今回は以下の様な方に向けておおくりします。
- 話しのネタが欲しい人等
- 「やらない後悔よりやる後悔」の正しさとおかしさについて考えてみたい人
- 「やらない後悔よりやる後悔」ということわざの語源について気になる人
今回の話題は「やらない後悔よりやる後悔の正しさとおかしさについて考えてみる」という話です。
「やらぬ後悔とやる後悔」ということわざがあり、自己啓発系の人を中心にこのことわざを使う人が非常に多い模様。
しかし、このことわざに対して後悔してからでは遅いことだってあると反論したくなるのではないでしょうか?
結論からいうと、「やらない後悔よりやる後悔は曲論や誇張表現の一種」ですので、あまり真に受けない方がいいです。
今回は「やらない後悔よりやる後悔」の正しさやしていい後悔としなくていい後悔の判断基準について考えていきたいと思う次第。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
「やらぬ後悔よりやる後悔」とはどういう意味?誰の言葉?
やらない後悔よりやる後悔とは、 「どうせ後悔するのなら、やらないで後悔するよりやって後悔した方がいい」という意味の言葉です。
この言葉は、よく自己啓発系の人たちから聞かれることが非常に多い印象があります。
そして、「やらぬ後悔よりやる後悔」という言葉を最初に使った人が誰かについては、ネットを調べてみた限りではいまいち判然としませんでした。
ただ、一応この言葉の語源として有力なものとしてユダヤの格言「してしまったことを悔やむより、したかったのにしなかったことのほうが、悔やみが大きい」があることは確認できましたね。
「やらない後悔よりやる後悔」は、極論過ぎる
「やらない後悔よりやる後悔」は、一聴していい事を言っているようですが大分極論です。
ちなみに最近でいえば、2020年にカズレーザーさんが自身のユーチューブチャンネルで「やらぬ後悔よりやる後悔」に対する反論として「やらない後悔より、やって後悔」という言葉を用いていたのも記憶に新しいですね。
世の中には、「そもそもやってしまうと取りつかえしのつかない事」が存在しています。
例えば、非常に極端な例ですが、「積年の恨みがある職場の上司を殺害した場合」について考えてみましょう。果たして、これは「やった後に後悔」したとして、それが正解だったと言えるでしょうか?
おそらく、普通の人であれば、まず正しいとは言わないと思います。殺人なんてしでかしたら、もはやそれ以前のようには生活できません。
殺人犯として刑務所に収容された後は、死刑になるか釈放されても前科者の烙印を押され社会生活に大分難儀する過酷な状況です。
こんな状況になっていくら後悔しても、もうどうにもなりません。取り返しがつかないんです。
まだ、勢いで起業して失敗して自己破産したみたいな場合の方が、まだ後悔しても再起できる可能性がそれなりに残されている分だけ大分マシでしょう。
自己破産も相当なハードルの高さですが、、、殺人よりははるかにマシですよね。
あと、社会復帰の困難さや生きづらさで言うなら、勢いでヤクザになってしまうことも該当しそうです。事実、暴力団排除条例によって、現在ヤクザは相当厳しい環境に置かれている模様。
ヤクザのおかれている苦境については元極道Vチューバーの懲役太郎さんが詳しく語ってくれています。
ここまであげる例が極端すぎましたが、「やらない後悔よりやる後悔」には、例外ともいえる事態が存在しているので十分気を付けるべきでしょう。
勢いだけで突っ走って、そのリカバーに多大な労力を払うなんて実にバカバカしいですよね。
「やらぬ後悔よりやる後悔」が適当か不適かの判断基準
「やらぬ後悔よりやる後悔」が、正しいかどうかはその行動によって得られるメリットと被るデメリットのバランスにより判断されるべきです。
※ここでいうメリットデメリットには感情的な要素、つまり快や不快が含まれている事にも注意。
もし、やって得られるメリットの方が被るデメリットよりも大きいのであれば、やる価値があります。逆に、被るデメリットの方が大きいのであれば、やっても大した意味はありません。
例えば、先の例と重複しますが、カッコつけたいから勢いでヤクザになってしまった場合を考えてみましょう。
ヤクザになってしまうと暴対法などによって相当な制限をうけます。
またそもそも今の時代、ヤクザは資金源の確保の困難さや若手の不足によって構成員の高齢化が進むなどして弱体化が進んでいるといいます。
さらに、途中でヤクザをやめたいと思って飛んでも、通常の社会生活に復帰できるようになるには相当な苦労を強いられます。元ヤクザなんて話になると、雇ってくれるところも相当限られてしまいますしね。
カッコつけでヤクザなんかになると、本当に取り返しがつきません。人生、まっとうに生きるに限りますね。
「やらぬ後悔よりやる後悔」は人生の基本的姿勢にしていい!
「やらぬ後悔よりやる後悔」は、人生の基本的な姿勢にした方がいいです。
上述したように、そもそも「後になってからでは取り返しのつかない致命的な事」というものはあるので、何でもやりたいならやればいいとは言えません。
とはいえ、「やりたいならとりあえずやってみる」というアグレッシブな姿勢自体は常に持っておくべきです。
この姿勢がないと、死に際に多大な後悔を胸に死んでいくことになるやもしれません、、、。
すくなくとも、死の間際に多くの人が後悔するという5つの事項についてはきちんと今から対策をしておくべきでしょう。その5つの事項とは以下の通り。
·他の人の期待に沿う人生ではなく、自分の想いに忠実に生きればよかった
仕事だけに人生を捧げ、他の大切なものを疎かにしてしまった
自分の気持ちをもっと正直に伝えればよかった
友人とのつながりや連絡を絶やさなければよかった
自分自身をもっと幸せにしてあげたかった
これら5つの後悔について詳しくは「死ぬまえに後悔すること5選」と題した記事を参照下さい。
もし、あなたが何かに挑戦したとして、そんなあなたを笑う人がいたとしても、そんなことを気にする事はありません。いつだって、挑戦者を笑うものは挑戦しなかったものでっせ!
連中は、挑戦しない自分を正当化するために挑戦者をあざけっているだけの事。本当は内心うらやましいのかもしれません。
なので、人生はアグレッシブに生きていくのが正解です。ただ、行動によって得られるリタ―ンと被るデメリットのバランスには気を付けて下さいね。
おわりに
この記事は「やらない後悔よりやる後悔の正しさとおかしさについて考えてみる」と題しておおくりします。
「やらない後悔よりやる後悔」は、極論ではありますが、人生における基本姿勢としては最適です。
事実、世の中には自分のやりたいことを放置していたせいで、死に際になってひどい後悔にさいなんでいる人が沢山います。人生、挑戦と行動あるのみです!
ただ、何か行動するときはその行動によって得られるメリットと被るデメリットのバランスには十分に気を付けて下さいね。
では!