「人生諦めが肝心」の意味を誤解しちゃいけない。諦めはゴールの修正だ。
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「なんか、人生はあきらめが肝心だっていう人がいる一方で、あきらめたらそこで試合終了だっていう人もいるね。なんだかなあ、、、何が一体正しいんだろうか、、、。あきらめたほうがいいのか最後まであきらめないほうがいいのか、、、、全然正解がわからない!!一体どっちだ!」

うん、確かに!

オニギリス!

脱マンネリストのオニギリです!

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「人生におけるあきらめは価値に沿ったゴールの修正である」という話題です。

あきらめるという言葉には一般にネガティブなイメージがあります。

そして、世間は「あきらめるな」とか「あきらめなければ夢はかなう」みたいな青臭い?メッセージであふれていますね。

はい、あのスラムダンクで安西先生も言ってますよね、「あきらめたら試合終了ですよ」と。

しかし、一方で「人生諦めが肝心」なんて言葉もよく使われます。

さて、どっちが正しいのでしょう?

わたしとしては「どちらかといえばあきらめが肝心であろう」と思っています。

でも、それは人生において大事にしたい「価値」がはっきりしている場合の話です。

さて、そろそろくわしくみていきましょうか?

これであなたは「あきらめる」ことに罪悪感がなくなるかも。

では、ゆるりとおおくりします。

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あきらめるとはどういうことか?

さて、「あきらめる」とはそもそも一体どんな意味でしょうか?

あきらめるとは、、、

[動マ下一][文]あきら・む[マ下二]もう希望や見込みがないと思ってやめる。断念する。「助からぬものと―・めている」「どしゃ降りで、外出を―・めた」

引用

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%AB%A6%E3%82%81%E3%82%8B/

ふむ、「ぬるほど!」って感じですね。

「もう希望がないとおもって」やめる、、、、そうね、ネガティブな印象をうけますねえ。

ただ、よく考えてほしいのですが、「とにかく嫌でもなんでも食らいついてやり続ける」のはいいことなんでしょうか?

おそらく、体育会系の人の中には「おう!そのとおりだ!」なんていう人がいるかもしれません(もしかして、松岡修造さんもかな、、、いや、違うか)。

しかし、その執着している対象が「泥船である」と分かっても、なお「くらいついて自滅するのを待つ」のでは本末転倒ですよね?

なので、あきらめることも時には必要ってことになります。

確かに、あきらめないで食らいつく努力も大事です。

事実、石の上にも三年という言葉がある通り、「努力を継続することの重要性」は昔から散々説かれてきました。

でも、、、でもです!

「自滅しては意味がない」ということ。

あきらめるのは一般にネガティブなこととされていますが、心理学的な観点から言えば決して「ネガティブとばかりも言えない」です。

それと多少余談ではありますが、「あきらめる」という言葉は今でこそネガティブになニュアンスとなってしまっていますが、そもそもは「諦める」は「明らかにする」と語源は同じだといいます。

語源から考えた場合、「あきらめる」は「物事の真実の姿や有り様を明らかにすることによりやっとあきらめられる」という意味合いになるそうです。

参考

https://toyokeizai.net/articles/-/154783

執着するよりあきらめたほうがいい

人生を快適に生きていくためには、「柔軟性のある考え方をする」必要があります。

柔軟性がない硬直した思考によって、「あきらめない!」となっては執着や固執でしかないです。

そのような凝り固まった考え方ではメンタルを病んだりしてしまいます。

メンタルが健全であるためには柔軟性が何より重要なのです。

なので、「あきらめない」とか「あきらめる」という選択は「いつでも状況によって最適なものがかわる」と考えておきましょう。

あきらめてもいいし、あきらめなくてもいいんです。

それはすべてあなたの自由。

そして、その判断によって「あーあ、自分はなんて忍耐力がないんだろ、、、」等と自己否定しなくていいのです。

人間なんて時には逃げもするし隠れもしますよ。

逃げるは恥だが役に立つ、でしたっけ?

