生きていると時に、「生まれてこなければなあ、、、」て思ってしまう事ってありますよね?
心身両面からアプローチすれば、「生まれてこなければ」を「生まれてきてよかった」に変えられる可能性があります!
「生まれてこなければ」という思いをが加速すると、最近言われる反出生主義に陥ってしまいかねませんし、大体そのような思考に陥る人は病んでいる傾向があるので今回の内容は役に立つはず。
当記事を読めば、「生まれてこなければ」という思いを「生きててよかった」に変えるための方向性の一つが分かるでしょう。
本記事の内容があなたの「生きててよかった」と思えるきっかけになったら嬉しいです。
目次
「生まれてこなければよかった」を改善する4つのアプローチ!
では早速、個人的に生きにくさを解消するために心理面と肉体面に対してできそうなアプローチをいくつか提示してみたいと思います。
正直、少し難易度が高めなものもありますが、ご自分にとって無理のない範囲で取り入れてみてくださいな。
- 運動を取り入れた規則正しい生活をする
- ストレス管理や野菜中心の食生活を心がける
- 自分の人生において大事にしたいものに気づく
- 心の安全基地を確保する
以下順次少し補足です。
運動を取り入れた規則正しい生活をする
健康的な精神状態の基盤には健康な肉体の存在があります。そのため、まずは運動を取り入れた規則正しい生活をして自分の心身をできるだけ健康にする必要があります。
実は、自然界では全ての物は乱雑な状態へ向かっていくので、細胞や認知が秩序だった生命という存在は実に不自然な存在。生命維持とは自然法則への反逆行為でもあるといえます。
そのため、「生きる」という自然への反逆行為を継続するためには力が必要です。その反逆の動力を生み出す根源が体の健康。健康をおろそにすれば自然と精神も崩壊をはじめ死を願うようになっていくのです。
そもそも人は本能的に生きようとするものですが、その本能が適切に働く状態を作り出してあげない事にはどうしようもないので、わたしは「まずは健康増進から」と言っているわけですね。
心身を健康にするためには、月並みではありますが、やはり何といっても「運動を取り入れた規則正しい生活」がすごく大事です。具体的には、以下のようなことに気を付けましょう。
- 十分な睡眠(通常7時間以上)
- 朝はしっかりと朝日を浴びる
- 毎日ウォーキングをする(最低30分くらい)
- 強度は関係なく筋トレをする習慣を持つ(スクワットはおすすめ)
- できるだけ決まった時間に食事をとる
- 可能な限り起きる時間と寝る時間を一定にする
わりとどれもこれも当たり前の事ばかりですが、本当に有効な事や真実なんて実は当たり前で何気ない事だったりします。でも、その当たり前ができないから困るわけです。
上記を継続してコツコツと守れるだけでも自身の持つ生命力が息を吹き返し相当気持ちが上がるはず。特に、睡眠が足りていないと認知能力が低下したり対人関係が悪化するので気を付けて下さい。
ちなみに、ウォーキングに関しては近所に公園のような緑化された区域があれば、そこで散歩したりするとベストです。生活の中に運動する時間帯を設けて習慣化するといいでしょう。
ストレス管理や野菜中心の食生活を心がける
精神の健康のためにはストレス管理が必須であるのは言わずもがな。精神面でのケアにおいては、有効な手法が沢山ありますがまずは野菜を積極的に取り入れるのがおすすめです。
事実、フルーツや野菜の摂取量が増えると精神状態が改善するとの報告があります。
ただ、野菜嫌いの人にとっては野菜の積極的な摂取は苦痛かもしれません。そんな野菜嫌いさんは、以下のような対策をとると野菜が割とすんなりととれます。
- グリーンスムージーを飲む
- 野菜スプーを作ったり買ったりして食べる
- お気に入りのドレッシングを見つけそれをかけてサラダを食べる
- サプリメントの活用
実は、わたしも結構な野菜嫌いなのですが野菜スープであれば本当に驚くほどの量の野菜が食べられます。野菜スープは非常に美味しいのでおすすめです。
ちなみに、鉄分や亜鉛とうつには関連性があるなどと言われるため鉄分と亜鉛はサプリを使ってでも優先的に補うべきかもしれません。あと十分なタンパク質摂取のためにプロテインを活用するのもいいです。
そして、次がストレス管理です。具体的なストレス管理方法には例えば以下のようなものがあります。
- マインドフルネス瞑想
- 筋トレの習慣化
- アロマをたく(ラベンダーが特におすすめ)
- 自分なりのストレス解消法のリストアップ
上記の内、まず率先してやってほしいのは大体の場合は「ストレス解消法のリストアップ」です。ストレス解消法は、あくまでも「自分なりのもの」なのでそこに明確なエビデンスがあるかはは関係ありません。
