「そういえば、よくガッコの先生とかが努力は報われるとか、必死になれとか言っててうざかったなあ。実際、どうなのよ?努力なんて報われんの?何か周りを見てみると、報われている人なんてほとんどいない気がする」。
オニギリス!
脱マンネリストのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「努力は必ずしも報われないっ!」て話です。
ん?
ふざけるな?
まあまあ、落ち着いて下さいな。
別に「努力なんて無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄あ!」ていいたいわけではありませんからね。
努力は大事ですよ。
ただですね、報われるか報われないかという観点から努力をとらえるとあんまり心によくないよって話がしたいだけなんですね。
もっと、努力に対してゆるいイメージをもったら生きるの楽になるとおもいますよ。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
「努力」の意味
まず、例にならって語義の確認です。
努力とは
( 名 ) スル
心をこめて事にあたること。骨を折って事の実行につとめること。つとめはげむこと。 「目標に向かって-する」 「 -のたまもの」
引用元
https://kotobank.jp/word/%E5%8A%AA%E5%8A%9B-106568
んー、まあ想定内ですかね?
一般に言われる努力のイメージとピッタリな説明ですね。
努力は報われるなんて幻想
はい、最初に言っておきます。
努力が報われるなんて言うのは幻想です。
努力はかならずしも報われません。
そもそも努力は報われるものではありません。
努力は
「結果に結びつけるもの」
です。
私もあなたも、そう、みんなみんな多かれ少なかれ
「世界は公平である」
と心のどこかで信じています。
この「世界は公平である」という思い込みを「公平世界仮説」と言ったりします。
悪事をすれば必ず報いを受ける。
人知れずいいことを行っていれば誰かが評価してくれる。
悪人は必ず裁かれる。
悪人は実は可哀想なんだ、いつも本当は罪の意識にさいなまれているんだ。
お天道様が見ている。
真面目であれば人から好かれる。
「努力すれば報われる」。
…
全部嘘です。
大ウソです!
真っ赤な真っ赤な大嘘です!!
悪事をすれば必ず報いを受ける?
いいえ、最後まで逃げ切る人もいます。
人知れずいいことを行っていれば誰かが評価してくれる?
いいえ、大概は誰にも評価されません。
心理学でも「善行はアピールしないと行為者の利益にならない」といわれています。
悪人は必ず裁かれる?
いいえ、必ずしも裁かれません。
あなたが裁かれてほしいと思っているだけでしょ?
悪人は実は可哀想なんだ、いつも本当は罪の意識にさいなまれているんだ!
本当?
サイコパスは他人の命を奪うことすら何も感じないよ?
まず、彼彼女らには恐怖心が無いからおびえないよ。
お天道様が見ている?
お天道様?
太陽だよね?
あれはただの天体だよ。
人格があるはずないよね。
真面目であれば人から好かれる。
嘘松乙!
真面目が取り柄だけでどれだけ好かれると?
心理学では「忘れられない人」といわれるくらい女性に好かれるには「ユーモアがあることが必要」ていわれているよ。
ユーモアって真面目さだったのかあ、へ―、しらなかったなあ…
て、んなわけあるかい!
真面目なだけなんて大概「融通がきかない堅物」って事を遠回しに言ってんだヨ!
「努力すれば報われる」?
さて、努力すれば報われる?
ただ、練習していればいいってわけではないんです。
現代では一万時間の法則はほぼ完全に覆っていますしね。
成功者といわれる人達は「成功するまで努力した」んじゃない?
成功者たちは「努力を成果につなげる努力もした」んじゃない?
決して努力が報われたんじゃない…
報われるような努力をしたんだ!!
世界はまったくもって公平じゃない、不公平です。
不公平こそが真理です。
努力したから報われるなんて「甘いんです」!
報われたかったら、「報われるように努力を継続する」しかないんですね。
努力って数式になるんです。
努力=量×質
量は単純に「どれだけ努力したか」。
質は沢山の要素から成ります。
例えば、
- 努力の方向性
- 努力の効率性
- 努力する環境
- 努力する動機
などなど…
普通の人が「努力は報われる」という言葉を口にするとき、「量」のことしか頭にないことが多い気がします。
「量」しか頭にないのに報われる?
