「最近、サイコパスって言葉をよく聞くようになってきたなあ。ちょっと前はそんな言葉を耳にすることなんてほぼなかったのに。サイコパスって言葉も有名になったんだねえ。でもそのせいか、自称サイコパスも増えたよね。あれに関してはもはや「うわあ、いてえ奴!」て感想しかないわ。」
うん、わかる!
サイコパスを自称する奴に原則として本物のサイコパスはいないね!
オニギリス!
脱マンネリストのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「自称サイコパスには原則として本物のサイコパスはいない」という話です。
今回は以下の様な方にむけておおくりします。
- 自分で自分のことをサイコパスという人が何でそんなことを言うのか気になる人
- 自称サイコパスの痛い人と本物のサイコパスの心理面での違いを知りたい人
最近、アニメサイコパスのせいなのか何なのかよくわかんないけど、サイコパスという言葉をめっちゃ聞くようになってきました。
で、それに伴っていわゆる「自称サイコパス」も絶賛増殖中の模様。
でもね、はっきりいって「サイコパスを自称する奴にサイコパスはいない」のですよ。
なんでかって?
それは端的に言うなら、サイコパスを自称することはサイコパスの関心事の最たるものである「自己利益の最大化」に著しく反する行為だからですよ。
本物の
では、ゆるりとおおくりします。
目次
サイコパスを自称する奴にサイコパスはいない
「サイコパスを自称する奴大体痛い子」
なんか、ユーチューバーのラファエルさんみたいな出だしですんません。
でもね、事実だとの確信がありますね。
原則、サイコパスを自称する奴に「サイコパスはいない」とね。
ええ、そうです。
「自分はサイコパスだから~」とか「わたしサイコパスかもしれない、、、」、、、はあ、どいつもこいつも「真っ赤な偽物」ですわ。
原則として、よほどのバカでない限り本物のサイコパスが自分がサイコパスであることをカミングアウトするなんてありえません。
ん?
何故って?
その理由は実にシンプルです。
それは「サイコパスであることを知られても何の得もないから」ですよ。
むしろ、自白なんてしてしまってそれを周りが信じるようになったら、サイコパスとしては凄く活動しにくくなるでしょう。
私欲の権化みたいなサイコパスたちが何ですすんでそんな損することをするのかって話ですよ。
そもそもサイコパスだったらしないこと
さてさて、ではサイコパスだったらまずしないことを列挙してみましょうか。
それが以下になります。
- 自分がサイコパスであると自白する
- 自分がサイコパスかもしれないと心配する
- 人からサイコパスだと思われて喜ぶ
- サイコパスであることを誇る
はい、上記に該当する人はまず間違いなくサイコパスではないでしょう。
もう断言してしまってもいいかと思いますね。
サイコパスは自分がサイコパスであるかどうかなんて気にしてませんし、そもそもそんな人からの評価に一切の興味がありません。
まして、自分がサイコパスであることを誇るなんてねえ、、、もう笑っちゃうくらいにおかしいですよね。
サイコパスに誇りなんてないですよ、名誉なんてものも、、、、
サイコパスは他人になんて基本興味なんてないのですから。
彼彼女らあ自分のことしか考えてません。
しかし、自分に興味があるのとも少し違う、、、。
まあ、上記のようなことをしているなら、まず間違いなくサイコパスではないってことだけは確かでしょう。
参考記事等
サイコパスは得しないことはしない
サイコパスの関心事の最たるものは「自分の利益や精神的快」といえます。
なので、サイコパスの行動を考えるときは「本人にとっていったい何の利益があるのか」を考えるといいですね。
はい、その観点からするとサイコパスが「わたしはサイコパスである」と自白することに何の利益があるでしょうか?
今の社会情勢として、「サイコパスはやばいヤツだ」という認識が一般的であると思います。
なので、サイコパスにとっては自分がサイコパスであることを知られるのはリスクではあっても利益にはならないはずです。
サイコパスがとりうる最も最善の策略としては、「いい人のふりをして信者を増やしてその信者から自動的に搾取できる仕組みを作る」というもの。
事実、サイコパスの多い職種には聖職者がありますしね。
はい、この戦略は例えていうなら「羊の群れに羊の皮をかぶったオオカミとして潜入する」( 羊は迷っていたらなおいい!)と言う感じです。
羊に偽装したオオカミは羊たちに対して強大なカリスマ性を発揮して絶大な信頼を勝ち得ます。
そして、オオカミはその群れを率いるリーダーとなり自分の都合がいいところへと群れを移動させ、夜になるとこっそり群れの中の羊から食べごろになった羊を森の様な目につかないところに誘い出して食すと言う感じですかね。
正直この方がオオカミとしては割りがいいし、いちいち狩りにいかなくても安定的に食事にありつけます。
サイコパスであればこのような戦略をとるのが賢いのです。
周りにいい人だと思わせておいて搾取できる仕組みを作ったほうがとっても利益になる!
