「苦労は買ってでもしろっていう年配者がいるけど、さすがに時代錯誤の精神論がすぎるんじゃないの?苦労なんてなければない程いいんだからさ。どうせ自分らが苦労したから他の人らにも苦労させないと気に食わないっているひがみ根性のせいであんなこといってんだろ。」
んー、一理あるかもしれんが、それだけともかぎらんなあ。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのぐれんの おにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「「潜在学習と顕在学習」苦労は買ってでもしろってのは将来への備えをしろって事かもね」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
- 苦労は買ってでもしろと言う言葉を心理学的な見地から見てみたい人
- 潜在学習って何か気になっている人等
よく年配の人が若年層に向かって、「若い時の苦労は買ってでもしろ」と言っているのを未だにたまに見かけます。
こういった場面を目撃すると、「どうせ昔の自分より今の若年層の方が苦労が少ないからひがんで嫌な苦労を強制しようとしているんだろ?」なんて思う人も結構いるかもしれません。
まあ、その可能性もゼロではありませんが、多分本質はそこではないと思います。
「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉は、心理学の「潜在学習」という概念を踏まえて考えると割と妥当な言葉でもあるんです。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
潜在学習と顕在学習って何?
まず、「苦労は買ってでもしろ」という言葉を解釈するにあたって、潜在学習と顕在学習という二つの概念について少し理解を深めておきましょう。
顕在学習
では、まずは顕在学習について見ていきます。
顕在学習とは非常に大雑把に言うと、「意識的になされる学習」のことです。
一般にわたし達が「学習」と聞いて想像するものが、多くの場合この顕在学習に該当するでしょう。
例えば、以下のようなものは顕在学習であるといえると思います。
- 失敗して反省してを繰り返し、改善しながら段々とパフォーマンスを高め問題を解決する(試行錯誤学習)
- 部活の顧問にアドバイスを受けて競技のパフォーマンスが向上する
- 洞察力により、問題となっている場面を構成する諸情報を分析する等して問題解決を行う(洞察学習)
潜在学習
次に、潜在学習について見ていきます。
潜在学習とは、文字通り顕在学習の逆であり大雑把にいうと「無意識になされる学習」のことです。
潜在学習では、実際に目に見える行動上は直接その効果が観察されません。
例えばネズミの場合で言うと、報酬としての餌なしに何日間か迷路を探索させ、その後で目標箱に餌を置くとそれ以前にはほとんどみられなかった行動の改善が急速に生じるなんて場合が潜在学習の例といえます。
つまり、ネズミは「何かを餌を獲得しよう」という明確な目標もなく実験期間中迷路をさまよって「ここは行き止まりかー」とか「おっと、こっちは進めるのかー」みたいに迷路の中をうろうろしていたに過ぎないのです。
ネズミは表面的な行動を見る限りは「何も学んでいないように見える」が実際には迷路の中をうろうろすることで経験を蓄積しており、いざ目的がはっきりしたときに効率的に行動できたというわけですな。
なお、このようにネズミを用いて動物にも潜在学習が起こることを確認したのは、トールマンさんという人です。
トールマンさんはネズミを用いた実験等から学習を「環境の認知の仕方の変化」ととらえて、ネズミは認知地図を作り上げていたのだと結論しています。
※認知地図とは、潜在学習に際し生体が形成する環境の空間的な関係についての認知構造である。
苦労は買ってでもしろは、ある意味で正しいかもしれない
人生はいつ何が起こるか全く予想がつかないものですし、わたし達は明日も生きているかはわかりません。
極論ですが、数秒後には何かしらの不慮の事故等で死んでいるなんてこともあるかもしれません。
そんな風に考えると、人生とは様々なトラップが仕掛けられた壮大な迷路であるといえそうです。
だからこそ、ある程度は「前もってそういったトラップの存在を認識して対策しておく」と人生という迷路を攻略しやすくなるといえましょう。
それが「科学的知見」や「先人の教訓」、「歴史」といったものだといえるでしょうね。
そして、こういった「知っているだけの知識」だけでは中々実感を伴わず実効性に乏しいため、「実際の経験の蓄積」も大事になるわけです。
「この「実際の経験の蓄積」を体力があり社会的に失敗が許容されやすい若いうちに沢山しておくと人生迷路の攻略が楽になるぞ」っていう意味の言葉が、「若いうちの苦労は買ってでもしろ」だといえるでしょう。
この言葉は一聴すると、「は!?なにクソみたいなことぬかしてんねん!苦労なんてないほうがええやろ!」と反発心を覚えるものですが、あながち間違ってはいないのです。
しかも、潜在学習が「報酬がなくても発生した」事を考えると、「苦労している意味が分からない経験も後になって何がしかの問題解決に役立つ」という事が言えるでしょう。
早いうちに色々苦労しておくと後々の問題解決に役立つってことですな。
そう考えれば、至極妥当な言葉といえましょう。
苦労すること自体が目的になるのは本末転倒
上述のように、「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という言葉を「体力があり社会的に失敗が許容されやすい若いうちに沢山経験の蓄積をしておくと人生迷路の攻略が楽になる」ととらえるなら妥当です。
しかしここで注意したいのは、「苦労すること自体は目的ではない」という事ですね。
まあ、訳も分からなく苦労しているという状況が全く無益とは言えないものの、やはり避けられるものは避けた方がいいでしょう。
まして、目標達成に際して「わざと苦労の多い道を選ぶ」なんていうのはあまり賢い選択とは言えないです。
もっとも、「どういった事情でその道を選ぶと苦労が多いのか」や「楽な道をとるリスクは何か」なんて分析は大事ですけどね。
とりあえず、これは言えるでしょう。
「なるべく自分が人生で達成したい物事や進みたい方向性をはっきりさせて、その方向で進む際に取らざるを得ない苦労は果敢にとっていくのが大事」と。
人生を「誰かに押し付けれているクソゲー」みたいな感覚で捉えると辛くなるものです。
人生の様々な選択は「全て自分の意思で行う、人生は自分が選ぶ」位でいた方が多分快適ですな。
なので、「とらざるを得ない苦労」は自分が進むうえで避けられないので、とるしかないです。
しかし、「自分がとらなくていい苦労は人に売るでもなんでもして排除して関わらない」のがいいでしょう。
やはり、そんなものに時間をとられるのは時間や体力の浪費であろうと思われます。
人生も体力も有限なので、いくらすべての経験が無駄にはならないといっても「効率的に役に立ちそうな経験を優先していきたい」ですわな。
まあ、「選択と集中」が大事ってことですね。
まちがっても、「苦労コレクター」になんてなってはいけないです。
なので、「歴史から学ぶ」とか「科学的根拠のある知識を学ぶ」、そしてそれらに基づいて実際に行動し「必要な苦労は積極的にとっていく」姿勢が大事だといえましょう。
人生の方向性について考えたい人は以下の記事参照。
おわりに
この記事は「「潜在学習と顕在学習」苦労は買ってでもしろってのは将来への備えをしろって事かもね」と題しておおくりしました。
心理学の潜在学習という概念の存在を考慮したら、よく年配の人がいう「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉にも一定の妥当性があることが分かります。
とはいえ、「苦労すること自体が目的」になっては本末転倒なので、人生の方向性をはっきりさせた上でそれに必要な苦労なら腹をくくって苦労を果敢にとるようにしていきたいものです。
では!
参考
https://psychologist.x0.com/terms/115.html
http://www.myschedule.jp/jpa2014/tex_output/source/jpa2014_poster/90748.pdf
参考記事等