心理カウンセラー的な人たちに「逃げてもいいんだよ」的な言い回しをする人は結構いますよね?でも、この言い回しに反感を持つ人は一定数いるものですし、実はわたしも不快感を持っています。
というのも、「泣いてもいいんだよ」て優しさのつもりで言っているはずだけどなんかムカつくのは、言われた方としては「なんでお前に許可されなあかんねん!」といった気持になるからだと思う次第。
動機は善意なのかもしれないけど、なんか、偉そうに感じて嫌なんですよねえ。
今回は「逃げてもいいんだよ」的な言い回しが人をイラつかせる可能性やこのような言い方に変わる言い方の候補についても考えてみたいと思う次第。
本記事を参考にすると、相手に不快感を与えない寄り添った言葉選びが少しできるようになるかもしれません。
目次
「逃げてもいいんだよ」という言い方はそもそも不快!
わたしはよく心理系の方々が多用する「逃げてもいいんだよ」とか「泣いてもいいんだよ」といった感じの言い回しがずっと前から好きじゃないです。
こういった「~してもいいんだよ」的な言い回しをされると私は直感的に以下のような印象を持ってしまうんですよね。
- なんか、偉そう
- まるで子供をあやすような言い方でムカつく
- 相手をバカにしてそう
同じことを感じている人がもしかしたらいる気がしますけど、どうでしょうか?
特にわたしは、「生まれながらにその人なりに自立して生きていくだけの能力を備えている」という前提で物を見ているため、どうもこうした相手を小ばかにした感じのいい方にはあまりいい気分がしません。
なんか、「~してもいいんだよ」という表現は「わたしが救ってあげますよ、あなた困っているんでしょ?」みたいな格上から格下へ恵んでやるよって感じの雰囲気をこう言った言い回しから感じるのですわ。
もちろん、言っている人は善意なんでしょう。それはわかるんだけど、どうも個人的にしっくりきません。「なんか、もう少し対等を意識した言い方あるだろう?」て思ってしまうんです。
ちなみに自他ともに心の問題というものは、万人が一生向き合い続けねばならない課題。相談を受けている立場の人であっても、一生迷える子羊の一頭にすぎません。
そう、ある意味人に心理の扱いをアドバイスしていく人であっても常に自分なりの課題と日々向き合い続けているわけで、言ってみれば「すべての悩める人と同じ仲間」です。
抱える問題の大小はあれども、そこに上下はなくみな同一線上にいるって感じ。悩んでいる分野や悩みの種類が違うのはあるかもしれませんが、「同じ迷える仲間」。みんな同じ地平に立った対等な関係です。
「逃げてもいいんだよ」発言は無責任はさすがに他力本願過ぎる
当たり前ですが、全ての選択は自分次第。誰かが「~しろ!」といったところで、それに従うかどうかを決めるのは結局自分。自分以外のものに意思決定なんてできやしませんし、「させてはいけない」です。
なので、「逃げてもいいんだよ」等と言われてもそれをホイホイと簡単に受け入れていいかどうかはちょっと問題なんですよね。逃げるという選択肢があることは常に頭に置いておくべきですが。
確かに、逃げることは時に最高の解決方法です。実際、あの兵法家の孫子も「三十六計逃げるにしかず(万策尽きたら逃れることが最善)」と言っていますしね。
自分なりに手を尽くしてどうしようもないなら、最終的には逃げるしかないよなっていうのは多くの方が納得する事だと思います。
しかし、たまに「逃げてもいいんだよなんて簡単にいうやつは無責任だ」という人がいますが、それに関しては「当たり前、そもそも人の助言を聴くか聞かないか決めるのはあなたでしょ?」という感じです。
偉そうに子供をあやすように「~してもいいんだよ」という言い方をする人の尊大さに腹が立つ一方で、その発言をすることをことさら無責任と糾弾する人にも「何言ってんだか」と少々あきれる模様。
自分の人生の意思決定は自分がするものなので他人の言動は参考程度にして、自分なりにそれが正解なのかを選び取る姿勢は常に絶やさないようにしたいものです。
動機はともかく言い方には気をつけたいよねって話
わたしはエスパーでないので「逃げてもいいんだよ」等といった言い回しをする人の真意は分かりません。しかし、おそらくは大体の場合において「善意」だと思います(そういうことにしておく)。
ただ上述した通り、この言い方には「困っているあなたをわたしが救ってあげよう」的な尊大な態度を感じますし、何より相手を半人前としてみているように取れてあまりいい気がしません。
そこで、個人的に「逃げてもいいんだよ」という表現に代わる表現を考えてみたいと思います。個人的に、妥当と思う表現はおよそ以下の通り。
- 逃げるのも一つの手段
- 万策尽きたら逃げるが勝ち
- 逃げるのも時に大事
- 逃げても生きているかぎりまた再起できる
- 逃げるんじゃなくてこれは戦略的撤退
、、、、ちょっと、ボキャブラリーないのでこんな貧弱な候補しか出てきませんでしたが、それでも「逃げてもいいんだよ」みたいな相手をなめ腐った言い方よりは大分マシだと思います。
もっとも、逃げる事に強い罪悪感を持っている人は、誰かに「逃げる事を許してほしい」という心理があるのかもしれません。その可能性自体は否定できません。
ただ、原則として、あまり偉そうな言い方をするのは違うよなって気持ちはありますよね。
なお、「~していいんだよ」といった言い方に限らず、何事においても言い方ひとつで関係が険悪になるもの。
例えば、夫婦間で夫が妻に「おい、胡椒」とか「出かけてくる。夕飯いらないから」等とぶっきらぼうに要件や用事しか伝えない感じだと秘めた愛があっても「もっと言い方あるだろ!」となると思います。
なので、言い方には日頃から気をつけたいものです。言い方について考えるにあたっては以下の書籍も参考になるでしょう。
「逃げてもいいんだよ」より「逃げるのも時に大事」の方がマシ
「逃げてもいいんだよ」とか「泣いてもいいんだよ」といった「~してもいいんだよ」系の表現は動も相手を小ばかにしている感じがしてあんまり気分良くないです。
正直、気にしすぎかもしれませんが、もっと相手を尊重したような言い方に変えていきたいものですね。ということで、「逃げてもいいんだよ」よりは「逃げるのも時に大事」とかの方がまだましだと思った次第。
言い方ひとつで人間関係は壊れたりしますので、言い方には十分に気うをつけていきたいものです。