「陰キャラとか陽キャラとか、、、、もうええわ!陰と陽とかどうでもいいってばよ!!人間なんて落ち込むこともあれば明るくて調子乗っているときもあるだろうよ!てか、そうだろう?なのにさ、いちいち区別して陰と陽に分ける必要ってあんの?なくないか?」
せやぞ、区別とかいらんわ。
陰も陽も併せ持つ存在、、、、それが「人」や。
オニギリス!
脱マンネリストのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「人は陰と陽をあわせ持つ存在。陰と陽の区別不要。人類みな『陰陽師』」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
- 陰キャラとか陽キャラとかの区別にうんざりしている人
- 陰キャラ陽キャラとかの呼び方に変わるものを探している人
はい、以前からわたし、陰キャラとか陽キャラとかの区別をすることの不毛さについて2記事程使って訴えてまいりました。
それが以下の2記事です。
しかしね、どーもこれだけではスッキリしませんでした。
なぜかっていうと、「陰キャラ陽キャラの区別をなくしたところでそれに代わる用語を作っておかないと、ダメじゃね?」とね。
それで最近思っているのが「人は陰も陽も持ち合わsているんだからいっそみんな陰陽師でいいんじゃね?」という案です。
実際、この陰と陽とを合わせて陰陽師と呼ぶという案はツイッターでも一定の支持を得ている模様。
その証左が以下のツイート。
なお、「どうしても陽キャになりたい!」という人に関しては、かなり荒療治ですが「陽キャになる方法」がありますのでリンク先へどうぞ。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
そもそも陰陽師って何だっけかな?
さて、冒頭で「人は陰と陽の両方を併せ持っているからみんな陰陽師でいいべ?」と啖呵を切りましたが、一応陰陽時のそもそもの意味についてとりあえず押さえておきましょう。
一応、元の意味を確認するって大事ですからねえ。
さて、陰陽師とはウィキペデアによると、、、
陰陽師(おんみょうじ、おんようじ)は、古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職の1つで、陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを職掌とする方技(技術系の官人。技官)として配置された者を指す。 中・近世においては民間で私的祈祷や占術を行う者を称し[1]、中には神職の一種のように見られる者も存在する。
引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD%E5%B8%AB
んー、この説明だとかえってなんだかよくわからなく
なりそうですねエ(笑)。
ちなみに、陰陽五行思想とは中国の春秋戦国時代頃にそれぞれ無関係に生まれた陰陽説と五行説が結合した思想です。
なので、以下簡単に陰陽説と五行説について簡単に確認してみましょうかね。
・陰陽説
陰陽説とはもともとは古代中国の易学の考え方であり、陰陽論ともいわれるもの。
陰陽説ではすべての存在は相反する二つの性質を持つものの調和から成るとされているといいます。
その性質の積極的なものが「陽」、消極的なものが「陰」とされています。
これってまさに「陰キャラ」とか「陽キャラ」の区別に通ずるところがありますねえ。
陰陽説の観点から言えば、人間の性格も陰と陽の調和によって成立しているなんて見方ができるわけです。
なお陰陽は善悪の概念とは全く違うものであり、陰陽のバランスの概念だといいます。
つまり、陰だから悪いとか陽だからいいとかそんな区別はないってことです。
・五行説
五行説とは中国古代の自然哲学の思想です。
五行説では万物は五種類の元素からなっており、その元素は一定の法則で互いに影響を与えあいながら変化、ないし循環していると考えているといいます。
ちなみに、五行の「五」は五つの元素のことを表し、「行」は動く、めぐる」という意味を表しているんですね。
そして、陰陽師として有名な歴史上の人物には安倍晴明とか芦屋道満(道摩法師)などがいます。
完全に余談ですけど、あの内閣総理大臣の安倍晋三さんはこの先祖にこの安倍晴明がいたりしますね。
実は、わたしの家系もかなりさかのぼらないといけないけど、この安倍晴明と血縁にあるんですな(「そんなこと言ったら大勢いるわ、バカ」っていうツッコミはあるだろうけどね)。
ま、わたしは呪術とか占術は使えませんがね(笑)。
でも、個人的な陰陽師の有名人といえばフィクションではありますが、「矢部野彦磨」氏ですな。
そうそう。あの「どーまん!せーまん!」で有名なあの方ですわ(笑)。
人って落ち込む時も明るい時もあるわな
人の気分なんて結構変わるもんです。
明るい時もあれば暗い時もあります。
だから、別に人なんて陰でも陽でもあるので別に陰キャラとか陽キャラとか区別していく必要なんて全くないんです。
しいていうなら、陰か陽かの区別は外向的か内向的かで別れるかもしれませんが、それは単に性格の違いなので別にいじるようなものではないんじゃないかと思う次第。
確かに、内向的な人は外向的な人に比べると比較的感情表現がわかりにくかったりするので、感情の起伏が伝わりにくかったりします。
