「罪を憎んで人を憎まず」は綺麗事でおかしいし嫌いだってのはわかるけど、、、

「罪を憎んで人を憎まずなんてことわざあるけど、絶対おかしいってアレ。なあに、綺麗ごと抜かしてんだよ、タコ、て話よ。無理に決まってんじゃん。それ言うなら罪を憎んで人も憎むだろ。」

まあ、せやなあ。

わたしも前は「罪を憎んで人を憎まず??はあ?バカなの?」て思っていたわ。

気持ちはわからんでもない。

脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「「罪を憎んで人を憎まず」は綺麗ごとでおかしいし嫌いだってのはわかるけど、、、」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ
  • 罪を憎んで人を憎まずなんてきれい事だと思っている人
  • 罪を憎んで人を憎まずということわざの真意を探ってみたい人

「罪を憎んで人を憎まず」と言えば、あまりにも有名なことわざですが、正直多くの人は疑問を持っているんじゃないかと思います。

「例えば、自分の家族を殺した殺人犯の罪を憎んでそいつ自体を恨むなってのは理屈的にも感情的にも納得がいかん!!」なんて思うでしょう。

ええ、わたしも完全に同感です。

罪と人を切り分けて考えるなんて、まあ無理ってもんですよ。

そう、「罪も憎んで人も憎む」が普通だよね。

なので、「罪を憎んで人は憎まない」なんてまあ、無理っちゃあ無理。

、、、、じゃあ、一体こんなことわざ何でできたの?一体何を伝えたかったの?

、、、そう思いますよね?

多分これって、個人的には「自分が生きやすくなるためには人の罪に寛容になるのも必要だぜ!」て事を言いたいんじゃないかなって思います。

もし、そうだとしたら、心理学の自分への思いやりであるセルフコンパッションとも少しリンクするとことがあるんですよなあ。

では、ゆるりとおおくりします。

今回の記事は以下の書籍を参考にしていマウス。

参考

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罪を憎んで人を憎まずって何だっけ?

例にならって、まず言葉の意味の確認から行っていきましょう。

罪を憎んで人を憎まずとは、

「罪を憎んで人を憎まずとは、犯した罪は憎むべきだが、その人が罪を犯すまでには事情もあったのだろうから、罪を犯した人そのものまで憎んではいけないという教え。」

引用
http://kotowaza-allguide.com/tu/tsumiwonikunde.html

、、、、うーん、、、、、うーん、、、全然納得いかないね(笑)!

なお、このことわざの出典は、「孔叢子(くぞうし)」刑論にある孔子の言葉である「古之聴訟者、悪其意、不悪其人」なのだそうです。

で、この言葉の注釈は、「昔の裁判所では訴訟を取り裁くとき、罪人の心情は憎んだが人そのものは憎まなかった」なんてもののよう。

いやあ、、、、すこぶる謎です。

本当かよ?、、、て思わず言いたくなってしまいますねえ。

罪を憎んで人を憎まずというが罪と人は不可分だよな?

罪は憎むけど、その罪を犯した本人は憎まないっていうのはどうにも腑に落ちませんよねえ。

だって、極端な例ですけども、自分の子供を拷問にかけて殺した殺人犯が仮にいたとしたら、「こいつの犯した罪は憎むがこいつは憎まない」とかいう事ができましょうか?

わたしだったらまあ無理ですわ。

物騒だけども、自分の子供と同じ目、いやそれ以上の憂き目に遭わせてやろうかなって思いますね。

罪を犯す行動を行った行為者と罪を分離して考えるなんて心情的には、とてもじゃないけど無理だってことですわ。

こんな風に分離していいのは、脱フュージョンにおいて自分の感情とそれを客観的に眺める自己を分離するくらいのもんよ。

確かに、罪を犯した人間にも「育った環境が劣悪だ」とか「切羽詰まっていた」とか、まあいろんな止むにやまれぬ事情はあるかもしれません。

でも、だからと言って、「憎まない」なんてね、無理っすよ、無理。

少し言い方は辛らつだけど、同じような苦境に居ても「罪を犯さない人」はいるわけで、その環境の中で罪を犯すような人格を作り上げた罪人自身にだって責任はあるだろってことです。

