今回は以下のような方に向けておおくりします。
・自分が幸せに近づいるのか遠のいているのか気になる人
・話しのネタが欲しい人等
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「自分が幸せに近づいているかどうかは6つの基準でわかる。」という話です
自分が今幸せに近づいているかどうかを判断する基準があったら、かなり便利ですよね?
実は、それをある程度判断できる基準があるんですよ。
より厳密には「幸せに近づいているかどうかの判断基準」と言うよりは、「満足した人生を送れるかどうかの基準」と言った方がいいんですけども。
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では、ゆるりとおおくりします。
目次
そもそも何を持って幸せとするのか?
「幸せ」と一言に言っても、「一体どういう状態をいうのか」がはっきりしない事には話が前に進みませんのできちんと定義したいと思います。
わたしがカウンセリングに用いているアクセプタンス&コミットメントセラピー(以下ACTと表記)の理論に基づいて、幸せを言うものを定義するなら幸せとは
「自分が人生において大事にしたいと思っている事柄とのつながりをきちんと感じられている状態」
と言えます。
例えば、「人に対して愛情深くありたい」と思っている人が、その思いに基づいて様々な行動をする中で「わたしはきちんと自分が望ましいと思った方向へ進んでいる」と思えるならば人生に充実感を感じられるという事になります。
反対に、そのような感覚を得られないなら人生に対して満たされなさを感じることになるでしょう。
この「大事にしたいものと自分の行動がリンクしているという自覚」を得るためには、心理的な柔軟性が不可欠です。
そのため心理的柔軟性の度合いを判断する基準が、本記事でいう所の「幸せに近づいているかどうかを判断する基準」になります。
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おにぎりのカウンセリングについて詳しくは以下。
では、ゆるりとおおくりします。
幸せに近づいているかどうかを判断する6つの基準
自分が幸せに近づいているかどうかを判断する基準には、以下の6つがあります。
- 注意の柔軟性の欠如
- 体験の回避
- 認知的フュージョン
- 概念としての自己に対する執着
- 行為の欠如、ないし衝動性
- 価値の混乱
上掲の6つの項目において度合いが強い項目が一つ以上存在すると、得てして心理的に硬直して人生に不満を持ちやすくなるでしょう。
以下簡単にそれぞれの項目について順次補足です。
・注意の柔軟性の欠如
注意の柔軟性とは、簡単に言うと「どこに注意を向けるかを必要に応じて適切に振り分ける事」を言います。
これが欠如すると、自分の内側や外側にある特定の事柄にばかり固執したりするようになり、現実に対して適応的な行動をとれなくなるんですね。
現実に適応的でないとは例えば以下のような事です。
- 現実の対人関係などで不要なあつれきを生み出す
- 親しい人間関係を構築することが困難になる
- 現実に自分が対処しなければいけない問題に対して対応ができなくなる
ざっとこんな感じでしょうか。
例えば、「自分は誰からも好かれはしない」という事に意識を集中させているなら、本当なら仲良くできるはずの人との関係が進展しません。
・体験の回避
体験の回避とは、簡単に言うと「苦痛を伴う経験を回避しようとして返って不要な苦痛を生み出してしまう事」の事を言います。
例えば、あがり症の人が3日後に社内でのプレゼンを控えていたとしましょう。
この時、「3日後のプレゼンで発表する時に絶対に上がってはいけない!!失敗できないんだ!」等と「上がってしまう不安を何とかして避けたい」と強く思うほどその不安を強く感じてしまいます。
これは本来の不安に対して自分で「余計な不安をつけたしている状態」と言えましょう。
本当なら「自分はあがり症だからプレゼンが不安」と言うだけですんでいたのに、「プレゼンで不安にならないか不安」という新たな不安を自分で付け足しているという事です。
これは本来不安を受け入れているなら生じなかった不安なので、本来自然発生する不安を「綺麗な不安」と呼ぶならば「汚い不安」と言えるものでしょう。
・認知的フュージョン
認知的フュージョンとは、簡単に言うと「自分の認知と自分が一体化してしまった状態」の事を言います。
例えば、「自分は無価値な人間である」という認知と強くフュージョン、つまり一体化してしまっているとその思考を正当化するような事実ばかりをあげつらって自分の無価値さをさらに確信するようになるでしょう。
こうなっては対人関係においては親しい人間関係を構築しようという動機が無くなるでしょうし、自己主張もままならない事態になりそうです。
特定の認知と一体化する事で、状況において適切な行動がとれなくなってしまうの大変危険と言えます。
・概念としての自己に対する執着
概念としての自己に対する執着とは、簡単に言うと「自分をある特定の概念と強力に結びつけてしまう事」をいいます。
例えば、「自分は人にいかなる場合も親切でなければいけない」と固執している人がいたとしましょう。
この場合、この人の頭の中では「自分=いかなる時も親切な人」という図式が出来上がっています。
しかし現実には、親切はおろか変わってはいけない危険人物もいますし、そもそも「いつ何時も親切である」等無理にもほどがありますよね。
とてもじゃないですが、現実に照らして適応的な考え方ではありません。
それに特定の自己像に固執していると、あらたな自分像を求めて変わっていく事も出来ず現実世界に適応しきれず苦痛を感じるようになっていきます。
・行為の欠如、ないし衝動性
行為の欠如、ないし衝動性とは、簡単に言うと「自分の望ましいと思う事柄と自分の行動をリンクさせることができない状態の事」です。
自分が何を大事にしたいかわかっていても、その大事にしたいものと実際の自分の行動をリンクさせられないと不満はつものるもの。
自分が他人に親切でありたいと願っているのに、ついつい人のあらさがしをして攻撃的になってしまうなんて言うのがその一例でしょうか。
おそらくこのような事態は多くの人が経験しているかと思います。
・価値の混乱
価値の混乱とは、「自分が何を大事にしたいのか見失う状態」の事です。
これは単独で生じるというより、上述の注意の柔軟性の欠如や認知的フュージョン等といった複数の事態があわさる事で結果として顕著になってくると見方もできるでしょう。
ここまで心理的柔軟性を損なう6つの要素について言及してきましたが、これら6つは「どれもお互いにリンクしあっている」のでどれか一つを緩和するとそれに応じて他の要素も改善したりするんですね。
なので、自分にとって一番心当たりがあることから対処するのがいいかもしれません。
常に自分を客観視しながら人生を生きよう
上記6つの要素を上手に避ける事が出来れば、結果的に自分の人生に満足感をもって生きる事ができるといえましょう。
そして、上記6つのそれぞれを回避するために必要なものを提示すると以下の通り。
- 「今、この瞬間」に対しての柔軟な注意
- アクセプタンス
- 脱フュージョン
- 文脈としての自己
- コミットされた行為
- 価値
※以上の6つはACTではヘキサフレックスといわれており、心理的柔軟性を判断する指標とされている。
これらについての詳細については以下の記事参照。
当たり前ですが、心理的柔軟性を獲得しそれを維持し続けるのは非常に困難です。
もし一時的に心理的に柔軟になれてもいつその均衡が破られるかはわかりません。
常に、わたし達は自分を客観視しつつ自分の感情変化に敏感に気付きながら生きていく必要があるのです。
幸せとは普段の努力の上にしか成り立たないものと言っていいでしょう。
おわりに
この記事は「自分が幸せに近づいているかどうかは6つの基準でわかる。」と題しておおくりしました。
今回は幸せを心理的柔軟性と解釈してそれを実現するためには、何をしたらいいかについて考えてみた次第。
正直、中々にしんどいですが、自分を客観視しつつ不断の努力を続けていきたいものです。
では!
参考記事等