人生自体は無意味である。しかし人生に意味を与えないと人は死ぬ。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ

人生に意味があるとはとても思えない人
・人生の意味を改めて考えてみたい人
・話しのネタが欲しい人等

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「人生自体は無意味である。しかし人生に意味を与えないと人は死ぬ。」という話です。

「人生についての記事って一体何個目かな?」なんて思うほど、この手の話題について書いているような気がしますねえ。

まあ、当ブログの趣旨を考えたら割とこの手の話題がひんぱんに出てくるのは必然って気がしますけども。

人生に生きる意味なんてものはありませんが、それでも人は自分で人生に見切りをつかない限りは生き続けていってしまうものです。

なので、「どうせ生きているからには何とか楽しまねば」と思います。

それに色んな意味で「人生に意味を見出せないと人は死んでしまうもの」だとも思うんですよね。

人生の意味は与えられるものではなく、「自らが自らに与える事でしか手に入りません」。

「自分の生きる意味って何だろう」と思っているなら、今回の記事は参考になるかもしれません。

ここで一瞬だけ宣伝?ですが、「悩みがあんよなー」て人も「ただ誰かに愚痴を言いたいねん!」て人も悩みが重症化する前に頭をクリアにしてみませんか?

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では、ゆるりとおおくりします。

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人生は無意味である

人生は無意味です。

意味などありません。

いや、かりにあるにせよ、その意味は「わたし達人間に知りえるものではない」でしょう。

なんせ、「生きる意味」なんてものは「自然の摂理」の中にあるものでしょうからね。

何らかの意味があったとしても、知りえないのではそこは口をつぐんでおくしかないでしょう。

なので、結局は「知りえない以上ないものと同じ」と考えてもいいのかなって思います。

もっとも、人によっては「きっとこの世界の全ては必然だ。何か意味があるのだ」と考える人もいるでしょう。

ただ、わたしとしては「世界の摂理は知りえない以上ある前提でものを考えるべきではないかな」って立場だというだけの話ですね。

こういった摂理の探求は宇宙物理学者やその他科学者の方々が論理的に行うのに任せるしかないでしょう。

少なくとも、客観的な証拠を用意できない以上、それ以外の人々が軽々に語っていい程軽いものではないのかもしれません。

なんたって、証拠を用意しないのならば、「何とでも言いたいように言えてしまう」のですから。

「人生に意味などない」と答える方が戯言をこねくりまわす人々よりもよほど誠実かもしれません。

とはいえ、個人が勝手に考えている分には別にどうでもいいのかもしれません。

結局、「他人に押し付けなければいい」だけですからね。

無意味な人生を生きれるほど人間は強くはない

わたしは人生に確たる意味がないと考える方が誠実だといいましたが、そうはいっても人間は「人生に意味があるのだ」と考えないと正直生きていく事は難しいです。

よく考えてみれば、わたし達は結局のところ「ただただ無為に生きそのまま死んでいくだけの存在」と言えそうです。

生きているのは、「ただ生きているから」以上の意味などありません。

そして、どんなに苦しい思いをして財を築こうが権力の座に上ろうが何を手に入れようが、いずれ来る死の瞬間に全てを失ってしまいます。

そう考えると、少しばかり空虚な気持ちになってくるというものです。

「どうせ死によって全てが奪い去られるならば何を求めることも無駄ではないか。何をしても無意味であり努力すること自体に何らの価値も意味もない、、、」等と。

こう考えると、「生きている事自体が非常にバカバカしい事極まりない」とすら思えてくる気もしますよね。

世間が命の尊厳がうんたらなんて言っていても、そんな事すらもどこかあほらしいと思うようになって来るかもしれません。

死なんて遅かれ早かれやってくるものであり、その「死という結果」だけ見れば何もする気も起きなくなることもあるかもしれませんね。

「どうせ死によって全部終わりになるなら苦労なんてしてまで何かをする必要はない」なんて。

もう「人生は始まった瞬間にすでに終わっている」とすらいえる気分でしょう。

普通はこんな空虚感には耐えられないので、神の存在や前世や来世、魂の修行とか意味の分からないことを言い出す人が出てくるといえます。

こんなことは正直「いくらでも何とでも言える世迷言」といった感じがありますが、人生の無意味さに耐えられない多くの人にとっては「仮にまやかしの希望であってもないとやってられない」という話です。

人生に救いがなさすぎるというわけですね

何とかして無理やりにでも意味をくっつけたいと必死なわけです。

生きようとする本能が何とか意味を無理やり見出した結果がこういったオカルト的な人生への意味づけの正体なのかもしれませんな。

わたしはそんな気がしています。

ただまあ、、、そんな気持ちもわからないわけではないですわ。

生きていると時に人生を呪いたくなるようなときもありますからねえ。

意味があると思えなきゃ、こんな人生すぐにでも死んで終わらせた方がよっぽどましだって思う人もいるはずです。

意味がないと色んな苦痛に見舞われるであろう人生なんて生きてられたものではありませんからね。

事実、逆境に強い人って様々な事に意味感をもつ人だといわれています。

人生に意味があると考えるのは、生きる上で凄く重要と言えますな。

人生に意味を見出せないと人はマジで死にやすくなる

どうやら人生に意味を感じない、つまり「いきがい」と呼べるものを持てないと結構人は死にやすくなってしまうようです。

例えば、40歳から79歳までの約5万5000人を対象としたある7年間にもわたる調査によると、

「生きがいを持っている人の死亡率は生きがいを持っている人の1.4倍であった」

と言います。

参考

https://president.jp/articles/-/36757?page=3

より具体的に言うなら、生きがいを持たない人は、生きがいを持っている人と比べると循環器疾患での死亡が1.6倍、事故や自殺などの外因死が2.4倍になるという違いがあるとのこと。

