「うちさ、よく周りに女子に『あんたあざとくね?』っていわれっけどさ。なあ、それの何がいけないのよ?もてたいなら、チャンスをつかみたいなら頭使って好感度を上げたりしようってのは当たり前じゃね?あざといのが嫌ってもはやただのひがみじゃね??」
んー、どうやろねー。
オニギリス!
脱マンネリストのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「別にあざとくたっていいんじゃね?」という話です。
そう、わたしは思います。
「あざといことの何が問題なんだい??」とね。
正直、恋愛等でいい人と出会いたいと思うなら、多くの人に好かれたほうが有利です。
その多くの好意を持ってくれている人の中から自分がいいと思う人を選べるんですから。
そう、もはやこれは確率の話とも言えますね。
実際ね、わたしは何かを手に入れようとするなら、そこに戦略がないとか頭を使わないなんて論外だろって思っています。
何もしないでいてほしいものが手に入るなんてことはないんですから、、、、。
東大に入るのに勉強しないで入れないでしょ?てのと同じくらいの話だと思っています(ちょっと論点ずれているけど許して)。
はい、なので男女問わず「あざとさ」はあってもいいし、むしろあって当然だと思います。
わたしはあざとさ肯定派。
頑張っている人は原則ジャンル関係なく美しいよ。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
あざといの意味って何?ぶりっことは違うのか?
さて、あざといってそもそもどういう意味でしょうか?
やっぱり、意味の確認って大事よね。
あざといとは、、、、、
( 形 ) [文] ク あざと・し
②小りこうだ。思慮が浅い。 「愚人ばらが-・き方便(てだて)に討たれさせ給ひしは/浄瑠璃・神霊矢口渡」
[派生] -さ ( 名 )
引用元
https://www.weblio.jp/content/%E3%81%82%E3%81%96%E3%81%A8%E3%81%84
うん、なるほど!って感じですね。
まあ悪らつはいただけないけど、「抜け目がなく貪欲」というのは別に悪いことではないでしょう。
確かにね、抜け目がないっていうと嫌な感じはするけどさ。
あとは、あざといとよく似た使われ方をする「ぶりっこ」を比較してみましょうか。
ぶりっことは、、、、
ぶりっ子(ぶりっこ)とは、主に女性が異性の前で無知なふりをして甘えている、非力なふりをしている、わざとらしい女らしさ(愛らしさ、可愛らしさ)のアピールをしている(「猫を被る」と同義)と解釈した人間が、これに対し否定的な見解を示す際に使われる言葉。ぶりとは振るから来ており(大辞泉)、何らかの「ふり」をしているの意味。
引用元
https://www.weblio.jp/content/%E3%81%B6%E3%82%8A%E3%81%A3%E5%A8%98
ふむ、、、、ぶりっ子は主に女性に対してつかわれる言葉であり非力なふり、いうなれば幼さを強調している状態と取れそうですね、、、、。
だとすれば、あざとさとぶりっ子の違いをまとめると、以下になるかもしれませんね
状態 | 対象となる性別 | 強調される特徴 | 思慮の深さ、戦略性 | 目的とするもの |
あざとい | 全性別 | ずる賢さ、自己中、 | 深い | 自己利益 |
ぶりっこ | 女性 | 幼い女性らしさ、 | 浅い | 主に異性の関心や歓心 |
こんな感じでしょうか?
ぶっちゃけ「あざとさ」って必要だべ?
んで、冒頭でもう言いましたが、わたしは人には「あざとさがあってもいい」と思います。
自分の望むものを得るために頭を使って行動することの何がいけないのか(悪らつなものは例外)?と思うのです。
なのでね、反論はあると思うけどわたしは男女問わず「あざとさを容認する」立場ヨ。
あざとく生きたければ、思いっきりあざとく生きればいい!
、、、、はい、これがわたしの偽らざる本心。
ただね、それなりの覚悟というか「多少、周囲に敵を作るかもしれない」というリスクは足らないといけないでしょうね。
女性があざとい女性を嫌うのは仕方ない!
