使命感なんて別にいらないと思うぜ。もっと気楽に生きればいいんじゃん

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ

・仕事や人生に使命感を持つ必要があるのか気になっている人
・話しのネタが欲しい人等

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです!

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「使命感なんて別にいらないと思うぜ。もっと気楽に生きればいいんじゃん」という話です。

よくちまたでは「使命感を持って仕事をしろ」とか「使命感を持つ事で人生が充実するから使命感を持つべきだ」みたいな意見があります。

わたしはこういった意見におおむね同意なのですが、「別に使命感があってもなくても人生は充実させられるし仕事に使命感を持つかどうかは他人にとやかく言われるような事ではない」と思っておる次第。

特に、仕事に関しては使命感や責任感を経営者が仕事論の中で持ち出す事が多い気がしますが、非常に印象が悪いです。

というのも、従業員に対して「仕事は給料よりもやりがいだ」みたいな搾取を正当化するロジックに多用されるからですな。

とりあえず、すべては「自分の幸せに対して有効か」で判断していきましょう。

ちなみに、大きな幸せは人を不幸にしてしまう可能性があります

詳しくはリンクからどうぞ。

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では、ゆるりとおおくりします。

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使命感って何?

まず、例にならって使命感という語彙の意味を辞書で確認してみましょう。

使命感は辞書的には以下のような意味である模様。

〘名〙 与えられた任務をなしとげようとする気概や責任感。特にその任務に格別の意義と誇りをもってあたる場合の感情をいう。

※中国知識人の自己改造(1951)〈竹内好〉三「学問に専念することに人類的使命感を抱き」

引用

https://kotobank.jp/word/%E4%BD%BF%E5%91%BD%E6%84%9F-523987#:~:text=%E3%81%97%E3%82%81%E3%81%84%E2%80%90%E3%81%8B%E3%82%93%E3%80%90%E4%BD%BF%E5%91%BD%E6%84%9F,%E5%A0%B4%E5%90%88%E3%81%AE%E6%84%9F%E6%83%85%E3%82%92%E3%81%84%E3%81%86%E3%80%82

ふむ、、、使命感は責任感の上級版や強化版みたいな感じといった印象ですな。

なんせ、上記の説明文によれば「使命感=責任感+格別の意義+誇り」なわけですからねえ。

使命感はあってもなくてもいいものである

使命感をあくまでも「人が幸せに生きるために必要なのか?」といった視点から眺めると、使命感は「かならずしも人生の幸福に必要ではない」です。

確かに、使命感を持つ事で人生に意味感を感じる事ができるのでそれが充実感を生み出す可能性は大いにあります。

例えば、具体的には使命感を持つことで以下のようなメリットがあるでしょう。

  • 人生に張り合いが出る(特に、HSPなどの様な感受性豊かな人はコアパーソナルプロジェクトの発見が幸福に有効である可能性はある)
  • 逆境耐性が上がる
  • 自分の人生における価値と繋がれる可能性が高まる

しかし、上述した通り「使命感とは責任感の強化版」なわけで、「ちょっと特定の意味感への固執が過ぎる」とも言えそうです。

人生の幸福にとって一番重要なのは、何かと問われればわたしはこう答えます。

「柔軟な思考と受容である」と。

この2つの要素がないと自暴自棄になったり目先の事しか考えられなくなったりして、人生が幸福からはとおのきます。

特定の意味に対する固執は自身の視野や可能性を狭め、人生を袋小路に追い込むもの。

例えば、特定の使命に「文字通り命を懸けて殉死してしまう」なんて事が考えられます。

もはや、これは人によりけりかもしれませんが、「わたしは「何としてでも生き残る事こそが正義」なので、どんな理由があれ自分の命をかける事は肯定できません。

これが使命感を持つことによる最大のデメリットと言えるでしょう。

使命感とまで言えるほどの強い意味感を持つことは、「大きなリスクでもある」のです。

常に極端に何かの思想や意味感に執心することなくバランスをとって、状況に応じて臨機応変に行動や考えを変えて適応していくのが正解でしょう。

特定の意味に過度に入れ込むのは賢明ではありません。

使命感にはメリットがある反面大きなデメリットもあるのです。

これを考慮すると、「幸せに生きるためには必ずしも使命感は必要ない」と言えます。

使命感を持つも持たないも個人の自由であり、もたないからと言って不満足な人生にはなりません。

むしろ、使命感に燃えている人は「使命感を持つことによる負の側面」に気をつけねば不幸の沼に溺れることになりかねませんから気をつけましょう。

「自分の使命感」の中核にあるものを探るともっと自分が見えてくる

さて、ここでは「すでに使命感を持つ人」を対象にしてに使命感を活用する方法について少し言及していきたいと思います。

上述したように、「思考の柔軟性や受容を失ったら人生お先真っ暗」です。

なので、「特定の思想や意味に固執するのは悪手」。

なので、「使命」なんて言えるレベルの意味感は必ずしも必要ありません。

ただ既に強い使命感を持っているのならそれを活用して、自分が「本当は一体何に価値を感じているのかを探る」といいです。

その使命の核になる部分に「あなたの人生に対する願い」が反映されている可能性が高いからですな。

例えば、「教育者としての職務を使命感を持って全うしたい」と本気で思っている人がいたとしましょう。

この人の使命感の根底には一体どのような価値があるのでしょうか?

もし「教育の機会均等」がその使命感の中核にあったのであれば、その人は満足な教育環境を得られない中勉強をしてきたのかもしれませんし、教育によって貧困問題が解決することができると信じるような体験をしてきたのかもしれません。

使命感の中核にある意味感を探るには、「その人の成育歴や何に対して興味があるのか」等といった事を総合的に見ていく必要があります。

自分自身のこれまでの人生を振り返りながら、「何を大事にしたいと思っているのか」、「その大事にしたいものが自分の使命感にどのように反映されているのか」等についてきちんと分析することが重要です。

分析がしっかりとできれば、使命感に飲み込まれて自暴自棄的な行動をしなくてすむ可能性が高まります。

かっこつけていうと、「己を知れば惑わず」ってことですな。

是非とも分析してみましょう。

分析が進むにつれて、「自分の使命感の根拠が非合理な思込みによるものである」とか「自分がどんな性格傾向なのか」等といった事が見えてくるかもしれません。

なお、あくまでわたしの観測範囲内での話ですが、

「物事に対する批判能力が低い、また論理思考の弱い人はえてして非合理な思考を根拠に使命感を形成している事が多く、非合理的な根拠にも続く使命感を持っているがために自暴自棄的になりやすい」

ような気がしています。

なので、自分の論理的思考力に自信がないのなら誰か論理的な思考が得意な人と一緒に話し合いながら、自分の内面を見つめなおすのもいいでしょう。

自分だけでできない事は他人に頼るもの大事ですな。

おわりに

この記事は「使命感なんて別にいらないと思うぜ。もっと気楽に生きればいいんじゃん」と題しておおくりしました。

使命感があってもなくても幸せに生きる事は出来ますので、使命感の有無に固執することはありません。

使命感を持つか持たないかなんて言ってみれば、「趣味の一つ」みたいなものです。

何よりも、「柔軟な思考と受容」を大事にしていきたいものですな。

固執や執着を捨てて身軽に生きていきたいものです。

では!

参考記事等

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