自分は特別じゃないと気が付いてからがやっと始まりだと思うんよ

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ

・自分の無力さにうんざりしている人等
・話しのネタが欲しい人等

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです!

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「自分は特別じゃないと気が付いてからがやっと始まりだと思うんよ」という話です。

調子がいい時は「自分は何でもできる気がする!」なんて勘違いしがち。

しかもこういった事は、あまり成長が進んでいない時に起こりがちです。

ある程度経験を積んでくると、自分の上には上がいるという事実を知ることになってきます。

そうなると、「なんて自分は非力なのか」なんて思いになることもあるものです。

まあ、いい気分じゃないですよね。

でも、「そう思えてからが本当の出発」です!

今自分の無力さを痛感している人は、「自分は成長する絶好の機会に直面しているのだ」と少し見方を変えてみて下さい。

今までの努力は無駄にはなっていのです!じぶんは

では、ゆるりとおおくりします。

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誰もがみな昔は無限の可能性を持っていると信じていた、、、

発達心理学では、人は小さい頃は「自分を中心として物を見ている」とされています。

それが年齢が上がるにつれて「自分以外の立場からものを見れるようになってくる(脱中心化)」んですね。

要は、「世界や自分を客観的な立場から眺められるようになっていく」ということです。

※この脱中心化の時期の速さや程度には個人差がある。

小さい頃は望めば、何の根拠もないのに「何者かになれる」と信じて疑わないなんて事は往々にしてあることなんです。

謎の万能感に酔いしれていた時期がある人は少なくないはず。

事実、わたしも小さい自分には今考えると「お前正気か?」といった程の万能感を持っていた覚えがあります。

ああ、、、恥ずかし!

とはいえ、幸せな時期ではあったと思いますよ。

子供の頃は誰でも無敵だったのです。

誰もがヒーローでありヒロイン、世界の救世主であり世界の覇者であったといったも過言ではありません。

、、、自分の脳内ではね。

自分は何も特別ではないと知ってからが真の始まりである

幸せな時期は長くは続きません。

世界を知り己を知るにつれ、「自分の至らなさや無力さ」、「自分の願望の無謀さ」を痛感させられることとなります。

世界にはいくらでも上には上がいる事を知るからです。

時には、歴史上の偉人などと比較して自分の愚かさに吐き気を模様す事すらあるかもしれません。

小さい時に自分は「無限の可能性を持つ特別な存在であった」にもかかわらず、一気に無力でとるに足らないゴミのようなものに成り下がってしまうわけです。

そして、これは大人になってからも同じですね。

特に努力をしている人ほどこのきつい現実を痛感することになります。

自分にできる事は他人もできるし、何なら自分が得意だと思っていた事を自分よりも上手くやる人間が沢山いる、、、そんなきつい現実を突きつけられる時期がやってくるわけですな。

正気でいられるわけがありません。

逆に、中途半端な人ほど何となく根拠もなく自分は凄いと思っているものです。

しかし、自分の至らなさをしってからが本当の出発ですな。

自分の至らなさを自覚し「自分が特別である」という意識をすてさってこそ、「まともに努力ができる」と言えます。

「自分は完成されていてもう変わる必要はない」と思ってしまったら、もうそこに努力をする動機はなく成長の余地がなくなってしまいますからね。

自分の足らなさを自覚することは重要です。

しかし、同時に「自分をおとしめるのもいけない」と言えます。

重要なのは、「自分に足りないものを冷静かつ客観的に見定める事」であって「自分を過小評価する事ではない」からです。

人には長所もあれば短所もあるものですし、そもそも長所は使う場面によっては短所に転ずるもの。

それは短所の場合も同様。

己の特性をよく知ってこそ、自分の持つ特性という武器の使い方が理解できるのです。

重要なのは「短所も長所もすべて自分の一部であるとただただ認める」という事。

肯定も否定もせず認めるだけです。

人生に特別の意味を与えるのは他らぬ自分自身なのだ

自分に対する「特別の意味づけ」を失った人がとりうる行動には色々なものが想定されますが、そのうちの一つが

「他人からの承認をやたら求める事」

でしょう。

自分を評価してくれる人の前では、自分はその人にとっての「特別な何者か」になることができるので、しばし自分の無力感から意識をそらすことができるわけです。

人からの承認を過度に求めるのは逃避行動の一種と言えるかと思います。

しかし、そうした行為を重ねれば重ねるほど「自分の抱える無力感は肥大しより鮮明になっていく」ことになります。

上述したように、世界には上には上がいるので「凄いと思われたい」と思えば思うほど、嫌でも上と自分を比べていかないとけません。

認められたいという気持ちが強い状態では、およそ「自分の短所は受け入れられていない」ので比較によって高確率で精神を病んでいく事になるでしょう。

自分の現在地を知るという意味では比較は重要なのですが、比較は「自分の短所を認める」という事ができていないと上手に機能していかないからです。

他人からの価値づけやそれに基づいた意味付けにこだわると人生に不満が増えるわけですな。

重要な事ですが、そもそも人生になんて意味はないですし誰にも本来的に特別な意味も価値もありません。

すべての人も物も「そこにあるからあるだけ」ですし、それで十分です。

わたしは、まずはその事実を認めておくことが重要であろうと思います。

自分という存在や自分の人生に意味を与えられるのは、ほかならぬ自分自身だけであり「他人ではない」のです。

一度自分からすべての意味をはぎ取ってまっさらにしてから、「自分は一体人生に何を望んでいる人間なのか?」という問いに耳を澄ましてみるといいでしょう。

その望んでいる事を知りそれに一致した行動を繰り返していく中で、自然と人生に充実感を覚えていくはずです。

「自分の人生への望み」が分かれば、その方向に向かって歩むだけなので他の事はさして重要ではなくなってくるとも言えます。

自分の人生に積極的に自分で意味を与えていきましょう。

自分が人生に望んでいるものを知りたい人は以下参照。

おわりに

この記事は「自分は特別じゃないと気が付いてからがやっと始まりだと思うんよ」と題しておおくりしました。

人間誰しも小さい時分には自分を全能の存在であり自分には無限の可能性があるとだと思っている傾向があるものです。

それが成長とともに世界を客観的に見れるようになってくるに従って、「自分は何も特別な存在ではない」という事に気が付いてくるもの。

特に努力をする人ほどその傾向は強いでしょう。

努力すればするほど、自分より上の存在が嫌でも目に付くようになってきますからね。

ただ、そこからが人生本番です!

自分の人生に意味を付与できるのは、ほかならぬ「あなた自身だけ」です。

自分の無力を知ってからが本当の出発と言えるでしょう。

自分の人生に積極的に意味を与えていきたいものです。

では!

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