あざといという言葉は一般にはどう考えてもいい意味合いでは使われていないように思われます。
「あいつはあざとい女だ」
なんて言ったら明らかにその発言には敵意が含まれていますね。
人間も生物である以上はこの反応は仕方ないのです。
人間も生物である以上自分の遺伝子を残そうとする生存本能には多大なる影響を受けているもの。
あざとい女性は同性から見れば「敵や脅威」のようなものです。
これは男性同士にも言えるかもしれません。
異性に対して魅力を発揮しようとしている同性なんて、生物的な観点からしたら脅威以外の何物でもないでしょう。
ですから、もし「あざとい同性」とみて「あいつめ、、、」と思ってもそれは自然な反応であり、卑下したり自己嫌悪するようなものではないのでご心配なく。
あとね、あざとさも度を超すとそれこそ「奪い取るためにあざとさを使う、手段を選ばない」みたいになってきます。
こんな状態になってくるとね、正直「少しメンタルがおかしいかも?」と思ったほうがいいかなって思うんですね。
世の中には、恋に恋するロマンス依存による恋愛依存症なんてものもあるんです。
もし、あざとさを発揮しすぎているなら(そもそも、自覚できるかが問題だが、、、) 「なんで、あなたはそこまであざとくしないといけないの?」なんて問いかけてみる必要があるかもですよ、
「あざとくてなんぼ」て感じで生きている人は、仲がいい友達に自分があざとさが行き過ぎてないかなんて聞いてみたほうがいいですね。
他者視点からの意見を聞くって大事ですよ。
参考記事等
ぶりっこではなく「あざとかわいい」と目指そう
どうやら、今世間には「あざとかわいい」なる言葉があるようです。
なんでも、この「あざとかわいい」という言葉は、文字通り「あざとい」と「かわいい」の合成語です。
どうやら、この「あざとかわいい」、あざといのマイナス要素」を「可愛いのプラス要素」が打ち消すことで全体としては「ややプラスの意味」を持つに至っているようですね。
同性の女性からも「くっ!、、、、あざとい!、、けど、かわいい、、、」を思われるとか。
つまり、あざとさを感じつつも「かわいい」との評価はしているということですね。
やはり、あくまで傾向としては女性の方が感情的な判断をしがちなため「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」みたいな発想になりがちです。
それでも、「かわいい」というプラス評価をしているってことは少し不思議です。
ここからは個人的な解釈になりますが、あざと可愛いを実現できるか否かは「あざとさの中に含まれる自己本位的な意味合いをどれだけ薄められるかにかかっている」のではないかと思います。
はい、つまり原始時代的に言えば「コレ ゼンブ アタイ ノ エモノ。 ホカノヤツニワタサナイ、、、」みたいに「独占しよう」という姿勢が問題かなって話。
その点からいうと、「ぶりっ子」はあざとさより思慮が浅く多分敵を多く作るので個人的には「なし」でしょうね。
普段から周囲とよくコミュニケーションをとって信頼関係を構築しつつ、周りの同性にも出会いの場を提供してあげるとか人の前でいいとことをほめてあげるとか、少なくとも「独占しようとはしていない。みんなで分け合う気持ちがある」ということは表明する必要があるでしょう。
まあ、めんどくさいですけどねえ、、、。
でも、人生で幸せを感じられるか否かは人間関係が良好かどうかにかかっていますからね。
原則として、同性との関係も重視したほうがいいと思いますね、わたしは。
おわりに
この記事では「別にあざとくたっていいんじゃね?と述べました。
はい、別にあざとくてもいいんです。
だって、自分がいい出会いやら恋愛をしようと思ったら戦略性って大事ですから。
ただし、進化生物学上あざとさは同性からしたら脅威と感じられても仕方ありません。
なので、その点は十分に留意しておく必要があるでしょう。
そこで提案したいのが、「周囲との関係性とのバランスをとりつつ異性への魅力を発揮しようとするあざとさ」です。
もし、「ほかの全員が敵になっても構わん。みんななぎ倒す!ほしいものはあたりを焦土にしてもうばいとる!手段は選ばん!」みたいな強い決意があるなら仕方ないですが、やはり人間関係の破壊を前提にしたあざとさは長期的に見てあまりメリットがないのではないか?と思うのです。
なので、あまり近視眼的にならないことをお勧めします。
まあ、あんまり敵意むき出しで鼻息荒くしないで気楽にいきましょ。
では!
参考記事等