「自己啓発本読んでてリフレーミングって手法を知ったけど、正直あんなのただの言葉遊びでしょ。とらえ方を変えたくらいでどうなるってんだよ。現実にその短所によって生じている問題は何も解決しないじゃん!」
まあね、リフレーミングにも限界はあるからなあ。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「リフレーミングで簡単に短所が長所に変えられたら苦労しねえよって話」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
・自分の短所を長所としてとらえるとかムリゲーだと思っている人
・リフレーミングの限界について考えてみたい人
・自分の短所をどうにかしたいと思っている人
よく自己啓発系の人達は言いますね。
「自分の弱みも見方を変えれば長所である」と。
まあ、こういった「モノの見方を変えてみる」という手法を心理学ではリフレーミングというのですが、正直これは万能ではありません。
なんかこの手法を使えば、「どんなネガティブな事も肯定的なことに変換できる」みたいな事をいうリフレーミング至上主義者の方も一部にはいるみたいですが、それはちょっと無理があります。
リフレーミングは万能ではありません。
それにね、そもそも簡単に長所にとらえなおせるくらいなら多分「これは自分の短所だ」なんて悩難でいない気もするんですよね。
まあ、発想の転換は大事ですが、それだけでどうこうできやしません。
リフレーミングはあくまでも前向きに考えるための手法の一つと思ってみて下さいな。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
リフレーミングって何だっけか?
リフレーミングについてはかなり初期の記事で書いたんですが、改めてその定義を確認しておきます。
リフレーミングとは、コミュニケーション心理学(NLP)の用語のひとつであり「対象の枠組みを変え別の感じ方を持たせる事」です。
だから、リ(再び)フレーミング(枠取りをする)なわけですな。
このリフレーミングは平たく言えば、「ものの見方を変える事」です。
その効果には以下のようなものがあるとされている模様。
・モチベーションが上がる
・自信がつく
・苦手意識が薄まる
・人間関係がよくなる
以下のようなものがリフレーミングの具体例と言えます。
・面白みがない→真面目
・発表に際して緊張してドキドキしている→体が発表に向けて準備している(この解釈は実際に有効と言われている)
・いい加減→あそび心がある
・ミーハー→世の中の動向に敏感
ふむ、確かに見方を変えれば短所も長所になりますね。
このように解釈を変える事で少しは前向きになれるのかもしれませんが、ちょっとこれだけでは心もとない気もしますね。
ものの見方を変えるにしても限界がある
世の中には、「リフレーミングで物事のとらえ方を変えれば短所も長所になる!」と言い切る人たちがそこそこいます。
しかし、それはかなりの暴論です。
リフレーミングは、かなり限定的な状況でしか機能しないと思われます。
リフレーミングが有効に機能する人と言えば、おそらく「論理的思考力があり、かつ精神的にある程度安定している人」だけだと思いますね。
リフレーミングは、心理カウンセリングの場面でも結構多用されます。
例えば、「わたしはとっても心配性です」と言われれば、「あなたはとても慎重なんですね」みたいに言いかえられたりしますな。
でも、正直こういわれても言われた本人は「んー、まあそういわれればそうですが、、、」と困ってしまう事も少なくありません。
言われた本人としては、「で?だからどうした?てか、そう思えたら苦労しないよ!」て感じもすると思うんです。
ただただ言葉遊びに興じているだけのようにすら見えてきますねえ。
そして、ひどい場合だとリフレーミング自体が悪影響を及ぼすこともあり得ます。
例えば、
「心配しやすいという事は慎重であると解釈できるって話なのに、ついつい悪い方へと思考が向いて慎重だなんて考えられない。本当自分って駄目だな」
「あ!またネガティブなとらえ方しちゃったよ。本当自分ってだめだな。気が付くたびに自分に自信がなくなる、、、」
て感じです。
自分の短所を長所としてとらえようらえようと意識しすぎて、逆にできない自分に気が付いて自信を喪失するという悪循環ですな。
それに心配し過ぎてしまう事で現実に生じている問題は、当人の意識を変えるくらいで簡単に解決しませんしそもそも意識一つで簡単に心配が消えたら苦労しませんよね。
実は、リフレーミングはかなりの思考力や意志の力を要するものなので、不安にとらわれている様な状態の人はそもそもリフレーミングなんてやったところでどうしようもありません。
不安にとらわれてしまう根源が何かと言えば、それは主に遺伝的な気質や思考の癖といった事になるのでしょうが、思考の癖なんてそうそう変わっていきません。
