「よく「逃げると逃げ癖がつく」とかいう人いるけど、正直逃げる激と気っていうのは必ずあるじゃん。なんでも粘ればいいとは限らないよね?ちがう?」
まあ、それはあるよね。
何でも、意地になってしがみついていればいいというもんでもないわ。
ただ、、、逃げ方は大事だよねえ。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「嫌な事から逃げるのはありかなしか?「逃げるのはありだが計画的に」」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
・嫌な事から逃げたい人
・嫌な事なんて何もしたくないって人
・話しのネタが欲しい人等
嫌な事なんて誰もしたくないですよね?
わたしだって嫌だなって思う事はできるなら一切したくはないです。
しかし、いやな事であっても「自分が楽しいと思事をするためには避けて通れない事」というのはあります。
なので、「嫌な事は何もしない」という姿勢だと人生何にも楽しめません。
嫌な事はしなくていいんですが、しないならしないなりに「どうすれば嫌な事をしないですむか?」や「この嫌な事は将来にどう影響するか?」といった事にも思いをはせたいものです。
今日はそんなお話。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
そもそも嫌な事から逃げるのはありなのか?
そもそも嫌な事から逃げるのはありなのか、それともなしなのかについてちょっと考えてみたいと思います。
まず結論から言えば、「逃げるのなんて大ありでしょ?」て感じです。
確かに、世の中ではいまだに多くの人が「逃げると逃げ癖がつく」なんて言っている気がしますが、「逃げ遅れて死ぬこともある」という事実はきちんと押さえておいた方がいいですよ。
何でもかんでも、「しがみついて踏ん張って耐えていればいい」訳じゃありません。
自分の精神や肉体の限界をきちんと見極めたり、自分のやっている事の将来性などにしっかりと思考を巡らして「ああ、これは無理だ」と思うのなら引くことだって必要ですよ。
就職してすぐ「辛いからもうやめる」と言い出すのはなんか違う気もしますけども、しかしだからと言ってあまりに職場がブラックで「この調子だと過労死まで行きそうだ」なんて思ったら正直生活保護を受けること前提でもやめた方がいい気はします。
死んだら元も子もないです。
もっとも過労死まで生きそうなくらい酷い労働を強いられいてる時点でそんなことに頭が回らないとはおもいますが、、、。
とりあえず、逃げる事は絶対悪ではないんです。
「生きてさえいれば人生の可能性はつなげる」んですよ。
「いくら逃げずに頑張っても死んでしまったらどうしようもない」んです。
命を懸けてまでしがみつく必要があるのか?という判断位はさすがにした方がいい気はします。
「逃げたっていいんだよ」とかそんな手ぬるいものではなく、「逃げるのは戦略の内。逃げるなら堂々とふてぶてしいくらいに逃げよう」て感じです。
なに、恥もクソもありますか。
勝手に言わせておきなさいな。
あなたの人生ですぜ?
恥なんて知った事ではないでしょう?
ふてぶてしく生きろよ!!
嫌な事から逃げる時には慎重になろう
先ほど、「逃げるのも戦略の内だから堂々と逃げよう」と言いましたが、さすがにただ単に「なんかとりあえず嫌だから逃げます」では何とも心もとないです。
例えば、さっきも言いましたけど「就職してすぐ、具体的にいうなら1週間くらいでやめる」とか「ちゃんとやると決めてやり始めたのに3日でやめる」みたいなのはさすがにどうかなって思います。
人によっては、「自分に合わないと思ったら一日でもやめてしまってよし!」みたいなことを言うインフルエンサーの人がいますけども、正直わたしは「そりゃあちとアカンやろ」という立場。
就職ならどんなに短くとも3カ月くらいはやってみた方がいい気がしますし、意を決して新しく始めたことなら3週間くらいは粘ったほうがいい気がします。
例えば、「ブログをやる!」と決意したならまあ3週間くらいは頑張ってみようよって感じです。
確か、科学的には3週間くらいやっていると習慣化されてくるって話がありましたからね。
わたしは少しだけ自分の適性や能力を審査する期間を設けた方がいいと思うんですよ。
あまりにも高速で離脱してしまったら、本当に自分に向いているのか向いていないのかがわかる前に逃げる事になりはしないかって思うんです。
それにこれはよく言われることですが、「ただ苦しいから逃げる」のはちょっと良くないですね。
何がよくないかっていうと「逃げ癖」とかの話ではなくて、「逃げた後の事をある程度見通しておかないと後でにっちもさっちもいかなくなる」って点でよくないんです。
「この苦しみから逃れたい!」と思っている時ほど、冷静になって慎重に行動計画を練らないとアカンのですよ。
例えば、企業なんかにありがちですけども、赤字が続いてそろそろぽしゃりそうだという所で逃げようとすると追い打ちをかけるように債権者たちが襲撃してきたりします。
クマへの対抗策ではないですが、「襲ってくる可能性のある相手ににらみを利かせ後ずさりしながら後退する」のが最善なんです。
