「最近おもったんだけどさ。うちの職場の年配の上司からのラインがマジで句読点の嵐で笑っちゃうよ。何だよ、あの読みにくい文章。しかもなげえし。おじさん構文ってやつかよ。なんであんなに読みにくい文送ってくんだし。」
んー、確かにあんまり句読点が多いと読みにくいよねえ。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのぐれんの おにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「句読点が多すぎるおじさん構文的な文章を書く人は志賀直哉の文章に学ぶといいかも」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします
- 句読点の打ち方について考えたい人
- おじさん構文の様な点の多い文章を書いてしまって恥ずかしい思いをした事がある人
最近、句読点が無駄に多い読みにくい文章の例としてよく引き合いに出されるものに「おじさん構文」や「おばさん構文」というものがありますね。
「おじさん構文」や「おばさん構文」ではやたらと絵文字や句読点が登場します。
絵文字はまだしも、句読点に関しては「なぜここに打つ必要があるのだ?」と首をかしげたくなることも多々あるように思いますね。
あのような句読点が無暗に多い文章はお世辞にも綺麗とは言えません。
もし自分の書く文章が「句読点が多すぎて読みにくい」とか「おじさん構文だ」、「おばさん構文だ」等と言われることがあるのならこの際見直してみてはどうでしょうか。
おそらく簡潔で無駄のない文を書けるようになった方が印象がいいかもしれません。
この記事では以下の文献を参考にしておりマウス。
参考
上野郁江著『才能に頼らない文章術』
志賀直哉著『小僧の神様・城之崎にて』
では、ゆるりとおおくりします。
目次
句読点の役割って何なんだろう?
最近「おじさん構文」なるものが脚光を浴びています。
以前の記事にて取り上げましたが、端的にいうなら「中年男性が女性に対しておくる特徴的な文面のこ」です。
例えば以下のようなものがおじさん構文の一例。
どうも無駄に「句読点が多い」印象ですし、「なぜそこに点をうったのか?」が判然としない文章です。
※改めて言うまでもないが、句点は「。」のことであり読点は「、」のこと。
しかし、そもそも「点はどこに打つべきもの」なのでしょうか?
意外と多くの人が気にしていない事だと思います。
実は明治初期まで、日本の文章には句読点は全く無かったそうです。
どうやら、句読点の歴史はわたし達が思っているよりも浅いという事のようですねえ。
明治39年(1906)、当時の文部省が国定教科書の基準として「句読法案」というのを出しており、その法案中に「、」「。」が登場しています。
この「、」「。」はもとはと言えば漢文を読むための符号だったらしく、漢文でいうところの返りてんの「レ」と同様のものだったんだそうです。
ひとつの文が終わるところに「。」をうち、文中で読みを区切ったほうがよいところに「、」をうっていたわけですな。
※このころは縦書きだった。
その後戦後になり、公用文を横書きにする方向が打ち出されたことで最終的に「句点」には縦書きと同じ「。」、「読点」には英文同様に「,」を使うという案に落ち着いたといいます。
このことは昭和21年(1946)に文部省教科書局国語調査室」から出された「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕案」に記載されている模様。
参考
少し余談ですがこの法案中の例文の中に、少しおじさん構文っぽい読点がくどい文を見つけました。
例
34.「先生に聞きに行きませう。」と、花子さんは、その貝をもつて、先生のところへ走つて行きました。
そして2021年現在、文化庁の「文化審議会国語分科会」が新しい「これからの公用文の在り方」について審議を行い、「新しい「公用文の作成の要領」に向けて(報告)(素案)」を公表しています。
この中で句読点等について以下のような記述があります。
- 句点には「。」読点には「、」を用いる。横書きでは、読点に「,」を用いてもよい 新
- 「・」(ナカテン)は、並列する語、外来語や人名の区切り、箇条書の冒頭等に用いる
- 括弧の中で文が終わる場合には句点(。)を打つ
参考
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/kokugo_kadai/iinkai_39/pdf/92724601_02.pdf
、、、どうでしょうか?
「え?これだけ?」て感じですよね。
これだけだとどこに読点をうっていいのかよくわかりません。
この報告中で明確に「~に打て!」とは言ってくれていないのです。
要するに「細かいことは君たちが自分で決めなさい」って感じなんでしょうね。
ただ、この報告では読点を打つ場所を決めるために役立つ情報も与えてくれています。
それが例えば以下のようなことです。
・伝えるべき重要なことは、はっきりと述べる。
・分かりやすさが重視される文書では、優先して伝えるべき情報を絞り込んでおく。
・一文を短くする
・一文の論点は一つにする
・三つ以上の論点を並べるときには箇条書を利用する にする
・読点の付け方によって意味が変わる場合があることに注意する
こういった事に注意しながら読点をうっていくといいのかもしれませんね。
とはいえ、まだまだ具体性にかけますな。
そんな時は実際に文章の校閲や執筆を専門としている人たちの意見が参考になります。
例えば、句読点の使い方については以下の記事が参考になると思いますね。
参考
https://www.asobou.co.jp/blog/bussiness/punctuation
かなり具体的にまとめてあります。
あとは、上野郁江さん著の『才能に頼らない文章術』という本を読むのも非常におすすめです。
本書では読点について具体的に触れてはいませんが、本書の内容を理解してくると「どこに点を打つべきか」という感覚が何となくわかってくると思います。
わたしもブログを始めるにあたって何度も読んだ本ですし、今でも確認のためにたまに読んでいたりしますね。
まあ、わたしの今書いている文章がいい文章だとは全く思えませんが、この本を読んでからの方が明らかに体感では文章が良くなっていると思います。
本書を読んで文章を書く訓練を積んでいったら、読点が無暗に打たれたおじさん構文なんて書かなくなると思いますよ。
あと「自分の書いた文章を一度音読してみる」というのは、読点を減らすうえで凄くお勧めの方法です。
あくまで主観ですが、美しい文は読んでみればわかると思っています。
読点がただ乱雑に配置された醜い文は、実際に読んでみてもやはり「不快」と感じるもの。
音読してみることで、無駄な読点を削除できるかもしれません。
美しい文章を書きたいなら志賀直哉に学べ!
