今回は以下の様な方に向けておおくりします。
- ・傲慢になりたくない人
- ・話しのネタが欲しい人等
「情けは人のためならず,っていうけんど、あの言葉の意味って『情けをかけるとその人のためにはならない』ってこと?ま、正確な意味はよくわかんないなあ。とりま、徳の高い人が望ましいってことかはいえるかもね?」
ふむ、せやな。
、、、て、「情けは人のためならず」の意味ちゃうよ??
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「情けは人のためならずは科学的に正しい?徳の高さが偏見にとらわれない思考を可能にするかもしれない」という話です。
はい、日本では聖徳太子(厩戸皇子)が冠位十二階で徳の重要性を説くくらいに、徳って日本の文化になじんでいる気がします(ん?なんか理屈おかしくね?ま、いっか)。
ただ、こんな風に徳が重視されてきた事実に対し「どうせ儒教のせいで大事にされてきただけで、何の合理的根拠もねえ」なんていうひねくれものがいるかもしれません。
ただ徳ってね、『科学的に考えても意味がある』んですよ。
徳が高い、つまり「親切心や社会への貢献を考える心」があると、偏見にとらわれにくいといわれています。
※この記事では徳=「親切心や社会への貢献を考える心」との前提でおおくりします。
あなたも自分の徳を高めてみる?
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では、ゆるりとおおくりします。
目次
人は自分のことはよくわからない
はい、人間って他人の悩みに対する解決策や助言はできるのに、大抵自分の悩みは解決できないもんです。
そう、思っている以上に我々人間は自分自身については冷静な判断ができないんですねえ、悲しいことに。
人は知らず知らずのうちにバイアス、つまり思い込みをもってしまっているもの。
でも、冷静に判断できようになれたらいいですよね?
そこで、今回話題にしたいのが「徳」というものです。
あ、そうそう「情けは人の為ならず」の意味ですけど、たまに「情けをかけるとその人のためにならない」だと勘違いしている人がいますけど、意味違いますからね。
本当の意味は、
「人に情けをかけると結局巡り巡って自分に返ってくる」
て意味だからね、勘違いなきよう。
そして、この言葉の出典は新渡戸稲造さんの作った詩なんだそうな。
徳が高いと判断力が高い?
「徳が高い人は判断力が高い」と昔から言われることもあったようですが、どうやらそれに裏付けが得られてきたようです。
ウォータールー大学の研究で被験者たちに「徳の高さがどれくらい重要であるとおもっているか」を調べたものがあります。
参考
https://journals.sagepub.com/doi/abs/10.1177/0956797617722621?journalCode=pssa
この研究では、被験者たちに以下のようなことを尋ねたといいます。
- 他人や社会の役に立ちたいと思うか?
- 自分の信じることに忠実に信念を貫こうと行動しているか?
- この質問によって被験者各人の徳の高さを調査し、全員を以下の2グループに分けたんですね。
- 今、自分が直面しているトラブルに対し良い可決策を考えてもらったグループ
- 自分の友人が直面しているトラブルに対し良いか解決策を考えてもらったグループ
そして、提出された解決策がどれくらい良いのかを第三者に採点してもらいました。
その結果、
『他人に対する親切心や社会に対する貢献信をもち、かつ信念を持っている人は、自分の問題であっても正しい判断ができていた』
そうです。
「情けは人の為ならず」というのは正しいんですね。
なんせ、「自分の問題を解決することができる冷静な判断力が手に入る」んですから。
さらに言うと、「情けは人のためならず」の裏付けには、「返報性の原理」とかもありますね。
あと、心理学者のアダムグラントさんも「社会的成功者ほど惜しみなく与えるものだ」なんていっていますし。
ま、人のために行動するのもいいものよねえ。
ただし、一つ注意ですが「誰にでも無制限に親切にしていいわけではない」のは強調しておきたいところ。
貢献する意識が人を知的に謙虚にする
上記のように不要な思い込み等が減少するのは、「人や社会への貢献」という方向に思考が向くことで、知的謙遜の感覚が強まるからだといいます。
知的謙遜とは自分を客観視してその能力を正しく判断するのに役立つものです。
