時として正論は人を傷つけるだけの暴力になるから気をつけたい
おにぎり
脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。今回もよろしゅう!!

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ
  • ついつい正直に思っていることを言って場を凍らせてしまう人
  • 正論ばっかり言う人が嫌いな人
  • 話しのネタが欲しい人等

今回の話題は「時として正論は人を傷つけるだけの暴力になるから気をつけたい」という話です。

論理的に正しい事であっても、言い方が悪いと本当にイラっとしますよねえ。いや、むしろ論理的に正しいからこそムカつくなんてこともあるかもしれません。最近、理屈で相手を追い込むことをロジハラなんて言うようですが、まさにそれですわな。

正論は以下のような類型に分類できます。

いわゆる正論の類型
  • いわゆる常識に基づいた論理展開に基づく議論
  • 道徳的に正しいとされるような論理展開に基づく議論
  • 客観的因果関係等に基づいた論理展開の流れに基づいた議論

そして、結論から言うと、「この手の正論を濫用すると人をおいこみ過ぎる結果になって恨みを買うだけなので、ある程度逃げ道も残しておくのがいい」です。正論いうならほどほどにしたものです。

論理的に間違っていない事をくどくどと言われて、一方的に詰められると何も言い返せなくなるもんですが、これが何とも歯がゆいというか腹立つってことはありますからね。

ということで、今回は正論の使い方について考えてみたいと思う次第。

では、ゆるりとおおくりします。

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いわゆる正論とは何なのか?

いわゆる正論とは

いわゆる正論とは、文字通り

「道理にかなった議論」

の事。

道理、、、これまた抽象的でよくわかんない言葉が出てきましたなあ。

道理というと「物事の筋道」、つまり「物事を行う順序」とか「論理の流れ」だったりしますので、結局正論とは「物事の順序や論理の流れに沿った議論」てことになりますわな。

具体的に言うなら以下のようなものが正論ってことになるでしょう。

いわゆる正論の類型
  • いわゆる常識に基づいた論理展開に基づく議論
  • 道徳的に正しいとされるような論理展開に基づく議論
  • 客観的因果関係等に基づいた論理展開の流れに基づいた議論

以下順次補足です。

・いわゆる常識に基づいた論理展開に基づく議論(多分これが一番一般的な正論化と思われる。しばしば「~すべき」といった形で表現される)

例:「人を殺したら死刑か無期懲役になるだろ」、「人に迷惑ばかりかけているんだから、嫌われれも当然だよ」等。

・道徳的に正しいとされるような論理展開に基づく議論

例:「電車でお年寄りに席を譲らない若者は敬老精神が足りない」、「年長者は敬うべきだ」、「他人に礼儀しをっかりとつくすべきだ」等。

・客観的因果関係等に基づいた論理展開の流れに基づいた議論

例:「あの時に君のあの失敗があったから、今回の商談はまとまらなかったんだ」、「神頼みで試験に受かったら苦労しないよ」、「また恋愛運上げたくてパワーストーン買ったの?そんな石を買うより自分がなぜいい相手に巡り合えないか頭使って考えなよ」等。

まあ、こんな感じですかなあ。

正論は時に暴力になる

正論 暴力化

正論は時に暴力となります。

先ほど挙げた、常識にもとづく正論と道徳に基づく正論は、結構な確率で主観的かつ一方的であり暴力的です。「こんなの常識だろ?」が口癖のウッザイ上司いますよね??