上述の通り、わたしはブログを始めるにあたって上野郁江さん著の「才能に頼らない文章術」を熟読しました。
文章について本書から非常に沢山の知見を得たのは間違いないです。
しかしそれと併せて、わたしは志賀直哉さんの「城之崎にて」の全文を数回パソコンに打ち出し、さらに十数回音読しています。
なぜここまで一見無駄ともいえることをしているかというと、それはひとえにわたしが「『城之崎にて』の文体は理想的で美しい」と感じたから」というだけです。
わたしは「志賀直哉っぽい文体」で文章を書きたかったわけのですよ。
まあ、結果として全然うまくいっていませんけどね。
で、話を読点に戻しますが、志賀直哉さんの文章では読点が非常に少ないです。
さらに、一文に対して付加されている情報量も非常にコンパクトなので読んでいてストレスを感じさせません。
、、、とかいっているけど、大学の卒論の時はものすごく点の多いくどい文章を書いていました。
まあこれって、一文に情報量を沢山詰め込もうとしたのが仇になった結果なんですよね。
やはり分かりやすく美しい文を書くにあたって、一文当たりの情報量の最適化は欠かせません。
とりあえず、「簡潔で無駄な読点の無い美文を書きたければ志賀直哉の作品を読め!」とは言っておきたいと思います。
『城之崎にて』の文章を少しだけ読点に着目して分析してみよう!
では、最後に少しばかり例をあげつつ『城之崎にて』での読点の使われ方について分析してみたいと思います。
『城之崎にて』では、文中における読点の出現頻度は低いです。
具体的な数字をあげるなら、「一文に一つ~二つ」が原則です。
読点が一つもない文も非常に多いです。
例えば以下のようなものですね。
「頭は未だ明瞭しない。」
引用
志賀直哉『小僧の神様・城之崎にて』P、28
「自殺を知らない動物はいよいよ死に切るまではあの努力を続けねばならない。」
引用
志賀直哉『小僧の神様・城之崎にて』P、32
ただ、中には例外もあります。
例えば以下のような文。
「自分は死ぬ筈だったのを助かった、何かが自分を殺さなかった、自分にはしなければならぬ仕事があるのだ、― 中学で習ったロード・クライヴという本に、クライヴがそう思うことによって激励される事が書いてあった。」
引用
志賀直哉『小僧の神様・城之崎にて』P、29
ふむ、一文がそこそこながいですよなあ、、、。
読点は4つですね。
じゃあ次。
「で、またそれが今来たらどうかと思ってみて、猶且、あまり変わらない自分であろうと思うと「あるがまま」で、気分で希うところが、そうすぐに実際には影響しないものに相違ない、しかも両方が本統で、影響した場合は、それでよく、しない場合でも、それでいいのだと思った。」
引用
志賀直哉『小僧の神様・城之崎にて』P、34
うん、くどい!
この文章はくどいです。
読点は一文に7つもでてきます。
「城之崎にて」の本文中最もくどい文章です。
まあ勝手な憶測ですが、この文章はおそらく情報過多なんですよな。
色んな情報を詰め込もうとし過ぎたせいで、「誤解なく伝えるため」に読点で言葉の修飾関係を限定しないといけなくなっているのだと思います。
論文等で一文が長くなる人もこういった理由から一文に読点が多くなったりするんよな。
はい、という事で大雑把にまとめてしまいますが、「城之崎にて」を参考にすると読点については、「一文につき1~2こ」を原則にするといいでしょう。
また、「読点が1~2個しか必要にならない位の情報量の文章を書く」必要もあるでしょう。
ただし、「明日は、雨だそうです。」みたいな極端に短い文章に読点を入れるのは無駄って気がしますね。
まあ、35文字くらいまでは読点なしで行けるんちゃうかなあ、、、?
ちとわからんけど。
もっとも、全く読点がないのも読みにくいので問題なんですけどね。
読点は極力省くのがいいんじゃないでしょうか?
感覚的な感じの終わり方ですいやせん。
おわりに
この記事は「句読点が多すぎるおじさん構文的な文章を書く人は志賀直哉の文章に学ぶといいかも」と題しておおくりしました。
句読点の打ち方については、今のところ「個人の裁量にゆだねられている部分がかなり大きい」といえます。
とはいえ、読点が無暗に多い文はくどいし醜いといった印象です。
最近言われる「おじさん構文」なんて言うのは、美しさの著し欠如した「醜い文章」って感じがしてしまいます。
綺麗な文章を書けるようになりたいものですよなあ。
では!
参考記事等
自分の外見が嫌いな女性は死を思うと劣等感がましになるかもしれない
「逃げるが勝ち」は結構な場合に当てはまる。逃げるならうまく逃げろ
コウペンちゃんが「生きててえらい」と言う通り、生きているだけで偉い