「没個性化」人間は集団になると急に狂暴化して攻撃的になる生き物?

「なんか、この間びっくりしちゃったよ。普段温厚で絶対に人に嫌がらせんなんてしない誠実な親友がデモに参加した際に、ものすごい形相で政治家への罵詈雑言を叫び暴力的な行為や破壊行為をして捕まったらしい。、、、なんで、あんなことに?」

うむ、集団の中に入ってしまうと人の心理にはいろんな影響が起こるんだよなあ、、、。

オニギリス!

脱マンネリストのオニギリです!

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「「没個性化」人間は集団になると急に狂暴化して攻撃的になる生き物?」という話です。

今回は以下の様な方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ

群集心理について詳しく知りたい人

よく世界のニュースを見ていると、デモをやったりしているのをみたりすることがありますね。

そして、そんなデモの中にはもはやデモ参加者たちが暴徒化してしまっているものもままあるもの。

あんな様子を見ていると、「なんでもっと節度を守ってデモができないんだ、、、」とか「こいつら荒ぶりすぎだろ、、、もはや反乱となんも変わらねえよ、、、」とあきれる人もいるかと思います。

はい、わたしもデモをそう思ってみていることが多いのですが、これには群衆心理が大きくかかわっているんですねえ。

人間は集団を形成すると暴力的になる傾向があったりします。

今回はそんな人間の心理の闇につっこんでまいりやす。

ここで一瞬だけ宣伝?ですが、「悩みがあんよなー」て人も「ただ誰かに愚痴を言いたいねん!」て人も悩みが重症化する前に頭をクリアにしてみませんか?

おにぎりのカウンセリングについて詳しくは以下。

では、ゆるりとおおくりします。

スポンサーリンク

そもそも群衆心理って何なん?

群衆心理とは「群衆状況下で醸成される群衆に特有の心理」であるといいます。

まあ、もっと簡単に言うと「人間の群衆で生じる特有の心理」ということです。

そして、この群衆心理についての学問的基礎は、イタリアの社会心理学者であS.シゲーレさんとフランスの社会心理学者であるル=ボンさんによって固められたといいます。

ル=ボンさんによると、「群衆の中に各個人のアイデンティティや責任感が埋没し、全個人の感情、観念が巨大で同じ一つの集団精神を形成する」のだそうです。

で、この集団精神が群衆心理であり、人々はこの群衆心理に導かれた行動をとっていくことになります。

、、、まあ、分かりにくいですよね(笑)。

例えば、海外で起こっている政治的なデモの参加者たちを見てみるとこれはよくわかります。

デモの参加者たちは周囲にかまわず大声を上げたり、他国の国旗を焼いたり大統領のポスターに落書きをする、、、、なんてお世辞にも褒められたもんじゃない凶行に及んでいたりしますね。

このような行動は常識的に考えて「異常、かつ反社会的行動」であることはまあ間違いないでしょう。

この状態こそ、ル=ボンさんがいう「アイデンティティや責任感が埋没している状態」なんですね。

群れると人は怖くなる?

ル=ボンさんによると、形成される群衆心理は非常に原始的であり、群衆心理は非常に感情的で物事を簡単に信じやすい上、物事を白黒で考えるようなものであるともいっています。

この様な「群衆状況で平時は抑制された非合理的だったり、攻撃的な行動が起きやすくなる現象」を没個性化というんですね。

この没個性化については様々な観点から、その心理的原因や過程が検討されてきました。

例えば近年では、以下の2つの観点から没個性化の説明を試みているとのこと。

  • 自己注意理論
  • 社会的アイデンティティ理論

以下、それぞれ詳しく見ていきましょう。

・自己注意理論

自己注意理論とは

「『自己へ注意を向ける事が、人の認知や行動、感情に引き起こす効果』を説明しようとする理論」

のことです。

参考

https://sakura-paris.org/dict/%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6%E8%BE%9E%E5%85%B8/content/857_1058