彼彼女らの言う「常識」って結構な確率で「そいつの頭の中でしか通用しない常識」だったりします。

まさに「お前が思うんならそうなんだろうな、お前の中ではな」って感じです。まあ、これは一方的な思い込みによる意見の押し付けなのでかなり悪質で、正直パワハラまがいと言ってもいい気はします。

この2つは普通に暴力だよなって話になりそうです。ただ、一番判断が難しいのが「因果関係に基づいた正論」なんですね。いわゆる再起に言われるロジハラってやつかもしれません。

例えばあるプロジェクトが、あきらかに特定のメンバーの一人による致命的なミスによってポシャッたなんて場合を考えて見ましょう。そのプロジェクトを統括する上司からしたら、怒り心頭ですわな。

せっかくのプロジェクトが水の泡だろうが!何してくれてんねん!!」て気分だと思います。

そして、この感情のままにメンバーに対して「お前、~の時~したよな?あのせいで~が起こったから、この計画が失敗したんだぞ?わかってるよなあ、あ?」みたいな感じでもう一切の反論の余地を与えずに理屈で詰め寄ったらどうでしょうか?

まあ、「社会人なんだから致命的なミスしたらそんな事されても当然じゃね?」て思う人も沢山いるとは思うんですが、そもそもこんな風なつめ方をしていいのかって話です。

おそらく、結構な人が「状況的にされても仕方がないかもしれないが、決していい事ではない」と思う気がします。こういった客観的事実をベースにし正論を言われると、普通はもう自分の非を認める以外はなくただただ謝るしかできないものです。

一部の厚顔無恥を除いてね。

「窮鼠猫を噛む」ということわざがありますが、やはり人を追い込むのはよろしくないと思うんですよね。

あんまり追い込むとそれこそ「決死の覚悟で死なばもろとも」って感じで特攻してくる可能性もありますし、何よりその場はうまく収まったように見えても事後的にフォロー入れるとかしないとかなりの恨みを買って報復されることだってあるかもしれません。

いくら「客観的事実をベースにしたあきらかに正しい主張」であったとしても、その伝え方次第では強烈な恨みを買いどんな報復をされるかなんてわからないんですわ。なので、ちょっとどこかに逃げ道を残しておくみたいなのもあっていい気はします。

いわゆる正論の類型
  • 人を追い込みすぎると後が怖いので、きちんと逃げ道は残しておく。

正論を暴力化させないためにはどうすればいいのか

正論 暴力化させない

では、ここからはいわゆる正論を暴力にしないためにはどうしたらいいのかについて少し考えてみたいと思います。

完全にわたしなりの意見になってしまいますが、正論を暴力にしないためには以下の様な点に気をつけたらいいと思う次第。

正論の暴力化を防ぐ工夫
  • タイミングを見計らう(相手が感情的になっているときはいくら正しくても受け入れてくれない)

  • 相手の主張を言いたいだけ言わせる(ひとしきり言い訳をさせる等)

  • 相手の意見に共感出来る部分を見つけつつ共感を示す

  • あくまでも「自分はそう思う」という押し付けない姿勢をとる

、、、、まあ、列挙してみて「あー、どれもこれも感情的になっている時になんてとてもできねえー」て思う事ばかりです。

先ほどの上司の例でいうなら、まあ人によっては「この野郎、今すぐぶっ殺してやろうか!!?」て感じになりそうですよな。こんな頭に血が上った状態で、上記のポイントを気をつけられるわけがないです。

 て事で、上記のポイントを使うためには、日頃から「感情を制御できるように訓練をする」のが大前提となるといえるでしょう。

感情を制御するには、瞑想をしたりいざ飲まれそうになった時に脱フュージョンをするとか各種アンガーマネジメントの手法を活用するのがいいと思います。中々、怒りの感情を抑えるのは難しいものですが、努力はしたいものです。

ということで、アンガーマネジメント脱フュージョンについての記事置いときますねえ。

おわりに

正論 配慮

この記事は「時として正論は人を傷つけるだけの暴力になるから気をつけたい 」と題しておおくりしました。

いくら理路整然とした正論もその使い方次第では、結構な確率で暴力にもなってしまいます。

まあ、感情的になっている時には明らかに間違っているだろって相手には理屈でつめたくもなるものですが、そこは一度冷静になって正論を上手に活用したいものですな。正論て使い方が難しい、、、、。 

では!

 参考記事等

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