なるべく、沢山自分なりのストレス解消法を見つけそれをメモ帳などに書いてストックしておきましょう。どんなときにストレスが発散できるのか自分ではわからないという人もいるでしょう。
そんな方は、以下の記事や書籍を参考にして自分に有効なストレス解消法を見つけてリストに加えておくことがおすすめです。
自分の人生において大事にしたいものに気づく
「人生において自分が大事にしたいものを知りそれに沿って生きる事」は、「生まれてきたくなかった」を「生まれてきてよかった」に変える有力な解決策の一つだと私は考えます。
この方法は、私がカウンセリングの主軸としている認知行動療法の一派であるACTにおいて採用されている方法。ACTは、多くのエビデンスに裏付けられた手法ゆえ、この方法に一定の有効性はあるはずです。
人には誰でにでも大事にしたいもの(ACTでは価値という)があるものですが、中々自分では日ごろ気が付かないもの。
自分の大事にしたいものに気が付けないままだと、日々の生活の中で目先の目標や問題の解決にばかり躍起になり気が付いたら人生に強い無意味感を感じ途方に暮れることも珍しくありません。
人生において自分が大事にしたい価値を見出すのは中々骨の折れる作業ですが、まずはその第一歩として、「自分が小さい頃になりたいと思っていたものやその理由」について思いをはせるのがいいでしょう。
幼少期になりたかったものの中には、自分の人生にとって重要なエッセンスがたくさん詰まっていることも珍しくありません。まずは、そこから内省を深めてみるのがススメです。
心の安全基地を確保する
人には、誰でも「確固たる信頼関係に裏打ちされた自分にとって心安らげる人間関係」が必要であり、心理学ではこの人間関係は心の安全基地と呼ばれ自己肯定感や挑戦心などの大きな根源となります。
心の安全基地とは、1982年にアメリカの心理学者であるメアリー=エインスワースさんによって提唱された「人間の愛着行動」に関する概念。
「心の安全基地」は子供は親との信頼関係により育まれる存在であるとされ、子供は「外の世界を探索し戻ってきたら喜んで迎えられる」と確信する事で安全基地へ戻ってこられるといいます。
心の安全基地の確保のためには、自分から率先して人間関係を拡大していくというある種のパワープレイも必要です。人間関係拡大の具体例には例えば以下のようなものがあります。
- ネットで趣味や価値観の合いそうな人を見つけて交流する
- 社会人サークルなどに参加する
- マッチングアプリをやってみる
- 行きつけのカフェやバーといったものを作ってみる
- 各地でのイベントに自主的に参加して知り合いを増やす
もし、上記のような活動をする中で自分と相性がよさそうな人と巡り合ったなら、その人と一緒に過ごす時間を増やしていってその縁を育てていくといいでしょう。
人間関係は量より質ですが、そもそも質とは圧倒的な量の中から生まれるものものでもあります。自主的に人間関係を拡大するように行動したいものです。
「生まれてこなければよかった」と思いやすくなる3つの元凶!
では、次にどんな経験が「生まれてこなければよかった」という発想を引き起こす元凶となりやすいのかについて考えてみたいと思います。
あくまでも、私としては以下のようなものが「生まれてこなければよかった」という発想の元凶になりやすいと思う次第。
- 愛着形成不全や発達障害
- 強烈な挫折や事故・大病の経験
- 生来の思考の癖や傾向
以下順次補足です。
愛着形成不全や発達障害
以前のストレンジシチュエーション法についての記事で言及したように、発達心理学では幼少期に愛着が適切に形成されないと心が不安定になり対人関係に支障をきたすようになる可能性があるとされています。
そして人の性質を愛着の観点から分析しカテゴリー分けしたものを愛着スタイルと言い、愛着スタイルにはバランスのいい安定型の他にアンバランスなものとして以下の3つがあるとされている模様。
- 回避型(親を信用していない)
- 葛藤型(アンビバレント型、両価型とも。親に愛着と敵意を示す)
- 無秩序型(上記2つと安定型のどれでもないもの)
上記のどれに当てはまっていても、他人が信用できなかったり情動が不安定になりがちで中々安定した信頼関係を築いていくことができません。
人間関係は、人間の幸福度の大部分を左右する要素。人間関係が上手くいかなければ当然生きづらさを感じ「生まれてこなければよかった」等と言い出すことになりかねないでしょう。
また、最近よく取りざたされる各種発達障害も人に生きにくさを感じさせる要因となります。
特に、「発達障害の特性がいくつか見られるが診断基準の全てを満たしていないために確定診断ができないグレーゾーン」の人々は本人の特性を「甘え」の一言で片づけられることも多くかなり問題です。
強烈な挫折や事故・大病の経験
強烈な挫折や事故・大病などを経験しても「生まれてこなければよかった」という考えを持つようになる可能性があります。強烈な挫折や事故・大病の経験とは具体的に以下のようなものです。
