「くっそ!!会社の同僚にすんごい性格悪いやつがいるんだけど本当に許せないわ!!あんな奴がいるかと思うと本当人間不信になるわ。本当人って表でいい顔して裏では陥れるために悪評流したりとかって平気でするのな」
んー、それはその人が嫌な奴だっただけではないだろうか?
全ての人が嫌な奴だっていうのは早計なんやで。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「他人への憎悪や敵意に飲まれてる人は他人に親切をして目を覚ませ!」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
・なんとなく人が信じられない人
・怒りに飲まれてしまいたくない人
嫌な人と出会うと、怒りの感情を持つ事もしばしばですねえ。
で、あまりにその感情に飲まれると、「人間なんてどいつもこいつもロクな奴じゃねえなあ!」みたいな人間不信気味な気持ちになってしまうことがあると思います。
でも、冷静になって考えると、たまたまその人が嫌な奴だっただけで他の人はまた違うんですよねえ。
そんな腹が立つ時こそあえて誰かに親切に対応してみることを個人的にはおすすめたいですな。
親切にしてみると、結構な確率で感謝してくれたり何かしら心地よい反応をしてくれたりするものです。
そうした反応を得て、「ああ、あいつが単に嫌なだけだったんかもしれん」と冷静になれたりするのではないかなって思いますな。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
怒りの感情が起こるのは仕方がない事である
まず最初に確認しておきたいことは、「碇という感情は生存に必要不可欠なものである」という事です。
怒りという感情にいいイメージを持っていない人は多いでしょう。
例えば短気な人というとまず近寄りたくないと思うでしょう。
正直、一緒にいていい事があるとは思えませんよねえ。
しかし怒りがあるからこそ「自分の身を守れる」といえます。
もし怒りという感情がないとしたら、自分の利益等が侵害していてもそれを防衛することができないばかりか、横暴を働く相手に対する威嚇すらままならずなされるがままになってしまうでしょう。
心理学者のドルフ=ツィルマンさんによると、「危険にさらされている意識」が怒りを喚起する万人共通の要素であるといいます。
そして、人が怒りを感じる場合には例えば以下のような場合があるそうな。
- 不当な扱いや無礼な扱いを受けた
- 侮辱された
- 大切な目標達成の邪魔をされた
上掲の3つはどれも物理的な文脈での危険ではないですが、どれも抽象的な危険であると言えますな。
一番下の「大切な目標達成の邪魔をされた」も、目標の内容によってはかなり危険ですよねえ。
例えば、締め切り直前の会社をあげたプロジェクトの進行に関わる重要な仕事があるのにその仕事に取り掛かるのを邪魔されたりすれば、「邪魔するな!!」と言った気持になりますよな。
仕事を期日までに終わらせられないと、上司に怒られるだけならまだしも責任を取らされたりとか、、、まあ色々としくじった後の自分の立場を考えると邪魔されては困りますよねえ。
こういったものも立派な危険と言えますな。
怒りに飲まれるとろくなことにはならない
怒りという感情は生存上必要なものではありますが、怒りに飲まれると本当にロクな事にはなりません。
例えば、駅のホーム等に「つい、カッとなった。人生、ガラッと変わった。」なんてメッセージが書かれた暴力行為防止ポスターが張ってあったりしますな。
あんなものが駅のホームに貼ってあるのが、怒りという感情がどれだけ多くの人を衝動的で向こう見ずな暴挙に駆り立てているかについての何よりの証拠とも言えそうですね。
人は怒りに飲まれるとつい衝動的に暴言を吐いたり、はたまた殴ったりしてしまったりしかねないという事です。
余談ですが、怒りを感じた際の攻撃性には「手が出る人」と「口が出る人」の2種類があるとか。
ちなみに、わたしはまず口が出るタイプですな。
怒っている時こそメタ認知を働かせよう
怒りに身を任せているときは、実に視野が狭くなっています。
怒りという感情と自分が一体化していては、現実が正しく認識できませんので怒りの感情と距離を置く必要があるんです。
なので、一旦深呼吸をするなどして冷静になる必要がありますね。
怒り感情に対する一般的な対処方法については、以前投稿したアンガーマネジメントや脱フュージョンについての記事をご覧くださいませませ。
さて、ここからは怒りや憎悪と言った感情のせいで視野が狭くなり人間不信気味になってしまった場合のわたしなりの対処法について述べてみたいと思います。
その方法というのが冒頭で申し上げた「誰かに親切にしてみる」というものです。
人によっては「腹が立っているときになんで親切になんてするんだよ!てか、そんな気分じゃねえ!」とさらに起こってしまうかもしれません。
でも、別にわたしはふざけていっているわけじゃないんですな。
ちゃんと、わたしなりに理由があります。
怒り感情を抱かせてきた人物があなたにとって、嫌な奴だったのは事実かもしれません。
でもここで感情的になると怒りの対象であるその人物を過度に一般化して「人間なんてロクなもんじゃないな。みんなこんな感じで敵対してくんだろうな」なんて思ったりすることがあり得ます。
冷静に考えたら、「いやいや、そんな極端な結論出すとか意味わからん」と思うのですが、怒りに身を任せているときは本当に非論理的な結論を出してしまいがちです。
そこで「世界には実際には敵ばかりではない。ちゃんと味方もいるんだぞ」という事を再確認するために、わざと人に親切にするという事なんですな。
どんなに些細な事でもいいので、人に親切にして感謝のようなポジティブなフィードバックをもらうのです。
例えば、街で道を聞かれたら親切に教えたあげるとかコンビニやデパートなどの会計係の人達に帰り際にねぎらいの言葉をかけてみるなんて本当に些細なものでいいのですな。
ポジティブなフィードバックをもらえたりすると、「優しい人は沢山いるのかもな」と言った認識が少しは生まれるかと思います。
そうすれば、「あいつがムカつくだけだ」等と過度の一般化を阻止することができるのではないかと思いますな。
ちなみにわたしの場合、誰かにムカムカさせられた場合は大体この方法を使って解決しています。
ポジティブナフィードバックをもらうと、「優しい人なんて一杯世の中にいるんだから、あんなクソショーもないやつの事はもうほっとけばいいや」みたいに思えたりするんですね。
本来、感謝されることを目的に親切をするというのはおかしなことですし、あまりおすすめできることではないのですが一時的に行うならいいと思います。
もっとも、人間不信が強い場合はこの程度で解決しませんので、その場合はもっと長期にわたってその思い込みを修正していく事になりますな。
おわりに
この記事は「他人への憎悪や敵意に飲まれてる人は他人に親切をして目を覚ませ!」と題しておおくりしました。
怒りという感情は、「危険を察知するため」に必要なので生存上重要な役割を果たすものと言えます。
しかし怒りに身を任せると、「なんでそんな極端な結論出したの?」と言いたくなるような結論を出してしまうものです。
そのうちの一つが「どうせ人はみんなクソショーもないやつばっかなんだ!」みたいな過度の一般化ですな。
この過度の一般化に陥らないために、個人的におすすめしたいのはわざと誰かに親切に接してポジティブなフィードバックを得るという方法です。
いつも相手に何か具体的な行動や反応を期待して親切を行うのは、あまり自分の心を穏やかに保つために適切ではないのでお勧め来ませんが一時的にならありかもなって思います。
怒りに飲まれて極端な人間不信にはならないようにしたいものです。
世界は広いし、そんな広いよのなか世界にはいろんな人がいるんですから。
では!
参考