ちなみに、感情の起伏がわかりにくい人は少し人から誤解されたり、怖がられたりする傾向がありますね。
でも、内向的な人にも感情の波がしっかりと存在しているんですねえ。
正直それだけのことなので、いちいち陰だ陽だの言って区別する必要はないです。
それぞれに適したコミュニケーションのスタイルがあるというだけのこと。
ただ、誤解されやすい自覚のある内向的な人は少し以下の記事を参考にして、外向性を身に着けてみてもいいと思います。
陰キャのレッテルは簡単に張っていいものじゃない
そもそも陰キャラという呼称はスクールカーストでの力関係で語られることが多い言葉です。
しかし、現在その呼称は「陰気な性格の人を意味する俗語」として徐々に市民権を得てきています。
そして、最近ではこの「陰キャ」という呼称は一般に「他人を見下すようなニュアンス」で用いられることが増えてきているように思えるんですね。
事実、「陰キャ」というレッテルを張られることに対して気分を害している人は沢山います。
また、このようなレッテルを張られることで「陰キャとしてのレッテルを張られた人」は周囲からバカにされたり避けられたりすることが十分あり得ます。
このようなレッテルは社会心理学的に言えばスティグマとして作用しているといえるでしょう。
なお、スティグマとは以下のようなもの。
【英】:Stigma
スティグマとは、差別・偏見と訳されるが、特定の事象や属性を持った個人や集団に対する、間違った認識や根拠のない認識のことを言う。スティグマは、その結果として対象となる人物や集団に対する不利益や不平等、排除等のネガティブな行動の原因として社会的に問題となることが多い。保健医療分野では、ハンセン病、結核、HIV感染のような慢性感染症や性感染症、身体および精神障害者、先天性奇形の存在、社会的弱者、孤児、薬物常習者、アルコール中毒、低所得者、性差、ホモセクシャル、高齢者、子供等が対象となる。保健医療分野においても、スティグマの生じる原因は文化的社会的要因が複雑に絡まっており容易ではないが、疾病が自分に感染に対することの恐怖、疾病罹患の結果生じる死や合併症(四肢や顔の変形)に対する恐怖、社会規範からの逸脱に対する恐怖等を例として挙げることが出来る。
一方、スティグマは対象とされた人物や集団において、自己の尊厳の低下を引き起こす。これは、通常の社会活動への参加の回避、健康維持および増進行動の回避、通常の保健医療サービスへのアクセスの拒否等の行動をもたらす。スティグマの根絶のためには、事象に対する正しい理解と多方面の市民社会からの参加と協力が必要である。
(石田 裕)
引用
https://www.weblio.jp/content/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B0%E3%83%9E
今は「陰キャ」という呼称は何気ないからかい言葉で済んでいる感はありますけど、現在の流れがずっと進行していくともっと自体は厄介になるんじゃないかなって気がしますね。
少なくとも、自称陽キャ達がよくやりがちな「あいつ陰キャだから」みたいな安易な「陰キャ認定」に関してはいささか警鐘を鳴らす必要があるんじゃないかなって気分です。
陰とか陽とかどうでもいいのよ、、、みんな陰と陽を持っているんからさ。
いちいち、優劣つけるような真似しなくたっていいでしょうよ。
それに物静かにしている人がつまらない人だってなんでわかるのか?
話してみれば意外な一面や才能があるとか、すごく面白い人だんてこともあるでしょう。
自分とコミュニケーションスタイルが違うくらいで「陰キャ」みたいに切って捨てるのは、人生のいろんな貴重な体験の機会を逸することになると思います。
もっと、違いを楽しむくらい柔軟だと世界は面白くなるかなって思う次第。
自分たちとノリが合わないから排除するってとっても残念な思考だと思いますね。
おわりに
この記事は「人は陰と陽をあわせ持つ存在。陰と陽の区別不要。人類みな『陰陽師』」と題しておおくりしました。
人は暗くなる時もあれば明るくなる時もあります。
ですから、とりたてて「陰キャ」とか「陽キャ」なんていう必要なんてありせん。
確かに、人によっては感情表現の豊かさに差はあるでしょう。
でも、それは別にその人の性格なんだからいいじゃないですか。
、、、、わたしはそう思うんですよねえ。
それに安易に陰キャというレッテルを張っていいものだとも思えません。
このまま現状のような「マウントを取るための陰キャ認定」が横行するなら、「陰キャ」という呼称がある種のスティグマとなってしまうかもしれないです。
むしろ、個人的にはそんなレッテル張るよりも「みんな陰と陽の要素を持っているんだから陰陽師でよくね?」みたいなノリでやっていった方がいいんじゃないかって思います。
まあ、「師」てついているのが気になるかもしれないけど、まあええやん、なんかちょっとかっこいいし(笑)。
「お前陰キャだ」みたいに言われたら、「いや、俺陰陽師だし」みたいに自分の中で反論しちゃってOKでしょう。
陰キャレッテルを執拗に張ろうとしてくる奴らの方がよっぽど「心の芯が暗い」からね。
さあさ、ご唱和くださいな。
「エブリワン、陰陽師!」
では、また!
参考記事等