- 事故にあって半身不随
- 失明する
- 壮絶ないじめを経験する
- 過去に重篤なトラウマがある
- 地震をはじめとした大災害を経験する
正直、大分極端なものが並んでいますが、こういった強烈な体験が契機となって「生きているとろくなことがない」等と人生に悲観して「生まれてこなければよかった」と思う人は実際にいます。
人の心は苦難にあって成長するものではありますが、そうはいっても逆境耐性には非常に個人差があるものです。苦難の程度によっては生きているのが嫌になってしまいます。
生来の思考の癖や傾向
多くの場合、過去に経験したネガティブな経験が契機となって「生まれてこなければよかった」と思うものです。
しかし、中には何もないのに、いやむしろ一般的にみれば非常に恵まれているにもかかわらず、「生まれてこなければよかった」等と思う人もいたりします。
なぜ自然と「生まれてこなければ」等と考えてしまう人がいるのかについては私にもわかりませんが、何となく仮説的に感じてる原因っぽいものはある模様。それが以下の2つです。
- マキシマイザー的思考傾向へのおちいりやすさ
- 生存本能が弱い
以下順次補足です。
マキシマイザー的思考傾向へのおちいりやすさ
最高・最上のものを目指す人達をマキシマイザーといいますが、そんなマキシマイザー思考を持つ人は向上心がすさまじいので上手くいけばいわゆる成功者になれます。
しかしマキシマイザー思考の人には、自分の目指す最上の状態に絶対にたどり着けないと言う事を自覚すると自暴自棄的な思考に陥ってしまう、そしてそもそも幸福感を感じにくいという重大な欠点があります。
マキシマイザー思考の人の設定する目標は無謀であることも多々あるので自暴自棄になる可能性はかなり高く、他の思考をする人に比べて「生まれてこなけば」という思考に陥るリスクは高いと言えるでしょう。
こうしたマキシマイザー思考になる原因を幼少期の家庭環境等の環境に求めるが通例でしょうが、何となく遺伝による部分の方が強いのではないかと個人的には感じているんですよね。
生存本能が弱い
上手く表現できないのですが、生存本能がかなりひくい人も「生まれてこなければよかった」という考えに陥りがちな気がします。
生存本能というと非常に抽象的ですが、具体的にいうと「自然と死を考えて死に向かっていこうとする」という心理的傾向をもつという事です。
死を意識しそちら側に行こうとするかについては、遺伝の与える影響がかなり強いのではないかという説がありますが、私もそれには何となく同意できる気がするんですよね、、、。
「生まれてこなければよかった」と思うこと自体は悪い事じゃない!
当然と言えば当然ですが、「生まれてこなければよかった」と思う事は、いい事ではないありません。ただ、個人的には「悪い事でもない」とも思います。
人間生きていれば、何かのはずみで人生に嫌気がさして「生まれてこなければよかったのに」と思ってしまう事もあるしそこから以前の記事で紹介した反出生主義に傾倒することもあるかもしれません。
ただ、それ自体を過度に悪とする事には慎重であるべきかなと思ったりします。何より、「生まれてこなければ」と思うのを悪とすれば自分自身がより一層苦しむことになります。
やや余談ですが、ドイツの哲学者であるヘーゲルさんにより定式化された弁証法によると、一つの判断(正=定立)とこれに矛盾する他の判断(反=反定立)とが統合される過程をへる事で一段高度な判断(合=総合)になるとか。
つまり、「正を肯定する立場」と「正を否定する立場」の両方の存在を容認するからこそ、その両者のいい所ももつ思想が生まれてくる気もするので「生まれてこなければ」を否定することもないと思うわけです。
なので、「生まれてこなければよかった」という思いが心に生じても、「まあ、そんな思いを感じる時もあるな」と心の片隅に置いておいて、日常の楽しい事に目を向けてまた生きていけばいいのだと思う次第。
「生まれてこなければよかった」は心身両面からアプローチして変えられる!
「生まれてこなければよかった」と思う人は、以下の4つアプローチを試みる事で「生まれてこなければ」が「生まれてきてよかった」に変わる可能性がありました。
- 運動を取り入れた規則正しい生活をする
- ストレス管理や野菜中心の食生活を心がける
- 自分の人生において大事にしたいものに気づく
- 心の安全基地を確保する
「生まれてこなければ」という発想自体はいいものではありませんが、別に悪いものとも思いません。人なら誰しも生きていれば、そんなことを感じてしまう事もあるでしょう。
なので、「生まれてこなければ」とおもっても自分を責めることなく、「そんな思いも自分の中にああるな」と冷静にありのままに感じてその思いから現実にまた目線を戻して自分の価値に沿った生き方をしたいものです。