何回も何回もその癖の存在にきづき、それを丁寧に実際の行動も加味して修正していく事の繰り返し。
論理的思考が得意な人はリフレーミングなどによる考え方のパターン変化などを教えればその後思考の癖を自力でどうにかできる可能性が高いですが、そんな人は体感ではかなり少ないです。
およそ氾濫する思考の海に溺れ不安にとらわれそこから脱せずにいるもの。
そもそも不安にとらわれやすい人は、「意識の使い方があまりうまくない」のでリフレーミングなんて表面的な技術でどうこうできはしないんです。
体力がなく泳ぎも上手くない人がいきなり波の行きかう海で泳ぐなんてちょっと無謀な気がします。
一旦プールなどで練習したほうがいい気がしますよね。
ある程度精神を安定させて心の波を静めておかねばリフレーミングなんて有効に機能しないでしょう。
不安にとらわれやすい人にまず必要なのは、瞑想などを通して意識の使い方を学んでいく事かと思う次第。
その基盤があってこそリフレーミングが役立ってきます。
あくまでもリフレーミングは補助的なツールに過ぎませんし、その発動に意志の力や思考力を要するという点ではかなりコスパが悪くいざ気分が落ち込んだ時に有効に機能するか怪しいです。
わたしとしては、日頃から意識の使い方を鍛えておいて、いざストレスなどで判断力が低下しても不安等のネガティブ感情にある程度対応できる基礎体力を育てておくのがいいと思います。
それに意識の制御にたけてくれば、不安を感じても「あ、今自分は~に対して不安を感じている」等と気付くだけで、その感情を放って置けるようになるのでそもそもリフレーミングの出る幕はない気もします。
特定の手法や理論にあまりこだわらない方がいい
ここからは少々余談ですが、わたしはNLPって結構当てにならない気もしているんですよね。
というのも、NLPの起源がそもそも普遍性に欠けるものから出発しているからです。
NLPの起源は、1970年代にカリフォルニア大学在籍中のリチャード=バンドラーさんとジョン=グリンダーさんが行った「天才セラピスト3人の分析」にあるといいます。
これは今風に言うなら、「成功者の成功談を参考に成功法則を割り出した」という事でして、研究でいうなら観察研究です。
別記事でもかいたのですが、成功者の成功法則はそっくりそのまま真似ても上手くいくとは限らないんですよね。
参考記事等
工事中
確かにそこに真実の一端はあるのでしょうが、それ自体を真実であると信じるのはあまりにも危険です。
なにせ、「成功法則の裏側にある因果関係といったものがはっきりしにくい」ので「その法則にのっとれば同じ現象が再現できるのか」は全くの未知数だという事。
まあ現代では、この未知数の部分にかなりの検証が加えられているんでしょうけども、、、あまりNLP単独では効果があるとは到底言えない気がしています。
まあ、現代的な最新のNLPについて私は全く無知なのであくまでも気なんですけどね。
それに全ての学問も元をたどればどれもこれも「不確かな事から始まっている」ともいえる訳でして、NLPだけについてどうこう言うのも違うといえば違いますな。
正直、わたしがベースにしているアクセプタンス&コミットメントセラピーの理論だって信じ切っていいかと言えば違うでしょう。
なので、不安や精神的な問題を考えるにあたっては、特定の手法にこだわる事なくいろんな角度から仮説検証を繰り返す姿勢が欠かせないのではないかって思う所。
とりあえず、「リフレーミングがあれば何でもいいところに言い換えられるよね!」みたいなリフレーミング万能論はやめた方がいいですよね。
はい、それが言いたかっただけです。
おわりに
この記事は「リフレーミングで簡単に短所が長所に変えられたら苦労しねえよって話」と題しておおくりしました。
リフレーミングはそもそもかなりの思考力と意志の力を要するものなので、不安を感じやすいような人に人にとっては無益であるばかりか逆効果になる可能性すらある気がします。
不安を感じやすい人にとって、一番必要なのはまずは「意識のコントロールではないか」と愚考するところです。
リフレーミングはあくまでも補助的な方法ってことですねえ。
ただ、いまさらながら気が付いたのですが、今回はかなりネガティブ感情の扱いといった側面からばかりリフレーミングを検討してしまったようでちょっと反省しております。
「相手のいいところを発見する」の様な人材教育等の分野では、やはりリフレーミングはそれなりに有効な気はしますね。
という事で、ちょっと言い過ぎたかなあ、、、てのが正直な感想。
まあ、ちょっと堪忍ね。
さーせん。
では!
参考記事等
「柔軟な思考と固定観念」柔軟な考え方のメリットデメリットについて
参考
https://www.kaonavi.jp/dictionary/reframing/