なのに、自分がサイコパスであることをばらしたりするなんてね、、、もう、「バカ以外の何物でもない」でしょう。
はい、サイコパスは「自分はサイコパスである」なんて他人に言うことはありません!
参考記事等
実はとっても怖いファッションサイコパス
では、自分のことをサイコパスであると称する人たちはいったい何者なのでしょうか?
結論から言うと「何物かになりたい承認欲求の塊」て感じでしょうね。
自称サイコパスは一般には「ファッションサイコパス」なんて呼ばれていたりします。
そう、ファッションとしてのサイコパスなんですね。
サイコパスを自称する人はサイコパスのことをよくわかってなくて「性格の悪いヤツくらいの認識でいる人」か承認欲求の塊かって感じに2分されると思われます。
特に、問題なのは「承認欲求が強いタイプ」です。
こういうタイプはサイコパスらしく振舞おうとするので、わざと人前で「わたし動物の解剖が趣味なの」とかわざとこれ見よがしに奇行に及んでみたりといろいろな問題行動をします。
こんな人はうっかりすると殺人事件を起こしたりするんですねえ。
こわいこわい。
なので、こういう自称サイコパスの人に対して「おい、お前サイコパスが何かわかってなくね?おい、DSM5とかしっているか?」なんて問い詰めたりはしないほうがいいでしょうね。
あんまり挑発的なことをすると、「よりサイコパスらしくなろう」なんて変な方向に努力をし始めて結果として大惨事を引き起こすなんてこともありうるかも、、、。
そう、彼ら彼女らは心のどこかでわかっているんですね、「自分はサイコパスのように冷たくない」と。
だから、そこを指摘されたらサイコパスらしく振舞おうと躍起になります。
彼彼女らは間違った方向に「自分らしさや個性を求めている」といえるでしょう。
これについてはあの脳科学者の中野信子さんも言及しています。
参考
https://logmi.jp/business/articles/215875
まあ、元ソシオパスだったと思ったりしてるわたしとしては声を大にしていいたい、
「おい!お前!そっちに行っても楽しい人生待ってねえぞ!そんな方向に努力するなら、人間関係をよくするための方法を学べよ!」
なーんてね。
おわりに
この記事では「自称サイコパスには原則として本物のサイコパスはいない」と述べました。
はい、「わたしサイコパスかもしれない。どうしよう、、、」なんて言っているよくわかんないヤツはまず「サイコパスではありません」。
本物のサイコパスにとってそもそも「自分がサイコパスかどうかなんてどうでもいい」んです。
だって、特に困ることはないですもん。
むしろサイコパスである事実を隠していい人のふりして、カモを集めてひたすら食っていたほうが賢いですからね。
自分からサイコパスだって自白するサイコパスなんていませんよ、よほどのバカでない限りね。
ただね、そんなサイコパスをきどっているファッションサイコパスを「お前がサイコなわけないやん!」と論破するのはよしましょう。
そこは「ええ、、、こ、こわいなあ」くらいに適当にあしらっときましょ。
あんまりサイコパスであるとの主張を粉砕していると、これ見よがしに「サイコパスだと思われようとして」とんでもない凶行に出るかもしれません。
自称サイコパスの多くは自分に何らかの特徴が欲しいかまってちゃんですからねえ。
サイコパス性を否定されたら、自分の存在を否定されたと取って攻撃してくるかもしれません。
まあ、いたい子にはかかわらないのが上策です。
あなたの身の回りのいたい子には気を付けてくださいな。
ちなみに、よくネットにあるサイコパス診断とかはまあ単なるお遊びなんで気にしないでくださいな。
本当に自分がサイコパス化を知りたいならDSM5とかの診断基準によることになりますし、何よりしっかりとした見識のある精神科医でないと判定できませんからねえ。
お遊び程度の診断で「あなたはサイコパスです」なんて出てもまあ気にすることはなんもないっす!
では!
参考記事等