まあ、そもそも逃げるのに恥も何もないでしょ。

それが「必要な処置であったのなら」、なんの罪悪感もいらないです。

とりま、「~ねばならない」とか「~すべき」といった思考はやめてしまいましょうね。

それだと疲れるだけなんで。

参考記事等

理想はいらない。それより価値をはっきりさせよう

あきらめてもいいですが、何でもかんでもすぐにあきらめてしまうのでは「人生どこに向かっていいのか迷い続ける」ことになりかねません。

なので、「あきらめ」を「ポジティブなあきらめ」にしていくためにするためには、前提として「自分がさ大事にしたい価値」を見つけることを徹底したほうがいいでしょう。

自分の価値とはコンパスのようなものなんですね。

「価値に沿って生きる」とはコンパスの指し示す方向に向かって進んでいくということ。

もし、この価値がないと以下みたいな事態が起こってしまうでしょう。

  • 将来に漠然とした不安を感じる
  • 自分の意思がなく周りの人の意見に流されてばかり
  • 人に認められたい思いが強くなりすぎて自尊心が低下
  • 理想が高くなりすぎて現実とのギャップに絶望する
  • 他人と自分を比べて一喜一憂する
  • 不安や恐怖から逃げてばかりになる

人生の満足度は価値に沿って生きていくことで高められます。

そして、価値と混同しやすいものに「ゴール」がありますね。

ゴールは価値に導かれて生きていく途上に存在する中継地点にすぎません。

だから、ゴールに固執して「何としてもこのゴールに到達しないといけないんだ!」と考えるのは違うんですね。

別にそのゴールを途中でやめて迂回してコンパスの指し示す方角へ進んでもいいのです。

理想というものも言ってみればゴールと同様の性質をもったものになりやすいんですね。

「自分はこうありたい」というのは価値の一種ともいえるのですが、その「こうありたい」の中身が得てして「他人から尊敬される為政者」とか「年収数千億円の経営者」みたいなものになりがちですから。

これらは「どれも価値ではなくゴール」です。

価値とはもっと継続的で身近にあるもの。

例えば、「人に親切にする」とか「物事に一生懸命に取り組む」といったものは価値です。

また、ゴールは途中であきらめてもいいんですよ。

あきらめたとしても、また価値に基づいてゴールを再設定すればいいだけです。

言ってみれば、価値に従ったゴールの修正ということといえます。

あなたは「あきらめても人生に迷うことはない」んです。

何故なら価値がわかっていれば、あなたはすでにコンパスをもっているのだから。

中継地になんてこだわらなくていいのです。

価値についての詳しい説明と価値に基づいたゴールの設定については以下の記事からどうぞ。

参考記事等

価値に固執しない

価値は大事ですが、「価値に固執すること」はダメです。

価値は軽く持っておくくらいでいいんですね。

価値に固執しだすと価値を自分で選択したはずなのに、気がついて見たら「義務』のようなものに感じられてしまっているでしょう。

これでは息もつけません。

自ら苦しみを生み出してしまっています。

あなたはいろんな価値をもっているはず。

その価値のどれを優先するかはその時々の状況で決まってくるので、「いつもこの価値に従わなければいけない」ということもありません。

状況や自分の心の変化に対しては柔軟でありましょう。

おわりに

この記事では「人生におけるあきらめは価値に従ったゴールの修正である」と題しておおくりしました。

はい、人生生きているとあきらめたくなることってたくさん出てきますね。

そんな時は価値さえはっきりしているなら「あきらめてしまってもいい」んです。

別にゴールになんてこだわらなくてもいいのですから。

そのような前向きな意味でのあきらめこそ語源的に考えて「本来の意味でのあきらめる」なんだと思います。

前向きな意味でのあきらめは「逃げ」ではないし「怠け」でも、ましてや「恥でも罪でもありません」。

ゴールの修正に過ぎません。

自分を責める必要なんてないんです!

では!

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参考記事等

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