「なんだかんだ世の中金と権力よな。力さえあればなにしたって正当化できる。逆に弱ければどんな正論も無意味だ。誠実とか不要だろ。狡猾に立ち回ってこそよ。」
んー、それは一時的には有利だろうが長期的に見たらどうなのか?
オニギリス!
脱マンネリストのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「「武器になる誠実さ」は馬鹿正直とかバカ真面目とは違うんだ」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
・誠実であることは損だと思っている人
・人生で何を大事にしていったらいいのか悩んでいる人等
世の中では一般に誠実である事は美徳とされていますし、誠実であることは実際に人間関係を構築するためには非常に重要な要素です。
それは確かなのですが、いわゆる馬鹿正直とかバカ真面目の様な「全く裏表がない」というか「融通の利かないやり過ぎた誠実さ」ではうまくいきません。
なんて言ったらいいのでしょうか、、、誠実さという武器を上手に使うためには「相手の心の裏を読んでそれに備える」といった用心深さも必要なんですよね。
それもなく単に相手に尽くしたり誠実であろうとするだけだといいように利用されるだけってことになりかねません。
やはり「綺麗なだけでは生きていけない」というのが実情ではないかと思うんです。
今日はそんな話。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
「誠実さ」とは一体何なのか?
まずは「誠実さとは何か」という問いに答える事から始めたいと思います。
さて、誠実さとは何でしょうか?
「誠実」とは辞書的には以下の様な意味です。
[名・形動]私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること。また、そのさま。「誠実な人柄」
引用
ふむ、、、なんか抽象的でこの定義だけからは誠実の内容がはっきりしない感じですねえ。
とうことで、今度は心理学方面から「誠実」という概念について検討を加えてみたいと思います。
現代心理学で今最も科学的に妥当とされるパーソナリティ分類法によると、「誠実性のスコアの高低」によって性格傾向は以下のようになるとされている模様。
- 誠実性のスコア高:真面目できちんとしていて自制心がある。
- 誠実性のスコア低:衝動的で気の向くままに行動し意思が弱い。なお依存症において重要な役割を果たすのは誠実性であるという。
という事で、まず「誠実さ」を構成する要素として「自制心がある」という事が言えましょう。
ただこれだけではまだ少し内容がはっきりしないので、今度は人間関係における健全性の概念から誠実差の内容について検討してみたいと思います。
人間関係における健全性の条件には以下のようなものがあるとされておる次第。
- 柔軟な関係である
- 親密さを恐れない
- お互いにありのままを受け入れている
- お互いが成長を目指し努力できる
- 現実と幻想のバランスが取れる
- 与えることと与えられることのバランスが取れている
- 自分に有害な関係であるとわかったら、あとくされなく退出できる関係であること(嫌な時は嫌、我慢できないなら我慢できないなどの意思表明ができる事が前提)
この中から誠実さに関する要素を抽出するとするなら、おそらく「与えることと与えられることのバランスが取れている」という要素が誠実さと一番関連がありそうですね。
ということで、誠実さには「自他双方の受ける利益の均衡に配慮する」という要素も入ってくるでしょう。
てなわけで、総括すると誠実さとは以下の様な要素を備えた概念であると言えるかと思います。
- 自制心がある
- 自他双方の受ける利益の均衡に配慮する
誠実であることは人生における最強の武器である
誠実であることは人生における最強の武器です。
少なくとも、わたしはそう思ったりします。
誠実であるという事は、長期的に続く信頼にも続く良好な人間関係を築くためには不可欠なものです。
双方の与え当たられのバランスが取れておらず、どちらか一方が我慢を強いられる不健全な関係なんて長続きはしないものですから。
また誠実であることは、ビジネスの分野にあっても不可欠です。
一時的に大金を稼ぎたいだけなら、「詐欺まがいの事をしてでももうけてやる」みたいなあくどいスタンスでもそこそこ身入りはいいと思います。
しかし、こんな事でうまくいくのは所詮一時的なもの。