そしてディ―ナーさんは、没個性化を「集団が人をひきつけその人が集団の一員になるように動機付けられる度合い(凝集性)」や集団活動により、自己注意が低下した状態だととらえなおしています。

それを受けて、プレンティス=ダンさんとロジャーズさんは私的自己(他者から観察できない自己の内面)の注意の低下が没個性化であるとしました。

・社会的アイデンティティ理論

社会的アイデンティティ理論とは端的に言うと、

「自分がいかなる社会集団に所属しているかという自己認識に関する理論」

です。

アイデンティティとは自己同一性、つまり「自分がどんな存在かについての認識」のことなので、社会的アイデンティティとは「社会における自分の立ち位置に関する認識」といえます。

社会的アイデンティティ理論に立場に立つ研究者たちは、集団への参加者個人のアイデンティティや責任感が埋没し群衆心理が生まれるのではなく、参加者個人が集団の一員としての自分のあるべき姿を考え、自分の思考や行動を適合させていくことで群衆心理が形成されるとの見方をしています。

実に、群衆心理にはいろんな見方があることが分かりますね。

そして、ル=ボンさんは群衆心理を原始的であるとしていましたが、現実を見てみると必ずしも原始的とは言えない感もあります。

例えば、アイドルのライブ等ではオーディエンス

がただ無秩序に行動しているわけではないですね。

彼ら彼女らは程度の差こそあれ「ライブを盛り上げるため」という目的の下、手拍子したりサイリウムを振ったりはねたり色々しています。

そして、彼彼女らは「アイドルの○○のファンとしてどうすべきか」ということも念頭に置いていると感じますねえ。

このように考えていくと、群衆心理は必ずしも原始的で反社会的とは言い切れないですね。

群衆心理にかぎらず、心理学では人間の心理を説明するために色んな仮説や理論を立てて、それを立証しようと実験等を行っていくものです。

だから、「人間のこの心理はこの理論によって完全に説明されるのだ!」と断言することは、まあ無理でしょう。

でも、これは断言していいかと思います、、、、

「人は集団から心理的影響を受けるものだ!」

そもそも変な連中とつるんじゃいけない

「朱と交われば赤くなる」と昔から言う通り、人は他人から知らず知らずのうちに心理的に影響を受けてしまうものです。

例えばサイコパスは別として、普通の人はネガティブな感情を持つ人と一緒にいると自分までその影響を受けて、自分までネガティブになってしまいます。

そして、それは感情だけにとどまらず「自分の考え方」もそうです。

多くの人は「自分の考えは自分のオリジナルである」と考えがちですが、実際にはそんなこともありません。

知らないうちに周囲の考え方に影響を受けてしまっているものです。

ですから、言い方は悪いですが、「周囲に怠惰な人間や太りやすい人間を置いておくと自分も怠惰で肥満気味になる」なんてことも起こりえます。

自分が「こんな風にはなりたくない」と思うような人たちとは縁を切って、「こうなりたい」と思うような人と一緒にいるようにしたほうがいいんですね。

で、集団の話に戻りますが、個人レベルでも他人から影響を受けるのですから、相手が集団ともなればその影響力は計り知れません。

怪しい集団や極端や思想に走っている集団には「近づいてはいけない」のです。

怖いもの見たさとか単なる好奇心とかで近づいたら命とりですよ。

おわりに

この記事は「「没個性化」人間は集団になると急に狂暴化して攻撃的になる生き物?」と題しておおくりしました。

群衆心理はその「群衆状況下で醸成される群衆に特有の心理」のことであり、没個性化はそのような群衆状況下で起こる「平時は抑制された非合理的だったり、攻撃的な行動が起きやすくなる現象」のことを言います。

人の心理は他人から大いに影響を受けてしまうものです。

変な集団に混じったりしないようにしたいもんですね。

お互いに注意したいものです。

では!

スポンサーリンク

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事