社会に対する貢献や自分の信念を貫こうとの意思がある人は、承認欲求が減るということがいえます。
社会への貢献、自身の信念というものを意識すると、「自分がそれを全うするために何が足りないのか?」等と考えられるから知的謙遜が向上するのでしょう。
やはり、人間は自分に対して意識が向きすぎている状態を回避するのが大事ってことですねえ、きっと。
ちなにみ、この知的謙遜はあのグーグルでも採用に関する指標として使われているといいます。
まあ、他人への親切は結局自分への親切なんだとね、これ大事よね。
他にもある知的謙遜を向上させる方法
さて、ここでは上記以外で知的謙遜を向上させる方法について順次見ていきましょう。
・情報源を複数化する
あのカエサルさんも「人は見たいものしか見たいない」といっているとおり、人は普段から自分の聞きたいものを聞き見たいものを見ています。
そこで普段読まない本を読んだり、普段話さない人と話したりするといいんですねえ。
これにより考え方に幅ができてバイアスにかかりにくくなります。
・自分がバイアスの影響を受けていることを思い出す
人間誰せいもバイアスにまみれています。
なので何かを考えるときには必ず「自分は何かのバイアスによって影響をうけていないか?」と考えることが大事です。
バイアスについて知り、それを自覚することでバイアスからの影響を排除できます。
・自分とは違った意見にも敬意を払う
自分とは違う意見に対して「相手にもしたくもない」と思う人は多いかと思います。
しかし、それでは知的謙遜は実現しませんん。
全く同意できない意見であってもましなところを探すようにするのは大事です。
その他、他者の意見に敬意を払えるようになる行動面での方法については以下のようなものがあります。
- 相手の話を遮らずひたすら聞く
- 自分と意見が違う人を意識して批判しないよう努める(肯定はしなくてよし。ただし、話の腰はおらない)
- 自分の意見と違う人の話を意識して聞こうとする
- 自分の意見と同じくらい他人の意見を大事にする
- 他者の立場に立つ
これよく言われるけど大事です。
相手がどんな立場でどんな感情を持っているかを考えましょう。
相手の立場に立つには自分の立場を変える必要がありますね。
で、その具体的な実現方法については以下。
- 意見が違う相手とも妥協点を考えるよう努める
- 自分の持つ証拠をくつがえすだけの証拠が相手側にあるのかを考える。自分を信じたり疑うとかは無関係に試してみる
- 何らかの重要なことがある自分の意見を変えられなかったという経験があれば、その失敗経験を他人に伝える(人がついてくる)
- 自分の知識を客観化する
知らない間に、知識に自分の主観等が入り込んでしまうことがあるんですね。
それを防ぐためには具体的に以下のような方法があります。
- 意図的に自分の考えと違った考えを探し、その考えを自分に対する個人的なものとはとらえない
- 誰かに対して批判的な意見を述べる際には、感情を排して事実だけを言うよう努める
- 自分の意見を述べる際には他人の肩書(社長等の職位、学歴等)を言わないようにする
- 自分の体の変化に対してマインドフルになる(瞑想が効果的)
- 他人の力が大維持であるという感覚を強化するために、自分が何かうまくいったら「みんなのおかげである」というようにする(当然、印象もいい)
- 自信過剰にならない
まあ、これは多くの人が納得できるのではないでしょうか?
自身は適度にある分にはいいですが、ありすぎると独裁的になったりし人の言うことを聞かなくなります。
こんな裸の王様状態にはなりたくないですね。
自信過剰にならない具体的な方法は以下の通り。
- 間違いがあれば意識して認める
- 「常に」、「絶対」、「間違いない」等の断定的表現は使用しない
- 他人に何かを伝えようと思ったら証拠を考え、証拠がないなら言わないようにする
- 根拠のない自信をやめるよう努める
おわりに
この記事では「情けは人のためならずは科学的に正しい?徳の高さが偏見にとらわれない思考を可能にするかもしれない」と述べました。
人間は人のことはよくわかるのに、自分のこととなると冷静に見れないものです。
そんな状態で、問題解決をしようとしてもうまくはいかないものです。
ですが、人に親切にしたり社会に貢献しようという気持ちを持つことで知的謙遜が向上して自分を客観視できるようになります。
まあ、徳は人生を豊かにするために大いに役立つということですね。
いやあ、昔からの経験則もばかにならないねえ。
では!
参考記事等