時期に、その詐欺的なビジネススタイルが露見して信用を失ってしまうことは少なくありません。
例えば、いわゆる中身の空虚な情報商材を非情な高額で販売している情報商材系のビジネスをしている業者達がその代表例でしょうかね。
あと最近で言うと、あのプログラミングスクールのテックキャンプを運営しているdiv社の社長であるまこなり社長、こと真子就有さんの経営スタイル等について不誠実なのではといった批判があるようですな。
まあ、実際のところはようわかりませんがね。
ただ日のないところに煙は立たないって言いますから、何かしらよくないところはあるのだと思います。
経営の実際ってクリーンにばかりもやってられないところもあるんでしょうが、、、まあそれにしても少し思うところが個人的にありますけどね。
ま、部外者のわたしがいちいち言う事でもないですかな。
ただ、「勝つためには手段を択ばない」なんて姿勢では、勝ち続けることはできないってことです。
対して、誠実かつ着実に仕事を遂行する人は初速こそ早くはないものの、じきに大成するなんてこともあるでしょう。
不誠実だと後でどエライ目に遭ってそれまでに築いたものが全部台無しになりがちなので、時間は多少かかってもできる限り誠実に石を少しづつ積み上げるように日々を精進していきたいものです。
誠実はいいが「馬鹿正直」は致命的
誠実な事はいい事であり武器になりますが、「使い方を間違えるとものすごく人生を不利にする」ものでもあります。
まあ、ここら辺はどんな要素にも言えそうですが、、、。
当ブログにて何でも言及している気がしますけども、真面目なだけとか馬鹿正直とかそういったあまりに性善説に立ったお人好しでは搾取の対象になってしまうだけです。
良いことだと思いませんが、そういったお人好しが幸せになれる状況は今の日本にはない気がして仕方がないんですねえ。
確かに多くの人は「親切にされたら相手にお返ししよう」といった思考をする人たちですが、中には「こいつはいいカモだ」としか思わないようなエゴイストもそれなりにいるのだという事を忘れてはいけません。
それにお金などが絡むと人間は嘘をつきやすくなるなんてことは心理学の世界でも頻繁に言われていることですから、場面によって人間性の良し悪しなんてものは変化するとも言えます。
なので、基本的には性善説に立ちつつも「人は状況次第で策を弄する狡猾な面を持っている」という性悪説的な考えもするべきでしょう。
例えば例として適当かは少し分かりませんが、ビジネス現場における交渉などの場面ではお人好しは不利な立場に追い込まれそうな気がします。
特に相手方が商習慣の違う国の企業だったりするとなおさらです。
どこの国とは言いませんが、相手とフェアな取引をしようとするスタンスで交渉に臨むのが基本だという認識が共有されている国はそんなに多くはない気がします。
アメリカのように「いかに自社の利益を大きくするか」に躍起になることが普通だと思うんです。
さらに言えば、契約を履行するという概念があるのか怪しい国すらありますよね。
まあ、どことは言いませんけど。
こういったスタンスで向かってくる相手に対して性善説を採用してお人好しで向かって行くのは、自殺行為と言っても差し支えないと思います。
誠実さが通用する人間としない人間、そして誠実さが通用する場面を見極めるのも大事なんだと思いますよね。
獣にいくら道徳を説いても意味がないのと同様なんです。
いわゆる「力以外は信じない」という人には「力を見せて従わせる」以外に方法がないってことなんですな。
皆が皆話せばわかるってことはありません。
馬鹿正直だったりバカ真面目な人は、誠実さが全く通用しない人がいることをシッカリと意識しておく必要があるんです。
恩をあだで返す人を見極めることが肝要なんですね。
そういった人には毅然と対応することが大事ですわな。
一応以下に誠実さが通じない人に対する対処法に関する記事をいくつか置いとくので参考にしてみてくださいな。
おわりに
この記事は「「武器になる誠実さ」は馬鹿正直とかバカ真面目とは違うんだ」と題しておおくりしました。
誠実であることは人生における最強の武器です。
成果を急いで不誠実に暴利をむさぼっても後で往々にして手痛いしっぺ返しを食らいますから、誠実に対応するのが一番ですね。
誠実さを持って人と接していれば人間関係も充実するので、人生が快適になりますし。
ただいつでも誠実であればいいとだけは言えません。
中には誠実さが全く通じない人間がいる等事も頭に置いておきましょう。
「原則誠実であること」が大事なんですな。
では!
参考記事等