「行為の主体としての自己の在り方」に焦点を当て「文化的意味の体系に応じ構成される主体の認識に関するモデル」を提唱しました。
参考
Is There Any “Free” Choice?: Self and Dissonance in Two Cultures
なんか、言い方メンディーよね、サーセン。
要は、「人が文化から影響を受ける事でどんな認識が形成されるかについてのモデル」って感じですかね。
彼彼女らによると、欧米文化と東アジア文化では「行為」と「主体の概念」のとらえ方には以下のような違いがあるんだそうな。
・欧米文化
行為:行為とは「行為者の自由選択の結果であり、行為者により制御され外界に影響を与える意図でなされるもの」
主体の概念:互いに素(ディスジョイント)、つまり集団から独立している
ディスジョイントモデルの概要 |
良い行為の定義:自己の焦点が当てられ事故は他者から独立 |
行為の帰結:行為者は相互独立的関係を確認して自尊心等を高める |
行為様式:他者や外界を制御し影響を与える |
行為の源泉:個人の目標や好み等に基づいた自由選択により行為が生ずる |
・東アジア文化
行為:行為とは「周囲の環境の様々な要素や他者の存在によって影響に制御され、外界や他者に自己を合わせるためになされるもの」
主体の概念:互いに結合している(コンジョイント)
コンジョイントモデルの概要 |
良い行為の定義:他者に焦点。他者との相互作用の中で生じる |
行為の帰結:行為者は相互協力的自己を確認して共感や他者との結びつきを感じる |
行為様式:行為者は外界や他者に合わせて調整する |
行為の源泉:義務や他者からの期待、役割、状況に応じ行為が生じる |
また、こうしたモデルは自己認識に限らず「他者の認識」においても影響するといいます。
例えば、心理学者のモリスさんとボンさんというお二方がアメリカで実際に起こった大量殺人事件の新聞報道に着目し「ニューヨークタイムズ」と「中国語紙の世界日報」で同事件がどのように報道されるかについて調べてた模様。
参考
Culture and Cause: American and Chinese Attributions for Social and Physical Events
その調査によると、両紙では以下のような違いがあったといいます。
ニューヨークタイムズで目立っていた記述 | 世界日報で目立っていた記述 |
犯人の性格上の欠点、 考え方、 精神面での問題 | 人間関係 、中国人社会におけるプレッシャー 、アメリカの環境等の犯人を取り巻く状況 |
ふむ、何かこうしてみると面白いですな。
おわりに
この記事は「文化的自己観についてわかりやすく解説してみようと思う」と題しておおくりしました。
最初の20答法は少々面倒でしたけども、中々自分を知るという意味では有意義だったのではないかと思います。
ちょっと、また自分の知られざる一面に気が付けましたかな?
では!
参考記事等
参考