ただ無策のまま逃げようとすると、追っ手に退路をふさがれたり最悪つかまって散々な目に合うんですよね。
最悪死ぬもんな。
なので、「ここで引いたら何が起こるか?一体自分は何を得、何を失うのか?」等といった事はきちんと事前に考えておかねばいけません。
そういった、将来得られる自分の利とここで退かなかった事による損失を天秤にかけ、利が大きいなら退けばいいし損失が大きいなら別の手を考えるか踏ん張ればいいです。
現状の苦しみから逃れたい一心で成した決断なんて、判断能力が乏しい状態で衝動的に出した向こう見ずな結論になりやすいのですから、一旦落ち着いて将来の見通しを立ててから行動せねばいけませんよ。
まあ、人のこと言えるのかよって話ですけども、本当に危ないので敵に背を向けて逃げるのはやめましょう。
将来の不安をにらみつけ牽制しながら、徐々に後退するのです。
そもそも苦をどういなすかで人生の生きやすさは決まる
ちょっと最後に規模が大きくなりますが、人生を逃げてもいいのかって話もしておきます。
まあ、つまり「自殺してもいいのか?」て話です。
これに関しては正直、「自殺してもいいよ」とも「自殺しちゃダメ」とも私は言えません。
というのも、「それを決めるのはその本人だから」です。
かなり嫌な例えですが、もう自暴自棄になっているいわゆる無敵の人が「死刑になりたいから民間人をとにかく殺しまくってやる!!」とサバイバルナイフをもって通行人を殺そうとしているとします。
この時に、それを見た人はきっと内心怖いというのもあるでしょうが、「死ぬなら一人で死ねよ。他人に迷惑かけんなよ」と腹が立つはずです。
しかし、自暴自棄になって凶行に及ぼうとしている無敵の人からしたら「てめえらの都合なんて知ったことか。むしろ、俺に意見するならお前から殺してやるぞ?」てなると思うんですな。
つまり、何が言いたいかっていうと「本人の狭まった視野の中で決定されてしまった事項は外から何を言ってもまず変わらない」という事。
しかも、人は他人から命令されたり意に沿わないことを押し付けられたりすると反発心を覚えるものなので、「自殺するな!」は自殺したい人からしたら逆効果になります。
なので、自殺を望む人に対しては「こっちがいくら自殺はしてほしくない」と思っていても、相手の意見をまずはひたすら聞いてガス抜きをするという作業が必要です。
正常な判断力をまずは取り戻させる作業が必要ってことですわな。
間違っても、「親がなく」とか「命は尊い」とかそんなうすら寒い道徳論を言うものではありません。
そういった道徳論は真面目に死を望む人間からしたらまさしく凶器もいいところ。
正直いって、未だにこういった説得を試みる人がいるらしいですが、わたしはそんな話を聞くと「悪意はないのかもしれんが結果的には自殺させようとしてるな」って印象ですよ、はい。
こういう場面では道徳なんてクソの役にも立ちません。
、、、とまあ、ちょっと話が脱線してきた気がするので元に戻しますねえ。
とりあえず、「自殺をしてもいいのか?」という問いに関しては、「それはあなたが決めなさい」としかわたしは言えません。
止めたい気持ちはあっても、本人が死ぬしかないと思うなら止められないし少しでも思いとどまる余地があるならそこに全力で注力するだけでしょう。
正直、誰かの人生の終わりを左右することは誰にも基本出来ないです。
ただ、こういった「人生自体から逃げる」選択をしないといけない原因を減らす事なら普段んお努力でできると思います。
それが何かと言うと、「いかに苦を受け入れて受け流していくか」という視点から物事を考えるという事です。
人生に苦悩があるのは当たり前なので、そこから逃れようと思ったらおそらく死ぬしかないでしょう。
なので、「人生から苦悩をゼロにしよう」と思ったなら、およそ「死ぬこと」でしか成しえないと思います。
なので、前向きに生きるのであれば、苦を受け入れてそれにとらわれない様になるしかないです。
「こんなクソどうしようもねえ苦しい人生だが、苦しい事の中にもきらっと輝く希望とか喜びとかは沢山あらあ。なんだかんだ通してみればまだまだ楽しみ害はあるぜ」
、、、みたいな苦があることを認めた上で楽しんでやるっていう気概が必要ってことですかね。
その為には当ブログにてさんざん言っている通り、「瞑想などによって意識を制御出来るようになる」のが効果的です。
苦を見据えつつも、視野を広く持って自分の今ある可能性を活かしきるのが重要です。
そういった絶え間ない一瞬一瞬の賢明な積み重ねにより、人生が充実するんだと思うんですな。
ま、偉そうですけども、そういう事だと思います。
意識の制御については以下の記事を参考にしてみて下さいな。
参考記事等
おわりに
この記事は「嫌な事から逃げるのはありかなしか?「逃げるのはありだが計画的に」」と題しておおくりしました。
嫌な事から逃げるのなんて大ありです。
もし、逃げるのなら恥なんていらないので、堂々と胸張って撤退しましょう。
しかし、かならず「撤退したことで将来生じる可能性」に対しては事前にある程度策を講じないといけません。
無策のまま飛び出しても、飛び出した先で死亡したら意味ないですからね。
逃げるなら計画的に。
では!