ないないない(笑)。
結構、人生失敗ばっかりしてきたからこそおもいますね。
「努力なんて報われません」。
「報われるように努力しないと報われません」。
成果だって数式になると思います。
成果=努力×努力を成果に結び付ける努力
はい、「成果」をだすのに、努力するなんて当り前です。
その前提があって「努力を成果に結び付ける努力」、つまり、努力を活かす努力が必要になるんです。
とはいえ、「大体圧倒的に成果を出してる人は、「とにかく作業量をこなせ!」ていってない?量が大事なんじゃない?」ていう人いると思います。
確かに、圧倒的な成果を出してる人の「努力量」は圧倒的です。
でも、彼彼女らの目的は「成果」を出すことであり、努力をする事が目的ではありません。
考えているだけでは物事は進まないのでとにかくまず行動し、その行動を継続する中で新しく出てきた問題点を解決しようとする…その繰り返しをしているんです。
量は大事ですが、彼彼女らの発言には
「圧倒的に量をこなすことで質を高めることができる」
という視点が含まれています。
例えば、2019年10月23日現在の私のツイッタ―のフォロワ-数は1万1600人ほどです。
2019年2月27日に開始した事を考えるとまずまずです。
ツイッタ―を初めた当初、私はツイッタ―についてど素人でしたから、とにかく投稿しまくることを念頭に置いて行動していました。
1日に40投稿していた日もあったかもしれません。
しかし、自分の運営方針や自分の投稿に対する反響を分析する中でどの行動が適切かはっきりしてきました。
今では、新規ツイートは1日に3つを予約投稿する形式に落ち着いています。
開始当初からしたら格段に効率的になりましたね。
そして、効率化して作業量が減らせた分、こうやって余った時間でブログをかけるようになっているわけです。
このように自分にとってやりやすく、かつ負担は少ないが成果に結び付く方法をある程度確立できたのは、開始当初に「それなりの量の努力を投下したから」です。
過去、現在の努力を先に活かし「成果に結び付けたから」に他なりません。
努力を活かす努力、つまり工夫がないと努力は未来永劫報われません。
努力のための努力は、苦労のための苦労と同様に百害あって一利なしです。
それこそ「無駄」です。
そんなものは努力の皮をかぶった怠惰、努力の面をした偽物です。
もう、「努力は報われる」なんて真に受けず、
「嘘松乙!努力が報われるんじゃない!報われるような努力をするから報われるんだ!正しく努力しないと努力は無駄になる!」
と肝に銘じていきていきましょう。
お互いいばらの道ですがね(笑)。
さて、ここで提案。
努力の質を高めるためには「ワーキングメモリー」を鍛えるという方法が、科学的には理にかなっています。
どうでしょうか?
より少ない努力で効果をあげるべくワーキングメモリーを鍛えてみては?
ワーキングメモリーについてはこちら。
そして、報われる努力に必要な要素についてはこちらからどうぞ。
3、本当の「努力」は努力じゃない
努力は「努めてするもの」ではありません。
「無心」でやるものです。
いわゆる努力が「努力」と呼べるようになるのは、圧倒的に集中、没頭した段階に到達して初めて言えることだと思います。
これは多分、成果を出している人達はみな思っている事かもしれません。
私は大したことをできているわけではないですが、その一端を感じることが最近できていると感じています。
心理学でいう「フロー状態」というやつですね。
「私は今努力しているなあ」
て感じている?
ならそれは「努力」じゃないんでしょう。
「努力っぽい何か」なんでしょうね。
それが段々集中することで「努力」になるんですね。
そして、努力量に応じて情熱が高まるのも心理学的事実。
なので、本当に努力している人って自分が努力しているという自覚がない人が多いです。
彼ら彼女らはただ「目の前のやるべきことに集中しているだけ」、言ってみれば当たり前のことをしているだけでしょう。
あきらめも努力
早速ですが、サンクコスト効果って知ってます?
サンクコストとは「埋没費用」、つまり、取り返しのきかない支出済みの費用のことです。
サンクコスト効果とはいままで投入したお金や時間、労力を無駄にするのが嫌で引くに引けないという心理です。
例えば、あなたが突如として公認会計士になりたいと思い公認会計士試験を受けることにしたとします。
受験に専念するために仕事も辞めました。
そして、時は立ち受け始めてから4年が経過しましたが、あなたの成績はふるいません。
しかも、モチベーションも激減しています。
気づけば年齢も29歳。
さて、どうしますか?
このまま受験をつづけますか?
今まで、投下してきた膨大な時間と労力を無駄にしないために。
それとも、損切りをしますか?
このまま時間を浪費することになる可能性を断ち、自分の人生を再設計するために。
この様な時に「やめる努力」が非常に大事になります。
サンクコスト効果に惑わされて「もったいない」と思わず、現状を分析してどちらを選択するのが有利かを決定しないといけません。
人生には結構こんな決断を迫られる場面がありますね。
ただ、漫然と努力しても意味がないです。
努力を形にするには、今までの努力を先に活かすための努力も必要です。
しかし、先に活かす努力には「現状で自分が努力を投下している対象や環境を変える」という努力も含まれるという事も留意しておきたいですね。
「選択し、それを継続するだけが努力じゃない!」。
もっと、報われるために戦略的努力をしたい方はこちらも参考にして見てくださいな。
※工事中
おわりに
この記事では一般に言われる「努力は報われる」という言葉がどれほどうさんくさいかについて述べました。
とはいえ、何かを成し遂げるには努力は必須です。
しかし、努力は報われるか報われないかでは語れないものです。
世界は公平ではありません。
向き不向きだって当然あります、人ですから。
努力を形にしたいなら、形にするための努力が必要です。
しかし、挑み続ける限り失敗が無いのも事実です。
途中で投げれば失敗ですが、成功するまでやれば失敗ではありません。
視点を広く持てば失敗はただの通過点になります。
あなたが努力をし、何かに失敗したしてもそれであなたの人生は失敗しません。
その失敗は途中経過に過ぎません。
その経験を材料に次につなげるまでのことです。
人生という一大プロジェクトの成功、失敗は死ぬ瞬間にしかわかりません。
報われるかはともかく、やってみれば少しは前に進みます。
進むことだけは事実です。
そして、進んだらその位置から今までの努力を成果に結び付けるように努力。
人生という視野から努力をとらえなおしてみましょう。
するとあなたが生きる間に失敗はない、そう「努力はいつも報われています」。
では!
参考記事数