また同調査では、「日常生活において大切だと思うものは何か」を対象者達に聞いており、その後12年間にわたり生存状況を追跡しております。

その結果、「健康」より「仕事」を選んだ人のほうが長生きしていることがわかった。

※「仕事」と答えた人たちの死亡率は11%。

対して、死亡率が最も高かったのは「名誉」と答えた人たちで死亡率はなんと28%だったといいます。

ふむ、、、名誉ねえ、、、。

あれかしら、体面ばっかり気にするようになったら人間ヤバいってことなのかな?

知らんけど。

どうせ死ぬし人生に意味なんてないんだから好きに生きてやればいいんだよ!

人生に意味があるかないかについては、もうないという事でいいでしょう。

しかしだからと言って、「生きる意味なんて不要である」と言っているわけではありません。

「普遍的で全ての人間にとっての意味」なんて求めようとするから、ややこしいことになると言うだけの事です。

つまり、「自分にとってだけの生きる意味を見つければいい」だけなんですよ。

それこそ「どうせ死んじまったら全部しまいだ!だったら、自分なりに意味があると思う事のために生きたらいいじゃねえか!」てことです。

あと、大事な事なので言っておくと、そもそも人間には意味があるかどうかなんて事は別として、「生きようとする本能」というものが備わっております。

なので、まずはこの「本能をシッカリと働かせること」が大事です。

具体的に言うなら、睡眠不足や体に悪い食生活などは改めてできるだけ健康的な生活をするよう努めようってことですね。

この前提があれば、人の意識は基本的に中々死へとは向かないものです。

そもそも人の脳は「自分の死を拒絶する」と言われておりますからね。

死は他人事だと脳は考える傾向があるのです。

これは上述の様な「どうせ死ぬなら何をしても無駄である」という思考に陥って自殺するのを防ぐメカニズムであるとも言えましょう。

人生に意味があろうとなかろうと、平気な顔して多くの人が生きているのはおそらく「脳の機能のせい」と言えるでしょうな。

過度のストレス等で認知能力が弱っていると、脳が「自分の死を否定できない」から自死が起こるともいえるのかなって気がしております。

まずは「できるだけ健康的な生活をして自分の生きようとする本能を活性化させること」が第一ですね。

以下にストレス対策の記事を置いておくので、ストレスケアも頑張ってみて下さいな。

人生への意味の求め方には二つある

さて、「普遍的な生きる意味なんてない」ですが、「自分にとっての生きる意味」ならば十分に求められます。

人生を有意義に幸せに生きたいなら、人生に自分なりの意味を見出しましょう。

人生の意味を求める方法には以下の2通りがあります。

  • 人生に求められている意味に気づく
  • 自分の大事にしたい価値に気づく

以下簡単に順次補足です。

・人生に求められている意味に気づく

まず一つ目は、「人生に求められている意味に気づく」という方法です。

「人は超越者から誰しも知らないだけで意味を与えられて生れてきた」と考えるのがこの方法の大まかな特徴ですね。

人生からの求めに気が付くとかそんな言い方もできるでしょうか。

オカルト的に言うなら、使命を発見するみたいな感じです。

そのため、神や魂みたいなオカルト的なものを信じている人とは非常に相性がいい方法と言えるでしょう。

詳しくは以下参照。

・自分の大事にしたい価値に気づく

もう一つの方法は、「自分が大事にした価値に気づく」という方法です。

人には、それぞれに「何を大事にしていきたいか」があります。

この「大事にしていきたいもの」が、「価値」であり、あなたに生きる意味を与えてくれるものとなります。

価値とは、例えば「人に親切でいたい」とか「子供にとって~な親でありたい」等といった感じのもの。

この価値は家庭や仕事、対人関係等といった多岐にわたる分野に存在しています。

あなたは自分にとって重要だと思われる分野で価値を探求して行くんですね。

そうして、発見した価値と自分の行動を紐づけて行動してくことで人生に満足感が生まれるというわけです。

詳しくは以下の記事参照。

おわりに

この記事は「人生自体は無意味である。しかし人生に意味を与えないと人は死ぬ。」と題しておおくりしました。

人生に普遍的な文脈での意味なんてないとしたほうがおそらく誠実というものでしょう。

分かりえないものについては口をつぐんだ方がいいとう事です。

とはいえ、人が生きていく上では「生きる意味は必要」ですね。

生きる意味なんて、別に普遍的である必要なんて全くなくて、「自分にとっての生きる意味」だけで十分なです。

「人生からの求めに応じる」のか「自分の大事にしたい価値に気づく」のか、、、、そのどちらかで自分の人生に意味を与えれば十分事足りるでしょう。

あ、そうそう。

あと、そもそもストレスをため過ぎたりせずに、のき出来るだけ健康的な生活をするように心がけたいものです。

では!

参考記事等

「悪口は自己紹介」悪口には自分を苦しめる効果があるので控えよう

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