あと、昔の発展途上の刑法ならいざ知らず、現代刑法とかで考えても、罪は許されんよね。

まあ、もっとも「憎まないからと言って処罰しないとは限らない」から、ここで刑法なんて持ちだすのはナンセンスかもだけどさ。

まあ、法学で言うところの結果無価値論とか行為無価値論とかそこんとこの話ともこう言った事って少し関係ある気がするねえ。

んー、なんか懐かしいわ。

罪を憎んで人を憎まずは自分のための言葉!

さて、まあ上述のように罪と人をわけて考えるなんて、キッツいよねって話です。

ただ、今度は少し視点を変えてみたいと思います。

上述では主に「自分が被害者の立場だったら罪と人は分けて考えられない」という話でしたが、これがもし「自分が加害者であったら」どうでしょう。

まあ、殺人みたいな極端な例はあまり適さないかもしれませんが、あまりに世の中が罪に対して潔癖でありすぎて、「一度罪を犯した貴様に人権などない!」といったスティグマを犯罪者に張り付けるような風潮ができたらどうでしょうか?

なんか、一度でも犯罪を犯したらもう二度と社会に受け入れてもらえなくなるので、本人の更生意欲なんてなくなりそうです。

そう、例えば殺人犯だったら「一人殺すのも百人殺すのも一緒だ」みたいな思考になりそうな気がします。

つまり、「どっちみち死刑確定なら出来るだけ多く殺した方がいいぜ!」とかみたいなかなり破れかぶれで危険な発想になりそうってことね。

あんまり罪に潔癖な風潮ができると、こういった破れかぶれをおこす人が増えて世の中の治安が悪化しそうな気がしてきます。

すると、結果、自分もとばっちりを食らって危険な社会で生きていかざるをえなくなりますな。

正直、自分が相手の罪に寛大になるという事は、罪にある程度寛大な風潮を作ることの第一歩です。

相手の罪に寛容である人が増えると自分がたまたま何かの手違いで罪を犯しても、許される余地が生れるという事を意味してるといえましょう。

そして、もう一つ。

人を憎み続けるという事は、非常に疲れることですし、そのような思考にとりつかれてしまっては、自分の人生をなおざりにすることになってしまいます。

いっつも、憎いやつの事で頭がいっぱいでは、常にストレスですし自分の人生を上向かせるチャンスすら見落としていきますよね。

相手の罪に寛大になるという事は、「自分自身の人生を生きるために必要な事」でもあるんです。

なので、「罪を憎んで人を憎まず」ということわざは直感には抗いますが、よくよく考えるとこうも言えるでしょう。

「憎いやつの事でいつも頭一杯じゃあ、楽しい事も見つからないし、自分の人生を満足に生きれないだろう?相手を許すのは自分への思いやりでもあるんだ」みたいにね。

なので、このことわざを文字通りにとらえて「人の罪とその人をわけて考えなければならない」なんて考える必要は全くなくて、「自分の大切な人生を憎しみで埋め尽くさないためにあえて許す事があってもいい」と解釈したらいいんじゃないでしょうか?

うん、多分うまくまとまった!

「罪を憎んで人を憎まず」は他人のためではない

この記事は「「罪を憎んで人を憎まず」は綺麗事でおかしいし嫌いだってのはわかるけど、、、」と題しておおくりしました。

「罪を憎んで人を憎まず」ということわざは非常に直感にあらがうものです。

しかし、個人的に思うに、このことわざはあまり文字通りに受け取るべきではありません。

結局、人を憎まないのは「自分のため」なのです。

罪に寛容な風潮ができれば、自分が何かの間違いで罪を犯したりした場合に、許してもら得る風潮になるし、自分の人生を憎しみにとらわれず楽しい事や興味のあることに費やせます。

このことわざは「罪への憎しみへとらわれることの虚しさ」をといているんだと思いますねえ。

せっかく、生きているんだから、楽しくいきたいよね。

では!

参考記事等

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